本のタイトルは過去記事またはアマゾンへ飛びます。出版社等の確認にどうぞ。

2005年11月30日

スキマスイッチ

空創クリップ.jpg最近はスキマスイッチ(公式サイト)のアルバム「空創クリップ」ばっかり聞いてる。その中でも"飲みに来ないか"って曲をずっとリピートにしている。

この曲の彼のように素直になれなくて、"自分のちっぽけなプライド"を大切にして、失敗し続けてきた僕としてはこんな歌損を聴くと胸がキュンとなってしまう。


男子諸君へ

別れたくなければ素直にあやっまちまいましょう。



私信
posted by kbb at 03:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

海軍めしたき物語-高橋孟

「海軍めしたき物語」 高橋孟

海軍めしたき物語.jpg海軍に徴兵されて軍艦の炊事兵となった著者の軍隊生活をおもしろいおかしい文章で描いている。

「主計兵(炊事兵)が兵隊ならばトンボ蝶々も鳥のうち」という歌があったように同じ海軍のなかでも兵隊として認められていなかった。戦闘中でも炊事をしていて、デッキにでたりすることもできず、航行中でも海面をみることがほとんどなかったようである。

そんな悲惨でつらい烹水所(艦の台所)の中からみた戦争というものをコミカルに描き、作者が漫画家ということもあり筆者自身の手によるイラストつきで笑わせてくれている。それでも、そこから読みとれるのは「兵隊達は何も知らされず納得できない不運を負わされ死んでいった」という作者の考えではなかったかと思った。



2005年11月29日

フラッシュバック-39【刑法第三十九条】part U-永井泰宇

「フラッシュバック-39【刑法第三十九条】part U」 永井泰宇

フラッシュバック 39partU.jpgこれは「39【刑法第三十九条】」の続編です。映画化もされていて森田芳光監督だったので覚えている人も多いのではないでしょうか?刑法第三十九条。そこにはこう規定されています。(参考サイト)

1 心神喪失者の行為は、罰しない。2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

大きな事件が起こると裁判での精神鑑定が大きな話題になりますが、この作品は第三十九条のありかたに大きな疑問を投げかけています。詐病(病を装うこと)やそこで減免された場合の被害者の感情はどうなのかなどといったことです。

ただね。この作品、犯罪状況の描写が濃すぎるんですよ。女の子が一人殺されるシーンがでてくるのですけど、映像化されたらきっとここに描かれてること全部だしちゃったらグロすぎて誰もみられないんじゃないかってぐらい細かく書かれています。読んでいて目を背けて吐き気を感じたのはこれが初めてじゃなかったかしら。文章にしちゃうと映像化するのは読者自身ですから、造られた映像よりもぱっと頭の中でそのシーンがもっと近くで行われてしまうんですよね。もうすこし、読者自身の想像にまかせるような書き方をして欲しかったです。

まぁでも、犯罪にまつわるいろんな問題点(犯罪における被害者報道のありかたとかね)ってことを一瞬でも考える機会にはなりましたけどね。



2005年11月28日

ふしぎな図書館-村上春樹

「ふしぎな図書館」 村上春樹

ふしぎな図書館.bmp文章は村上春樹、イラストは佐々木マキの一冊。この二人は講談社からでてる村上春樹の本ではおなじみですね。ほのぼのした佐々木マキさんのイラストが村上春樹の不思議でちょっとこわいシーンにもあっていて結構マッチしていていいですねぇ。分量も30分かからずに読めるぐらいだし。

ってここまで書いたところでもう我慢できません。叫ばせてください。

ダマされたぞ!!!

この作品はすでに「カンガルー日和」の中で「図書館奇譚」というタイトルで収録されているんですね。(ってちゃんとアマゾンにも書いてあるので注意力散漫な僕が悪いのかもしれない。しれないってか100%僕が悪いんです。はい。)読みながらも、どっかで読んだストーリーだぞとか、「羊をめぐる冒険」やら「ダンス・ダンス・ダンス」の中ででてきてるのかなぁなんて読みながら思っていたのに。最後の初出紹介のところで”この作品は図書館奇譚を改稿しました”なんてしょうもない宣告されて。

でも、最初「図書館奇譚」がどれに収録されているかわからなくて、ネットで調べてみたり本棚をひっくり返してみたりしてやっと「カンガルー日和」収録だってわかったんですけどね。そこでカンガルー日和を開いてみたら大好きだった短編と素敵な再会をしましたよ。「4月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて」。昔の職場が原宿の近くだったこともあってこの作品のシーンは映像のように思い描くことができるんですよね。そんな裏道で100%の女の子と出会うんですよ。75%でも90%でもなく100%。そんな楽しい妄想をさせてくれるいい短編ですね。もうすでにどっかですれ違っていたら悲しいね。

で、これつながりでネットで見てたらなんとこの作品、映画化されてるんですね。室井滋主演、山川直人監督ですって。うーん。室井滋ねぇ。決して彼女のことが嫌いなわけじゃなくむしろ好きなほうなんですが、どうしても100%の女の子は室井滋じゃないなんて思ったりして。じゃあ誰なんだって言われても、60%や80%の女の子はすぐに思い付くんだけど100%だしなぁ・・・。まぁじっくり考えさせてくださいな。

と、まあ色んなコトが朝から頭に浮かんでたのですけど、その中でも一番嬉しかったのは村上春樹作品によくでてくる神宮外苑そばのファストフード店についてでした。働いていてところが神宮外苑と目と鼻の先。といってもそんなに近すぎもせず、ちょうど作品で描かれているように車を止めてちょっとたちよるのにちょうどよい感じのところでした。しかも午前2時まで営業。僕が高校生のころ、バイトを始めた頃に深夜に入っていたのはショーットカットのよくくるくると働くかわいらしい女の子でした。ほら、あの作品のあのシーンが思い描けませんか?大好きな村上春樹の作品にでてくるシーンと自分の職場を比べながら、しかもその女の子に対する淡いあこがれみたいなものもあったこともあり、そのころは胸がキュンとなりながら読んでいた記憶が今鮮明に・・・。朝から興奮させないでくださいよ。もう。



posted by kbb at 17:00 | Comment(4) | TrackBack(2) | 村上春樹

センセイの鞄-川上弘美

「センセイの鞄」 川上弘美

センセイの鞄.bmp友人二人の手から手へと渡り合うこと約半年、やっと手元に帰ってきた。といってもまたすぐに別の友人のところに旅だってしまうのだけれど。短い逢瀬を楽しむように、帰ってきた「センセイの鞄」のページを開いていく。友人が雨に濡れた鞄に入れてしまったようで本全体にしわができて波打っているようだけれど、大丈夫、文章は最初に出会ったときと同じだ。

と、久しぶりに手元に返ってきた「センセイの鞄」を読み返していました。

やっぱりこれは最高の恋愛小説だななんて再確認しながらね。30代後半のツキコさん(本文中にでてくるからそうなのだけれど、そう書いてあっても彼女は28から32の女性の一番素敵な時を生きている気がしてならない。)と定年を迎えて一人暮らしをしているツキコさんの高校時代の国語教師との出会いから物語がはじまる。二人の距離の近づけ方にはじれったさを感じるけれど、くっつきそうになったら離れてみたりといった関係が二人の年齢差やらなんやらを表していた。

この本のなにがここまで僕を魅了するのかと言えば、それは二人が駅前の赤提灯で飲んでいるシーンなのだけれど、二人の飲みながらのやりとり、二人が注文するつまみの数々。お酒は強い方なのに日本酒だけは飲めない僕が素敵な女性と出会うには日本酒が飲めなきゃだめだななんて思わされてしまった。こんな女性と一緒に杯を交わしたいなんて思わされてしまったのです。

読みながら、センセイはもう年も年だから人生も終わろうとしているのでけれど、この二人の、つまりこの本の終わらせ方はどうなるんだろうと心配しながらページを繰っていました。二人の恋愛の終わり方を読者に委ねるならさりげない終わらせ方になるし、作者自身の手で終わらせたいのならセンセイが死ぬことを示唆して終わるだろうし。でもこの本は僕が想像した中で一番して欲しくない終わり方をしてしまった。二人の恋愛にとってはあの終わらせ方しかないといわれたらそれまでなのだが。

人と人が出会って別れるのは必然だと思っています。それは究極的には人は必ず死に、その死によって人は誰かと別れなければいけないからです。でも「センセイの鞄」でセンセイを殺すことによってその別れにクローズアップしなくてもいいじゃないか。とそんな終わり方がちょっと残念だったけれど、それでもやっぱりこの作品は好きな作品の一つですね。



posted by kbb at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(5) | 川上弘美

今日という日

今日は誕生日♪

産んでくれた母親や僕の人生と交差して過ぎ去っていった人たち、今なお平行して歩いてくれている人たちすべてに感謝感謝。
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2005年11月27日

彼女の朝 おいしいコーヒーのいれ方(3)-村山由佳

「彼女の朝 おいしいコーヒーのいれ方V」 村山由佳


彼女の朝.jpgおいしいコーヒーのいれ方シリーズの第三弾です。やっと手に入れて読めました。相変わらずの勝利とかれんの恋愛のペースにいらいらしながらも少しづつだけれど確実に進んでいく二人の関係にうれしくなります。1作目でつきあい始めてキスまでしたのに、3作目になってようやくふたりっきりで一晩すごすなんておそすぎるわ!この間約1年・・・。よくもまぁここまで我慢できたものだと。まぁここでもうまくコトは運ばないんだけれどね。勝利がんばれ!

二人の純情さというか異性に対する畏れ、とまどい、尻込みは今の人たちにはないんだろうなぁと思いつつ、この本は若い人向けの雑誌かなんかに連載されていたんじゃなかったかしら、とそのときの読者がおどろきやらとまどいを感じている様を想像するのも面白かったです。

自分にもこんなふうにおそるおそる恋愛してた時期があったはずだなぁなんて思い返しながらね。でも焦ってた気もして、勝利がベッドの上でかれんを押し倒したときに彼女がかすかに震えているのに気がつくシーンがあるのだけれど、自分のときはまったく気がつけなかったというか、そんなことを気にする余裕は自分にはなかったなあとちょっと反省です。いまさらですけれどね。

というわけで、二人の遅々とした恋愛の進み具合にいらいらしながらも、純情さには腹が立つほどうらやましかったのです。



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2005年11月26日

本好きへの100の質問

本好きへの100の質問に答えてみました。

今までここまで考えたことはなかったのでいい経験でしたね。おもしろかったです。
長いと思うので興味のある方だけどうぞ。


長いよ?

みんな山が大好きだった-山際淳司

「みんな山が大好きだった」 山際淳司


みんな山が大好きだった.jpg沢木耕太朗の凍もそうだけれど、この本も山に生きる男を描いているノンフィクションです。沢木耕太朗の凍のほうは山野井夫妻と同じ高さで文章を書いているのですが、山際淳司のこの本はもう一つ上の高さから何人かの山男のついて書いています。しかし両者に共通するのは、彼らアルピニストにたいする大きな尊敬と強い愛情を持っていることです。


「みんな山が大好きだった」に描かれているのは加藤保男、森田勝、長谷川恒夫、ヘルマン・ブール、ゲオルク・ウィンクラー、松濤(まつなみ)明、加藤文太郎などでそのほとんどが山で死んでいる。山際は彼らの死に方を「幸福な死」ととらえ、死と格闘することを前提にして山に赴いた男として描いている。そして登山を退屈な日常から脱するための究極の楽しみとして自分の生命をチップにするギャンブルだと言っている。またそれだからこそ、彼らは山に行くことから逃れられなかったのだと。

彼らの生き方はうらやましいほどわがままだ。彼らを否定するつもりも批判するつもりもないが、さっきあげた中で唯一山で死ななかった(訂正があります。詳しくはコメント欄参照)長谷川恒夫は次の言葉を残している。「生き抜くことが冒険だよ」と。残された人たち、彼らの生き方を彼らの身近にいながら共有できなかった人たちはやはり、わがままを通すのだからこそ生きて帰ってきて欲しいのだと思っているのだと思う。しかし、生きて帰ってくる保証のある山になんか彼らは行きたくはないのだろう。そこで行われる賭けには彼らの生命はチップとしてテーブルに載ることすらないのだから。

と、ちょっと彼らよりかは残された人たちの視点でこの本を読んでいた。彼らを愛しく思いながら彼らをつなぎ止めておけなかった人たちの無念さは想像以上のものだろうけど、その一端ぐらいには触れられた気がした。





2005年11月25日

NANA-矢沢あい

「NANA1〜13」 矢沢あい


nana.jpg昨日読んだのは友達に借りた矢沢あいさんの少女漫画「NANA」です。
中学高校のときは電車通学ということもあり毎日のようにマンが雑誌を買っていました。月曜日は少年ジャンプ、スピリッツにはじまり金曜日はヤングサンデーに終わるというように週に10冊近くは買っていました。高校を辞めようかどうか悩んでいたある日駅の売店で思いました。おれは毎週毎週なにをやっているんだろうと。これをここで買ってしまったら来週もこれを買わなければいけないぞと。それ以来マンが雑誌は買っていません。

さて、今まで少女漫画は読んだことがありませんでした。ストーリーが見てられないのと、絵が読んでてガマンできなかったのです。好きな漫画嫌いな漫画がありますが、僕の場合は絵がダメだともうその時点で飛ばしてしまうことが多かったですね。そんなとき、たまたま友人が持っているというので「NANA」を借りてきました。映画化された(公式ページへ)し、みんながおもしろいおもしろいと騒いでいたし。一度ぐらい手にとってやろうと。

実際読んでみるとおもしろいですねぇ。今までイメージしていた少女漫画のストーリーの単純さ(恋愛の過程なんて結局単純な気がするけど)だけではなく、それ以外にも細かく心理や情景がつくりこまれていて、一気に読んだにもかかわらずストーリーがわからなくなり読み直したりする部分もありました。あと似たような顔の人が何人も説明なしにでてきて、こいつは誰だ?って思う部分も少なからずあり混乱したところもありましたけど。


この話しは同い年で同じ名前「なな」を持つ二人の女の子が上京する新幹線に同じ日に乗り込みそこで出会うところから話しがはじまります。一人はひとなっつこくて犬のようにみんなから可愛がられる存在の「奈々」、もう一人は弱みを誰にも見せないようにつっぱっているようにみえる「ナナ」。そんな正反対の二人がひょんなところから同居することになりまわりを巻き込んでいろいろな事件を起こしながら物語はすすんでいきます。

読み始めたときに、彼女にするのならどちらの女の子かなぁって考えながら読んでいきました。(男視線ですいません・・・)最初は「奈々」のほうがとっつきやすくていいなぁなんて思っていたのですが途中から「ナナ」の一途さやかわいらしさが見えてきて、彼女にするなら「ナナ」の方がいいかなって思っています。「奈々」は友達に一人いたら(二人はいらない)おもしろいと思うけど彼女にしたらめんどくさそうでいやですねぇ。奈々ちゃんもそんなこといわれたくないだろうけど。

映画では「ナナ」役を中島美嘉がやっているらしいのですが、二人が出会うシーンの写真を広告で見たのですが、つっぱってる感じのメイクと表情で、「ナナ」の素敵な笑顔が見られる同居するマンションを決めるシーンでの今までとの表情から一瞬にして素敵な笑顔に変わるそんなシーンを見るためだけに映画を見てもいいかなと思っています。(そういえば、女の子が急にみせる、その笑顔を見たらこちらもどうしても笑顔になってしまうような笑顔に弱かったのを思い出しました。)



posted by kbb at 05:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

2005年11月24日

ミセスダウト

またまた深夜映画です。ロビン・ウィリアムズ主演の「ミセスダウト」です。

ロビン・ウィリアムズは「パッチアダムス」ではじめて見て、笑顔が素敵で演技のうまい人だなぁって思っていました。彼の作品はずーっと笑いつづけていて、いつのまにか涙を流していたって騙され泣きをしているパターンが多いのですが、ミセスダウトもまさにそれでした。

離婚によって子供と引き離されたロビン・ウィリアムズ扮する父親がお手伝いさんになるためにおばあさんに変装して家にもぐりこむというストーリーです。彼の女装は完璧そのもので、声も女性そのもの。彼はいくつの声をもっているんでしょうね。

子供を思う親の気持ちって万国共通なんですね。

いいなぁって思ったセリフを最後に。

「僕は子供たちが生まれたときからずっと彼らにcrazyだったんだ。僕から彼らを奪うってことは僕に空気なしで生きていけって命ずるのと同じ事なんだ。」
(裁判所に女装してお手伝いしてたことがばれてcrazyだって言われての台詞。)


posted by kbb at 07:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2005年11月23日

ランドリー-森淳一

「ランドリー」 森淳一


ランドリー.jpg古本屋に入っていつものように棚を眺める。探している本もなく時間もたくさんある。道ばたに咲くたんぽぽをみつけるようなそんな小さな幸せがみつかるかもしれない予感を抱きながらこの本には出会った。

最初の印象は表紙がきれいだなぁってものだった。文庫本のサイズなのだが、装丁が他のとはだいぶ違う。他の文庫と同じ棚に並んでいてもそれだけちがった本のように見えた。興味を持って手にとってみる。あけるまでは、絵本かな、ぐらいの気持ちしかもっていなかった。本を開いてみて文章が見えた。安心した。絵本だったらそっと棚に戻す気でいた。

こうやって出会ったこの本だったが、ほんとにその出会いは小さな幸せとなってくれた。読み始めるとほのぼのというかきれいというか純粋というその世界にうまく自分を連れて行ってくれて、この別の世界への飛び立ちが本を読む楽しみの大きな一つだと思い出した。

原田宗典の「優しくって少しばか」に自分の仕事をしっかりときちんとするんだけど少しばかなパン屋さんがでてくる。その少しばかなパン屋さんの若いころがこの「ランドリー」の主人公テルなんじゃないかと思いながら読み進めていった。もちろんそんな記述はまったくなくどこにも誰もそんなことは言及していない。想像というか、そうだったらいいなぁってぐらいの気持ちだったけどその思いは読み終わっていっそう強くなっている。

テルも自分の仕事に真剣でそれもきちんと、みていてきもちよくなるほどしっかりとこなそうとする。でも少し物覚えが悪くて、言葉も知らなくて、自分の過去ですらわからない。そんな主人公が水絵というちょっと不器用で自分の気持ちが時々わからなくなる女の子と出会うところから物語がはじまっていく。その二人とサリーという気は優しいのだが照れ屋さんの伝書鳩業を営む男と出会ってそれぞれに新たなスタートを切っていく。

この三人はわからないことをはっきりと「わからない」と言って素直になることができる。これはなかなか難しい。見栄やら世間体やら、はたまたええかっこしいか、色々あるけれど素直になるのは難しい。うらやましいなぁと思いつつ、しかしどっぷりとこの世界に入っていた。

読んで初めてわかったのだが、森淳一は映画監督さんでこの作品も彼の「Laundry ランドリー」(映画公式サイト)という作品の原作だった。テルが窪塚洋介、水絵が小雪、サリーは内藤剛志だそうだ。読み終わってからそれは知ったのだけれど、窪塚洋介のテルはなんだか現実を斜めからみていそうで、小雪の水絵は強すぎて僕のイメージした「ランドリー」とはちょっと違う気がした。でもサリーの内藤剛史だけははまり役かなと。


でも一度映画を見てみるのも悪くないなって思っています。



2005年11月22日

ジン ジン ジンギスカ〜ン♪

先日新宿にある松尾ジンギスカン専門店朋哉というところにいってまいりました。友人に連れられて行ったのですが、生まれて初めてのジンギスカンで食べ方もわからずどきどきしていました。エレベーターもないマンションをあがっていくとお店はそこの一室にありました。名前もなんだかホストの源氏名みたいだしどきどき半分わくわく半分という感じでお店に入っていき席に着きました。

入ってみてほっとしたのは店員さんが話しやすくて初めてというとい丁寧に説明してくれて、北海道出身の店員さんとの世間話も盛り上がりおいしくいただきました。なにしろ初めて食べるジンギスカンなのでこういう味なんだなぁって感想しか持てず比べることもできません。でも店員さんいわくここで食べると東京の他のジンギスカンは食べられないとのこと。比べることができないのが悔しいです。

つまみは枝豆と冷や奴とかしかなく、ほんとにジンギスカン専門店なんだなぁっと。ラムを最初頼んでいて、最後にマトンも注文してみたのですが、これはこれで別の味わいがあって結構好きでしたよ。

その後、札幌出身の友人を連れてそこに行きました。彼の懐かしい札幌のジンギスカンを思い出すかのような食べっぷりに安心しました。おいしいと思っていたのが、まずかったらいやですものねぇ。


ここにはきっとまた行くんだろうなと思っています。


場所は新宿通りと明治通りの交差点にあるUFJ銀行の裏の小道を靖国通り方面に行った左手にあります。見つけにくいかもしれないけど看板もでてるのでわかるかと。一度行ってみてくださーい。

posted by kbb at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | おいしいお店

青春小説-清水義範

「青春小説」 清水義範

青春小説.jpg古本屋で並んでる棚を何気なく見ていたら、目について、つい手に取ってしまった一冊。読み始めたら止まらなくて、すぐに読み終えてしまいました。

3編の小説からなる作品集です。一つ目の「三億の郷愁」はあの時効が成立した三億円事件を題材にしたまったく新しい解釈が描かれています。たしかにこの方法なら完全犯罪は成立するなって感じで、フムフムとうなずいてしまうところもあり楽しめました。

残りの2編は「灰色のノートからI・U」で彼の学生時代の雑記帳を題材とした、小説なんだか回顧ノートなんだかって感じの作品なのですが、作家の作家になる前の作品やら考えやらが雑記帳に書かれていることを通して、現在の作者自身の感想を交えながら(もちろん脚色もしつつ)描いてあるので興味深かったです。

これら三つに共通してあるのは、それが清水義範自身の青春時代のできごとであり、そのときの流行や風俗などがかいま見えることです。村上龍の「69 sixty nine」を読んだときにも想ったことですが、当時の新聞やニュース、日本現代史事典をみれば当時の出来事や風俗、流行などは知識としては吸収できます。でも実際にその時代を生きた人が当時の感想や心の動きなどを描いている作品などを見たり聞いたりしたときにはじめて、その当時の人々、特に若者の生活がイメージできるようになると思います。今、どう生きていくかを悩んでいる若者である自分と、当時若者であり世の中をわかったような顔をして説教をしている父親世代の人たちが結局は同じことを感じ、同じように恋をし、同じように悩み、同じような過ちをおこしていることに驚いてしまいました。

最近父親のいってることが理解できなくて、なんだよあいつ〜って思っていた中学生高校生時代に読んでおきたかった本だなって思いました。



posted by kbb at 04:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 清水義範

2005年11月21日

アンブレイカブル

先日テレビでやってたのを見て思ったことをちらっと。

映画自体のストーリーはまぁ暇をつぶせるだけのおもしろさがあり、よかったです。
コミックのヒーローを現実世界にみつけてやるっていう執念で最後に見つけ出すところがさすがにアメリカだななんておもったりしてね。

最後の悪役のせりふが印象に残ったのでここに残しておきます。

要約すると、この世に居場所がなく自分の生きている意味を見出せないことが一番恐ろしい。自分が引き起こした惨事によって君というヒーローを見つけたことが自分の生きている意味だったと今は確信している。

悪事をひきおこすことはその人の生きる意味であり、使命にはなりえるのか。結果的に善になったとしてもその過程が悪であったらそれは許されることなのか。なんて思いました。


posted by kbb at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | 映画

笑ってる場合-原田宗典

「笑ってる場合」 原田宗典


笑ってる場合.jpg基本的に小説作家のエッセイやノンフィクションは読まないことにしている。彼らが考え出した世界が彼らの著作に生み出され、それをつくりだすきっかけとなった現実世界での彼らの体験を垣間見てしまうとなんだかがっくりしてしまうからだ。とまぁこんなことをいいつつもたまーに読みたくなってしまうこともある。原田宗典の場合、小説が出版されるペースよりもエッセイがでるほうがはやかったりするのも原因かもしれない。

彼のエッセイは笑いが多く、電車の中でカバーをつけているとおかしな人に思われるおそれがあるので裸でいつも持ち歩くことにしている。

笑いあり、じーんとしてしまったところありとこれは彼の他のエッセイ集よりも得した気になってしまった。

だいたいが父と子や母と子といった関係の話しに弱いのだが、このエッセイの中の「巨人・大鵬・卵焼き」は父と子の関係について、「短編を書きたくなる時」は母と子の関係にぐっときてしまい、電車の中で短時間に笑いと涙を繰り返すおかしな人に見えてしまったことだろう。

このエッセイを読んでいて一番考えさせられたのが、「おおモーレツ」というタイトルのものだった。冒頭で長田弘さんの「深呼吸の必要」という詩集におさめられている「あのときかもしれない」という詩に触れている。その詩では気がついたら大人になっているけれど子供から大人に変わった瞬間はいつだったんだろうというのがテーマで「あのときかもしれない」という詩が続くらしい(読んだことないから今度読んでみようっと)
で、エッセイの中で原田宗典が子供から大人に変わった「あのとき」について書いているんだけれども、自分にとって「あのとき」はいつだったかなぁなんて思ってしばらく考えていました。

一つだけハタと思い付いたのが、高校を中退したときに当時の担任に「辞めます」と伝えた時だったんじゃないか、でした。それまでは、社会的なつながりのすべてにおいて自分で判断して決断して、その決断に伴って自分で責任をとらなければいけないようなことは無かったのだけれど、この時の「辞めます」というのは誰に相談するわけでもなく、自分の意志、判断、決断によって行われたことだった。あのときから、社会のなかでやっと自分の判断によって色々決めてきたんだなぁって。

とまぁ、こんなことを考えるきっかけになる本でした。なんだかんだいっても自由にやらせてくれていた親に感謝しないといけないね。

最後に本の中からおもしろいなと思った言葉を一つ

「幸福そのものを追求してはならない。追求すべきは幸福の可能性である。そしてその可能性を模索する過程こそが、幸福でなくてはならない。」




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2005年11月20日

妻を帽子とまちがえた男-オリバー・サックス

「妻を帽子とまちがえた男」 オリバー・サックス


妻を帽子とまちがえた男.jpg脳神経医が自己が診断した様々な症状をもつ患者について書いた、ノンフィクション。先日読んだ「素数の音楽」で紹介されていた本で、この中の10桁の素数を言い合ってコミュニケーションをとっているかに見える双子の話に興味をもって読み始めた。脳神経医は精神科の医師と違い、脳の器質的なところ(その実際の表面にでてくる働きではなく、構造やその動きかた)からしか診ることができず、しかしそこから驚くほどたくさんの異なった症状が現れる。科学とは抽象化、一般化を通して行われるものだが、個々の具体性こそ大切なのだと描かれている。

様々な患者がでてくる。例えば顔貌失認の患者は手袋を見せられて「これは何ですか?」と質問されても、「表面は切れめなく、一様につづいていて、全体がすっぽりと袋のようになっていますね。先が五つにわかれていて、そのひとつひとつがまた小さな袋ですね、袋と言っていいか自信はないけれど。」「なにかを入れるものですね。」としか答えることができない。個々の具体性について認識することができないが、それを越えた一般化、範疇は理解できるのである。人の顔を見ても形や大きさについては認識できるが、人の顔が持つ、それぞれの違いやらなんやらは理解することができない。

ここに描かれている、人たちはそれぞれに様々な豊かな内的世界をもっている気がした。側頭葉の発作のために子供のときに聞き慣れた音楽が聞こえてしまう症状をもつ人などは、発作を抑える薬を飲むことを拒否して年齢的に残り少ない人生をその音楽とそれによって思い出される楽しかった少女時代の思い出とともに生きることを選択した。

彼らは多数の正常な人からみれば、異常と診断されてしまうが、はたして、異常なのだろうか?大多数の人が同じ物を持っているからといってそれを持っていない人や異なった物をもっている人は異常なのだろうか?とこんなことを考えながら時間をかけて読んでいました。


energyが欲しい

energy.gif
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2005年11月10日

スカートの翼広げて

このあいだ深夜にやってたのを録画して見ました。

深夜映画っておもしろい映画が多いんですよね。寝不足にする作戦なのかしら。

戦時下のイギリスの田舎の物語なのですが、でてくる風景がめっちゃきれいですよ。

この映画には戦場や人がどたどた死ぬようなシーンはないのですが、しっかりと戦争の一側面を描きだしていました。

戦時中に食糧増産のために田舎の農場でボランティアをする3人の女性のお話です。

戦争が奪うのは人の命だけじゃないんですね。命に付随するいろいろなもの。将来や生き方や恋や可能性やらなにもかもが戦争によって奪われていく。そんなものを考えさせてくれる映画でした。だからこそ戦争はしてはいけないんだなぁって。

こういった戦争のひどさやばからしさを教えてくれる映画や本って結構多いのにどうして一方で愛国心の名の下に戦争を賛美する人がいるのかが不思議でなりません。

そんなことを考えていたら11/6朝刊の毎日新聞の記事を思い出しました。作家外村繁についての記事だったのですが、彼の書いた「愛国心」という文章の最後の一節が載っていました。40年以上前のことなのに今の時代にもあてはまる彼の見方がすごいなぁって思いました。

「自分の生まれた国を愛さない人間はあるまい。例えば安保条約に反対した人々は愛国心が欠けているからではない。その正否は別として反対する方がより国を愛する所以であると考えたからであろう。恐るべきは愛国心を私有化することではないか。」(現代仮名遣いになおしたところあり)




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調理以前の料理の常識-渡邊香春子

「調理以前の料理の常識」 渡邊香春子

料理の常ッ.jpg料理の本などを見ながら料理をつくるときにこれってなんだろ?みたいなことありませんか?
ないひとはいいんです。多分そういう人には必要のない本です。

でももし心当たりのある人には必須の本なのではないでしょうか?

湯がくとゆでるの違いは?魚と肉の下ごしらえで塩をふるタイミングは?鍋などの手入れの仕方は?などがトピックごとにかかれていて、今までわからずになんとなくやっていたことをわかりやすく説明してくれています。

材料ごとのおいしい下ごしらえや料理の仕方がいくつも書いてあるのがいいですね。
わかりやすいです。ここまで手をかけてから料理をはじめたらきっとおいしいものができますね。

暇つぶしに手にとって読むのにちょうどよい分量なので家事の合間に読むことができるのもいいと思います。



2005年11月09日

地図の遊び方-今尾恵介

「地図の遊び方」 今尾恵介

地図の遊び方.gif本棚から思いがけない本がでてきた。何年か前の文庫新書創刊ラッシュのおりにできた新潮OH!文庫の創刊50点のうちの一つがこの本だ。出版不況だなんだと言われ新創刊のシリーズが多いが、こういう本のおかげで雑学好きの僕らのような人間が暇をつぶすのに手頃な本がふえたのも確かだ。このおかげで古くからある素晴らしい作品が廃刊になることがあると聞いて心苦しいこともあるが、あちらを立たせればこちらが立たずという感じか。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

この本は作者の地図好きが高じて一冊の本ができたと言っても過言ではないほど、作者の地図に対する愛情が感じられる。よくぞここまで横から上から正面から逆さにして(もちろん比喩表現です。)地図を眺めたものである。

様々な地名表記の変遷やら世界一短い地名や長い地名、街道の道筋の変化などを古い地図や外国の地図を引っ張り出して解き明かしている。ここまで、地図をひっくりかえすなんてよっぽどの暇人(ご本人がそう言っています)である。その人にとって一番楽しいことをするのが暇つぶしなのだとしたら、この人は本当に暇のつぶし方を知っている人だと思います。

先日テレビの特集で地図検定試験のことについてやっていたのですが、そこで取材されていた小学5年生ぐらいの男の子が熱く地図について語っていました。部屋一面地図で埋まっていて地図に関することならどんなことでも知りたいというような地図マニアともいえる男の子でした。その時に思ったのですが、この子の学問的な将来を考えると、この地図マニアぶりは彼にとって決してマイナスにはならない、むしろ大きくプラスになるのではないかと思いました。地図一つとっても様々な学問への扉となりうるからです。アフリカの国境線の引かれ方を見て歴史に興味をもつかもしれない。緯度経度から数学や測量の仕方に興味をもつかもしれない。地図という記号そのものから記号学や意味論、もしくは哲学まで広がるかもしれない。地図のデザインそのものに興味を持って芸術に進むかもしれません。


これだけの可能性のある地図にあの年で興味をもつことができたのは彼にとって最大の財産なることでしょう。

みなさんも休みの日にでも地図を広げていろいろと想像や思考の世界へと飛び立ってみませんか?



奥様はマリナーゼ-ほしのゆみ

「奥様はマリナーゼ」 ほしのゆみ

奥様はマリナーゼ.jpgこの本は「絵日記でもかいてみようか」という人気サイトの単行本化された作品です。といってもサイトの過去絵日記だけでなく、新しく書き下ろされた部分もたくさんありゆみぞうさんのサービス精神旺盛な部分をあらためて感じさせてもらえました。

このサイトはインターネットをする(??インターネットはするものですかねぇ?)ようになって最初に毎日チェックするようになったサイトでした。ゆみぞうさん=奥さんの日常や失敗が一コマの絵日記になっていて、それにちょっとした文章が書いてあるというものです。はじめて見たときの感想は奥さん大好き!ってものでしたね。とにかくこの奥さんがかわいいのです。オットさんへの愛情が随所に感じられて、うらやましい限りです。

この本は読みやすいので通勤通学の電車の中で読み終わってしまうようなものなので是非是非手に取ってみてくださいな。電車の中での笑いすぎに注意ですよ。



2005年11月07日

プロフィールらしきもの

本を読んだり、サイトを見る時ってみなさんはどこから見ますか?

僕は最初に作者のプロフィールや略歴からみます。
どんな人がその作品や文章をつくったのかが気になるからです。彼、彼女の立場や地位、育った環境によって物事に関する視点が変わるから、それを確かめるという意味もあります。

なのに、このブログにはプロフィールがない!ということがずっと気になっていました。とりあえず立ち上げて、いくらかペースがつかめてきたら書こうと思っていたのですが、いざ書こうと思うとなにを書いてよいのやら・・・

ということで、遅まきながら書けることだけを簡単に書こうと思います。



ちょっと長くなってしまったので続きはこちらに
posted by kbb at 21:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記

東京奇譚集-村上春樹

「東京奇譚集」 村上春樹

東京願・集.jpgとうとう買ってしまいました。村上春樹の新作です。村上春樹の本はやっぱり安心して読めていいですね。でも、2時間ぐらいで読み終わってしまうのが物足りなくて悲しいです。。。

この本は5つの短編からなるのですが、彼の想像力のたくましさに圧倒されてしまいます。「偶然の旅人」の中のショッピングモールでの素敵な出会いや「どこであれそれがみつかりそうな場所で」の中の階段での様々な人との会話などなんだか懐かしい昔の村上春樹の作品に再会したようで嬉しかったです。

僕は小説家の書くジャーナリスティックな文章やエッセイなどがあまり好きではなく、村上春樹のアンダーグラウンドも読んでいません。アンダーグラウンドがでたときは「あぁ、これでまた一人読むべき作家が減ったな」と思ったのですが、またこうやって作品を生みだしてくれて嬉しく思います。


posted by kbb at 11:57 | Comment(0) | TrackBack(5) | 村上春樹

2005年11月06日

スウィング・ガールズ

テレビでやっていた映画「スウィング・ガールズ」を録画してさっきみました。

もう最高ですね。

ばらばらのみんなが一つにまとまっていく過程が泣かせます。下手なんだけどみんな一生懸命。

笑わせて泣かせる。 いい(≧∇≦)b
久しぶりに最後まで気を抜かずに見てしまいました。

これのサントラが欲しく欲しくてたまらなくなりました。
ドライブ中に聞いたら気分いいだろうな。
posted by kbb at 15:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

うれしかったこと。悲しかったこと。

昨日から今日の朝にかけてうれしいことやらかなしいことやらが立て続けに。

まずはうれしいことから。

やっとジェフ市原がタイトルをとりました!小学生の時サッカーをやっていたこともあり、Jリーグ発足元年の年に2戦目だったかしら、市原対ヴェルディを見てからジェフファンになりました。キーパーの下川健一が好きだったんだけど、今じゃそれもいなくて最近はとくに新聞とかでJEFのニュースを探すようなことはしていなかったんだけど昨日の生中継は最後までじっくりみていました。最後の最後までみんながんばって、足つりながら走り抜いてすごいね。ガンバの選手もすごかったね。決勝でPKできまるってことは両チームとも実力は一緒!運がよかっただけだと思う。ここまできたら連覇を願っています。ジェフがんばれ!

もう一つのうれしかったことは、昨日横浜スタジアムで行われた、今年応援していたアメフトXリーグチームが大差で勝ったこと。うれしかった〜。気分良くジェフの試合も見ていい昼間だったよ。

そして最後のうれしかったことは、やっとネット環境が光になりました。これで少しはイライラしなくてもいいのかな。でもいらいらするのは技術の進歩にならされた結果だと思っているから、きっとまだまだいらいらしつづけるんだろうと思うよ。きっと昔々の人たちは太陽がでるのが遅いなんていらいらしなかったんだろうね。

悲しいことは朝起きて突然やってきました。昨日応援していたアメフトのチームがファイナル6(プレイオフみたいなもの)に進むには、次の試合の結果次第だったのですが、朝ネットで検索して試合結果をみたら・・・。行けませんでした。片方が勝っても、引き分けでも、もう片方が38点差で勝ってもいけたんだけど。。。残念でなりません。まだ夢でもみているのかとしばらく呆然としてしまいました。

来季も応援するからがんばるのだ!

posted by kbb at 11:48 | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2005年11月05日

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由-スティーブン・ウェッブ

「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」 スティーブン・ウェッブ

広い宇宙に.jpgこの本は物理学者のフェルミという人が研究者仲間とのランチの時に言った、「みんな、どこにいるんだろうね」に対する50の反論が書いてある。フェルミは優秀な物理学者で原子力発電の原理など多くのことに関わっていた。彼の有名なエピソードにフェルミ推定の話しがある。例えば「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか?」などの答えの大きさを世界や日常の経験などをもとにおおざっぱな近似を求めるような推定である。

シカゴの人口はだいたい300万人→ピアノは世帯にある→一世帯はだいたい5人ぐらいだとしてシカゴには60万世帯ある→20世帯に一つピアノがあるとしてシカゴには3万台のピアノがある→ピアノは一年に一度調律が必要→調律師は一日に二台分仕事する。年に200日働いたとして一人年間400台調律できる→シカゴに必要な調律師は3万/400で75人。概数を求めているのでだいたい100人と推定できる。

といった具合に推定していく。この方法の利点は細かい数字が間違っていたとしても、計算をやり直せばいいだけである。要はどうやったら答えが考えられるかということのほうが大切であって、細かい数字はあとからいくらでも調節がきくのである。

この推定を利用してフェルミは地球にはとっくに誰かが来訪してもおかしくないと考えていた。銀河系に産まれる星の数、そのなかで惑星を持つような恒星の割合、生命を維持できる環境のある惑星の割合、生命が実際に育つ惑星の割合、生命が知的能力を発達させる割合、恒星間通信ができる文明が育つ割合、最後にそのような文化が通信を行う期間を考えると、もうすでにいくつかの知的生命が来訪するなり、連絡してくるなりしてないとおかしいという結論になるのである。もちろん個々の数字はわからないことの方が多い。しかし少なくともこういう風に計算はできる。

とまぁ、このような結論に対する反論が50個書いてあるのが本書である。
それらの反論は様々な分野から提出されている。進化論、社会学、物理学、宇宙論、確率論、はては言語学まで様々な理由が考えられている。それら一つ一つのわかりやすい説明がされており。宇宙人に興味がなくても、個々の研究がに興味がもてるようになっている。

どんな分野に関しても(地球外生命体に興味があるならば)最良の入門書になっていると思う。訳も難しくないので、一度本屋さんでパラパラとめくってみるとおもしろいと思います。


2005年11月04日

イタリアン

昨日は久しぶりにイタリアンが食べたい!!ということで代々木にあるイタリア料理「ふうが屋」に行ってきました。

ここは、安くてうまくてと入りやすくてと言うことなしのお店です。二人でおなか一杯たべてワインを一本あけて5000円いかないぐらいです。

おすすめは海の幸サラダ。それと毎日黒板に書かれるその日のおすすめがどれもおいしそうでいつもメニュー選びに悩んでしまいます。

テーブルがちょっとせまいのが難点ですが、ピザやパスタなどは二人で一皿頼めばおなかいっぱいになるほど大きいのでうれしい限りです。

場所がわかりにくい裏道にあるのですが、散歩がてらみつけてみるのも楽しいと思いますよ。


posted by kbb at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | おいしいお店

2005年11月02日

もう一度デジャ・ヴ-村山由佳

「もう一度デジャ・ヴ」 村山由佳

もう一度デジャ・ヴ.jpg最近村山由佳にはまっております。だいぶ前に買っておいたのですが、なぜか読み終わった本を入れる本棚に入っていて見逃していました。村山由佳の作品は読みやすくていいですね。すぐに読み終われるのもいい感じです。

ストーリーは簡単なのもので、現在の自分と前世の自分がリンクして交互に描かれ、それぞれの周りの人物もリンクしていて、生まれ変わりが強調してあります。生まれ変わっても結ばれる人とは結ばれるし結ばれない人とは結ばれないって、なんだか安心して読めるストーリーですね。舞台が学校で、前世のその人の役割を演じる人はあの人しかいないだろってことで最後の結末は予想できてしまって楽しめなかったのが残念です。



posted by kbb at 17:24 | Comment(3) | TrackBack(3) | 村山由佳

素数の音楽-マーカス・デュ・ソートイ

おくればせながらぼちぼちさぼってる間に読んだ本の感想をば

「素数の音楽」 マーカス・デュ・ソートイ

素数の音楽.bmp小学生の時は得意科目だったのに、中学・高校に入ると一気に不得意科目になってしまった数学。数学的な考え方や概念は興味があるのに、それを駆使して問題を解いたり、公式を暗記したりといったことが苦手な上に、字が汚くてさらに見直すということをしなかったために、問題を間違える→苦手意識という見事なダブルアタックをくらって成績は毎回赤点かぎりぎりセーフかってところでした。

本屋さんに行って自発的に本を選ぶ段階になって、数学の概念やらが書いてある本を手に取ることが多かった気がします。フェルマーの最終定理についての本や、素数の話し、数学が好きになる本なんてキャッチコピーがついてるともうレジに持っていっていました。

この「素数の音楽」はずばり素数について数学者が考えてきたことを2000年前のギリシャの時代からさかのぼって現代の最新理論まで網羅しています。といっても難しい理論やら数式やら方程式なんてのはあまりでてこなく、数学の素人の僕でも簡単に読めました。というより本を途中で置くことができず、暇があるとこの本を手にとっていて、眠くて眠くて本が手からずり落ちて朝起きると開いたまんまの本が布団の脇に毎朝転がっていました。結局500ページを越える本を3日で読んでしまいました。

素数の概念は小学生に説明しても理解できる単純なものです。それ自身か1でしか割れない数。この数は長い間人間、とりわけ数学者を魅了してきました。具体的には2.3.5.7.11...。これがどんな法則ででてくるのか未だにだれにもわかりません。この作品の中ではユークリッドの素数が無限にあることの証明から話しは始まり、ガウス、リーマンの素数に関する新しい視点による研究からカオス理論、量子力学、果ては言語学まで(ちらっとですけど)でてくる始末でした。ここまで色々な分野にまたがる「素数」って一体なんなんでしょうってことを一生懸命数学者は解き明かそうとしているんですね。リーマン予想と言われるリーマンの研究はこれを正しいという仮定のもとに様々な現代数学の理論ができているそうです。つまりリーマン予想が間違っていたと証明されたら現代の数学は壊滅的なダメージを受けるということです。そんな危険をはらんでいる素数が実は楽器のドラムのビートのようなふるまいをするということまではわかったらしいのですが、果たしてそのふるまいをさせているのがなんなのかがわからないようです。

著者の文章も読みやすく、訳者も専門家だと思うのですが(訳者プロフィールがなかった)読みやすい翻訳でところどころに訳注もはいっていてひさびさに最後までわくわくと読めた作品でした。

一人一人はばらばらに活動しているように見えるけど、みんなが一つの目標に向かって少しづつだけど前進していくのを見るのが結構すきなんだなと再発見させてくれました。



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