本のタイトルは過去記事またはアマゾンへ飛びます。出版社等の確認にどうぞ。

2005年12月31日

俺はその夜多くのことを学んだ-三谷幸喜

「俺はその夜多くのことを学んだ」 三谷幸喜

俺はその夜多くのことを学んだ.jpg三谷幸喜の短編に唐仁原教久のイラストがついた作品。このイラスト懐かしいなぁって思っていたらオキ・シローの作品がそういえばこの人のイラストだったなって思い出した。久しぶりに短編作品を読んでそういえば短編の方が好きだったんだったなんて惚けてきた。年なのかしらん。そういえば最近も友人に物忘れが激しくなったねって言われるし・・・。

ストーリーはある男が楽しいデートから帰ってきて、今日の甘い出来事を思い出してもう少しだけその甘い出来事を増やしたいと思ってデートした相手に電話をしてしまう。その時に学んだことが描かれている。一つ一つ紹介したいのだけれどそれだとこの本を読んだ時の驚きや喜びがなくなってしまうので一つだけ。

「掛けようかどうしようか迷った電話は、掛けてもろくなことがない」

確かにそうですね。ほんとに。何度同じ過ちを繰り返したことか。男性だったらわかるんじゃないかしら。でもこの作品は何を考えているのかわからないあの娘にこそ読んでほしいですね。男がデートから帰ったらどんな気持ちになるか、電話を掛けたくなるほど愛おしいその気持ちを女性は平気で踏みつけて踏みつぶしてゴジラが通ったあとの東京タワーのような惨状を心に残してくれますものね。

というわけで、今年も最後となりました。本のタイトルじゃないけれど、今年も多くのことを学ばせていただいたような気がします。辛かったこともあったけど、楽しかったことも多かったと思います。20年後に振り返ってみたときにただ通り過ぎただけの年ではなくなんらかの気持ちを思い出させてくれる年であればよかったと思います。今年は忘年会で思い出したくもない思い出を作ることもなく(忘れているだけだったりして・・・。)、かといって忘れられない思い出ができることもなかったけれど、最後まで楽しいお酒が飲めました。

夏休みの絵日記や朝顔の観察日記ですら8/31にまとめてやろうとして終わらずに結局提出しなかったような僕ですが、なんでかまじめにつけ続けているこのブログもだんだん見てくれる人が多くなってうれしい限りです。

今年も本当にありがとう。みなさまよいお年をお迎えください。ではではまた来年。

2005年12月30日

映画 模倣犯

模倣犯.jpg模倣犯原作.jpg

テレビでやってたのを見る。なんじゃこりゃ。こんなに裏切られた映画って久しぶりにってかはじめてみたかも。たしかにあの長い原作を2時間にまとめるのは大変だとは思うけど、ただただ原作のダイジェストって感じで、原作にあった登場人物それぞれの心理描写が一切描かれていないし、だから深みがまったくないし。

この映画って誰に向けて作ったんでしょうね。読んだ後の人だったら最悪って感想しかないだろうし、まだ読んでない人向けだったら原作買う気にはなれないだろうし、中居君ファン向け?よくこれで宮部みゆきがokだしたなぁと・・・。これなら原作の方をおすすめします。

そのあとに見た「世にも奇妙な物語」の再放送の方がよっぽどおもしろい。
posted by kbb at 14:35 | Comment(0) | TrackBack(1) | 映画

冷静と情熱のあいだ Blu-辻仁成

「冷静と情熱のあいだ Blu」 辻仁成

冷静と情熱のあいだBlu.jpg前回の「冷静と情熱のあいだ Rosso」に続いて辻仁成の「Blu」を読む。一つのストーリーを「Rosso」は女性側の視点から、「Blu」は男性側の視点から描いている。遜正と別れた後のアオイにもストーリーがあったけれど、アオイと別れた遜正にもストーリーがある。友人から聞いたのだけれど、これって章ごとに交互に書かれている版もあるんだって。今更だけれどそれで読みたかったなんて後悔。

それにしても遜正って最低の男ですね。アオイのこともフッテいるのですけど、その後に出会った芽実もフッテいるのです。だいたい女の子をフル男なんて最低です。別れたくなったらフラせてあげないと。フルって行為はなんらかの理由付けがあってはじめてできるものだから、別れたあとに次の恋愛にいきやすいけど、フラレタ方はなんらかの兆候はあったにせよ、どうしたら修復できるかって考えるものだと思うから、「なんで、なんで?」ってなってしまって、次の恋愛に行きにくい気がします。そんな辛い思いを少しでも好きだった女の子にさせるなんてよくない!だからこそ男は常にふられないとね。といってフラレ続けてるいいわけをしているわけじゃないですよ(笑)

遜正は芽実と同棲をするのだけれど、僕は同棲ってのは二人をうまくいかせないための方策なんじゃないかと思う。お互いに帰る場所があってお互いの家に入り浸るのはいいこととまでは言わないけれど、決して悪いことではないと思う。でも同棲ってしてしまったらずっと一緒にいなければならないでしょ。だから顔を見たくないとか今日は一人で寝たいって時にも帰る場所がないなんて辛すぎる。芽実との場合は仕方なくだったけれど、その時の寂しさや楽しさといった感情にまかせて同棲を始める人がいるけれどもうちょっと考えてみようよ。アオイとはお互いに帰る場所があって半同棲みたいなことをしていた遜正だけれど、これが一番楽しいつきあいなんじゃないかなって思うな。

結局、アオイとの他愛のない約束は二人がフィレンツェのドゥオモの上で再会することで果たされるのですけれど、二人のその後について少し考えてみました。二人は元通りにうまくやっていけるのでしょうかね。それとも終わらせた方がいいのでしょうかね。僕はここで終わるべきだと思うな。人の人生は一本のまっすぐな道路のようなものだと思います。何本もの道路と交差して終点まで行くけれど、一度交わった道路とはもう二度と交わることはできない。その二本の道路は平行ならば決して交わることはない。直角ならば一瞬の出会いで終わってしまう。でも平行に近ければ近いほど、その二本は一緒にいる時間が長くなります。でもいつか別れてしまう。それが人と人との出会いかなって思っています。だから遜正とアオイの道路は一度離れてしまったのだから、もう二度と交わることはないのではないかな。たぶんやりなおしてもうまく行かない気がする。一度離れてしまった心は戻らないと思うから。二人が約束を思い続けたことで二人は離れていなかったんだよっていうかもしれないけど、それについては「そうかもしれない」としかいえない。神のみぞ知る。

辻仁成の作品は初めて読んだのだけれど、他のも読んでみようかなって今は思っています。他にどんな作品を書くんだろってちょっとだけ興味。とりあえずこの記事のカテゴリーは江國香織のところに。
posted by kbb at 04:47 | Comment(4) | TrackBack(0) | 江國香織

2005年12月29日

ドラえもん最終話Flash版

はまだ残っているようなので、ご紹介。

ドラえもん最終話Flash版


設定にムリがあってドラえもんは映画「Back to the Future」のデロリアンのように生ゴミから原子力エネルギーを得られるようなので電池切れは起こらないとのこと。にしても完成度は高いと思います。

前の記事で紹介したのと内容は同じもののようです。
posted by kbb at 13:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

脳力テスト

最近脳力が落ちているとお思いのそこのあなた。

テストしてみませんか?なかなか素敵なサイトを見つけてきました。

PANELS(中央のパネルをクリックしてスタート)

問題文をじっくりと読んでからはじめてくださいね。

大丈夫。あの素敵な子と違ってタイミング逃したとしても逃げたりしませんから。

ビール飲みながらやると酔いが回るのが早いのでご注意を。

ちなみに僕はB++で中田英寿並って言われました。うれしいやらかなしいやら。
posted by kbb at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

冷静と情熱のあいだ Rosso-江國香織

「冷静と情熱のあいだ Rosso」 江國香織

冷静と情熱のあいだRosso.jpg文庫本で読む。先に江國香織の方を読んでから辻仁成の方を読むといいってどっかで聞いてこっちから。アオイと順正の物語をアオイ側から見た物語。20歳のときのちょっとした約束-アオイの30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオモの上で会おう-を別れた二人が果たすストーリー。

最初はイタリア語とか地名とかでリズムを崩されてうまく読み進められなかった。出てくるイタリア人の名前も男だか、女だかわからなくなってどっちだ!?なんて考えながら読む。でも途中からリズム感もよくなっていく。

本を読みながらずっと、前に短い間だったけどつきあった彼女のことを考えていた。その子は僕に江國香織の本を紹介してくれた子だった。その子は僕とつきあう前、長くつきあった彼がいたらしい。そしてその彼とのけんかに消耗していたころに僕と出会った。江國香織の作品を紹介してくれたときに彼女は言った。「彼女の作品にでてくる女の子のように癒されたいんだ」と。

アオイは順正との楽しかった学生時代の恋愛をすれちがったまま終わってしまう。そこで消耗してしまい、イタリアに帰って東京を忘れようと努力しながら、彼女の過去にはけっして踏み込まない恋人マーヴと同棲する。彼女の趣味は夕方のお風呂と読書。消耗を癒すかのように彼女はその怠惰な生活を続ける。マーヴは決して彼女には踏み込まず、完璧な恋人を演じる。そんな二人にもすれちがいはやってくる。結局それを修復することはできず、同棲は解消される。アオイは順正との約束の日、何気ない日常から順正の元へ向かう。

僕はマーヴにはなれなかった。彼女はアオイだなんてそんな共通点をみつけて喜ぶような子供じみたことを言うつもりはない。でも彼女がマーヴなり他の江國香織作品にでてくる男性のように踏み込んでこない恋人を求めていたような気がする。でもいいわけさせてもらえるなら、マーヴとアオイだってうまくいかなかったじゃないか。過去の積み重ねで現在があるのに、その過去に触れずに二人がいることはできるのだろうか?そんな対処療法的な関係が長続きするとは思えないし、よりいっそう彼女を傷つけてしまうような気がする。結局マーヴもアオイの過去が見え隠れしてきて、それに触れようとして、二人のすれ違いがはじまる。マーヴはよくがんばったと思うよ。僕はマーヴにはなれなかった。彼女の傷を癒そうとして、性急すぎたのだと思う。もうちょっとゆっくりしていたらなんて思うけど、もう終わった事だしね。どうしようもできないや。

アオイと順正が再会する場面で、彼を見つけてアオイがなんて声をかけていいかわからず思わずでた言葉

「来ちゃった。」

ってのがいいね。思いがけずした行動だったけれど、お互いを思っている二人の間に言葉なんて必要ないんだと思う。ただただ「来ちゃった。」と言われた彼は彼女を抱き寄せてやればいい。突然会いに行ったら迷惑かな?なんて言ってるそこの女の子。彼は待ってるかもしれませんよ。ひとこと「来ちゃった。」と言って彼に抱き寄せられに行きましょう。そういえば前にまったく同じアドバイスをしたのに実行しなかった子がいたなぁ。
posted by kbb at 05:34 | Comment(2) | TrackBack(1) | 江國香織

2005年12月28日

生協の白石さん-白石昌則

「生協の白石さん」 白石昌則 東京農工大学の学生の皆さん

生協の白石さん.jpg友人に借りて読んで見ました。今売れに売れているネット発の本です。(もう遅いですか・・・。そうですか。)農工大学の生協に勤める白石さんの利用者からの質問や要望に答えるひとことカードの答えがおもしろいってんで広まったのが最初ですね。僕は「pya!」で出たときから知っていたのですが、おもしろいなぁなんておもっているうちにブログ「がんばれ、生協の白石さん!」なんてできて、あれよあれよの間に本になって売れていましたねぇ。

で、友人に借りて読んでみたんだけれど、やっぱり白石さんの人柄というか彼の返答は素敵ですね。結構時間かけて書いているのかしらと思っていたのだけれどそんなこともないらしく、きっと頭の回転が速いというか物事を多角的にみる目を持っているのでしょうね。例えば

「愛は売っていないのですか・・・?」

という質問に

「どうやら愛は非売品のようです。もしどこかで販売していたとしたら、それは誰かの罠かと思われます。くれぐれもご注意ください。」


なんて答えがあったりして、どこかで販売してたらそれは罠、なんて答えなかなか思いつけないなぁってびっくりしてしまいました。きっとこんな人と飲みながら話したら時間があっという間に過ぎるんだろうななんて思いつつ読み進めました。

でも、この本の紹介をどっかで読んだのですけど、そこにビジネス本として最適!なんて書いてあって、確かに人と人が接するって点で教えられるところはあるかもしれないけど、ビジネス本として読んでも面白くないだろうになんて思っていたんですけど、そういえばもう何年も前の話しですけど自分も働いているときにお店でお客様との距離を縮めるためにひとことカードのようなものをやろうとしたことがあったなぁなんて思い出しました。

お店の従業員でいろいろ話し合って、ひとことカードをおいて、それに回答をかいてコルクボードに貼り付けてコミュニケーションをとれたら距離が縮まるかなぁなんて思って実際やってみたのですけれど、挫折したんですよ。なんでかというとね、3ヶ月ぐらいやったのですけど、お客様が誰一人としてカードを書いて箱にいれてくれなかったんです。別にお客様がほとんど来ないお店だったわけでもなく、そこで20年近く営業しているお店だったにもかかわらずですよ。そのときは本当に難しいなぁって感じました。そんなことを思い出しながら読んでいたら白石さんや生協の人たちすごいなぁなんて感じました。今ならこれを参考にもう一回やってみたいし、お客様もおもしろがってカード書いてくれたかななんて思うんですけどねぇ。

それにしても白石さんがこの本の印税でいくら入ってくるんだろうなんて考えちゃう不純な僕には白石さんのような答えはできませんね。

2005年12月27日

NANA14巻-矢沢あい

「NANA 14」 矢沢あい

NANA14_.jpgほらね。これだからマンガは・・・。一回読み始めちゃうと新しいのでたらすぐに読まないと気が済まなくなるでしょ。

なんだか、だんだん面白くなくなってきたって思ったのは僕だけでしょうか・・・。
登場人物がさっぱりわからないんですけど、顔がみんな一緒なんだもん!

ハチにはがんばってもらいたいです。
posted by kbb at 12:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | コミック

凍りついた香り-小川洋子

「凍りついた香り」 小川洋子

凍りついた香り.jpg「博士の愛した数式」の小川洋子の小説。「博士の〜」ではおもいっきり泣かせてもらったので楽しみに読み始める。調香師の弘之が恋人涼子のために香水を完成させた次の日に遺書もなく兆候もなかったのに自殺してしまい、涼子と弘之の弟、彰の二人でその理由を探していくというストーリー。弘之は経歴や特技など弘之自身のすべてを偽り調香師となり、なにも明かさず涼子とつきあっていた。突然恋人を亡くし、しかもその経歴すべてが偽りであったと知り涼子はわけがわからなくなるが、自殺の理由を突き止めるために行動をはじめる。「博士の〜」と同じように、この小説でも「数学」と「記憶」が大きな鍵となっていく。

裏表紙のあらすじには謎解きのストーリーと紹介されているのに、結局最後までなんで死んだのかの説明はまったくなく、イメージ的な言葉を連ねていて、文章は読みやすくキレイな情景を浮かべることができるのだけれどすっきりしなかった。謎解きが始まるなんて書いておいて謎を残すなんて・・・。期待して読んだ分ショックが大きかった。数式の美しさについての描写や調香師が匂いを表現する言葉なんてのは興味深かったんだけどそれだけだった。

でもなんだか他のひとの書評ブログとかみてるとべた褒めなんだけどこれって僕が読めてないだけなのかしら・・・。なんだか不安になるわ。

これを書きながら気付いたのだけれど、この小説のヒロインの名前って昔つきあってた彼女の名前と同じだったんだ・・・。なんで読んでる途中に思い出せなかったのだろうか・・・。なんてヒドイ男なんでしょう。
posted by kbb at 04:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小川洋子

2005年12月26日

日本語の乱れ-清水義範

「日本語の乱れ」 清水義範

日本語の乱れ.jpg言葉、特に日本語をテーマに書かれた短編集。タイトルを見るとみごとに昨今の日本語ブームに乗っているようだが、単行本としての発売が2000年だからブームよりも前に書いたものみたいです。こんなタイトルついてるけど、清水義範は今の日本語ブーム特に「正しい日本語」ってやつに批判的な立場からこの小説集を書いている。

社会学的考察によると(社会学なんてよくわからないけど)日本語ブームは周期的におこって、それは不況時に行き詰まりを感じたマスコミ・国民が今のままじゃだめだってんで、自己を見つめ直すときに起こるらしいです。自己のアイデンティティを一番確認しやすいのが自分が今話している言葉ってことで、日本語を見つめ直そう、今話している日本語は正しいのか?世代間で使っている言語が異なるのはおかしいなんて議論になって「正しい日本語」を使いましょう、「正しい日本語」とはこんなんですよ、なんて風潮になって日本語ブームは起こるらしいです。

でも、果たして「正しい日本語」なんてのは存在するのでしょうかね?話し手(発信者)が発話して、それを聞き手(受信者)が理解・解釈できた時点でその言葉は意味を伝えるという機能は果たしているのだから、言葉としては十分なはずです。もちろん、理解・解釈するのにかかる労力が高いもの、例えば最近よくみかける著しく読みにくい字、いわゆるギャル文字と呼ばれるもの(キリル文字などをひらがなや漢字に見立てるやつやなんでかしらんけど小さくできる文字は小さく書くってやつ)を使って書いてあるものや、よくわからない略語などは意味が通じないという点で「正しくない」と言えるのかもしれませんが、「ほとんど」は否定の意味にしか使えないとか「ら抜き言葉」がおかしいとかってのはどうなんでしょうね。だってちゃんとコミュニケーションとれているでしょ。

最近テレビで正しい日本語をクイズの題材としているものが多く、先日見たのだけれど、そのクイズの問題に漢字の書き順の問題が出ていたのです。確かに文字を美しく書くために先人たちは漢字の書き順を考え出しました。別に芸術としての書道は否定しません。でもそれを「正しい」、だからこの通りにしなさいというスタンスで作られた番組に違和感を感じてしまうのです。山茶花(サザンカ)という花の名前、漢字と音が合っていませんよね。これって元々はサンザカって名前の花だったらしいですよ。それが自然な音変化を起こしてサザンカになったそうです。でも現代の人で元々サンザカなんだからサザンカはおかしいって言う人はいないですよね。

言葉は常に変化しているものだし、それを大多数が受け入れた時点でそれは正しい言葉になるのに、歴史をひもといてそんな意味で使ってこなかったなんて議論が果たして有用なんでしょうかね?昔どっかで読んだのですが、元々日本には文字がなく、話し言葉だけだったそうです。中国から漢字を輸入してそこからひらがなとカタカナが生まれました。平安時代に女性によって生み出されたそうです。今のギャル文字も将来同じ経過を辿る可能性はあるのではないか?とその人は言っていたと思います。確かに、自分が読めない文字が流通するのはとても怖ろしいことだと思うけれど、それが流通するのなんて何百年単位の話しだと思うし、言語文化は緩やかにしか変化しないのだからそこまで目くじらをたてることもないと思うのだけれどねぇ。

とここまで書いてきたけれど、僕自身は略語ってものをなるべく使わないようにしています。使ってしまうこともあるけれどね・・・。もちろん誰かが使ったのが理解できれば、それに対して文句を言うようなことはしないけれど自分自身が使う気にはなれないのです。もうすぐ日本中でメールの文面で飛び交うであろう「あけおめ」や「ことよろ」なんか自分では使わないでしょうね。でも「ことば」に興味がある僕としては結構注意して観察しています。最近日本語で、特にそんなの略す必要ないのに略されている言葉が多いとおもいませんか?「よろしく」を「よろ」とかね。それってメール、特に携帯電話のメールを打つのがめんどくさい人が労力を減らすために意味が通じるところでやめた結果意味が通ればいいやなんてので増えてきてるんじゃないかなって携帯電話のメールを打つのに疲れを感じながらこのあいだ思ってみました。

以前聞いておもしろいなぁって感心した略語が

「まじょたく」→「魔女の宅急便」

ってのでした。みなさん意味わかりますか?文脈があれば理解できるかもしれませんね。そうそうジブリ作品のあのタイトルですね。略語ってよく使うから短縮されていくようなイメージがありますけれど、「魔女の宅急便」を含む発話なんて年に何回するのでしょうかね?もしくは何年かに一回、新しいジブリ作品が公開される直前に過去の作品をテレビで一挙放映なんてときにしか使わないと思います。でも、使ってしまうし、意味も理解できるってところが言葉を研究するおもしろさの一つかななんて思っています。

まぁここまでだらだら書いてきて何が言いたかったかっていうとこんな本が「6割正解したら安心」なんて、人の不安を煽るような宣伝をしているのが許せないってことです。
posted by kbb at 05:34 | Comment(0) | TrackBack(3) | 清水義範

女性を一番魅力的にする化粧は

昨日は電車にしろ街中にしろカップルだらけでしたね。普段の倍、いや3倍以上のカップルをみていままでどこに棲息していたんだろうって不思議になりました。

昨日出会った素敵なカップルの話をここで。

すいた車内で仲良く座っているカップル。二人とも高校生のようだ。彼女はけっして人目をひくような顔立ちをしているわけではない。化粧がうまいともいえない。しかし自然と彼女の表情に目がいく。彼のたわいもない話しで彼女の笑顔がよりいっそうはなやぐ。彼女は彼を見上げて口元を大きく綻ばせて彼に微笑みかける。それを見て彼も彼女に微笑む。女性を一番魅力的にする化粧は笑顔なんだなって。そんなクリスマスイブ。自分にそういう女性ができた時に彼女が魅力的であり続けられるように自分にもできるか自問自答。なんだかここから物語がはじまりそうだけど今日はここでおしまい。

電車内でこんな風に観察して妄想して微笑んでさえいた僕を見つけても通報しないでくださいね。
posted by kbb at 00:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年12月25日

わーん

有馬記念の結果今しりました。一言叫びたくて携帯から投稿。ディープインパクト中途半端なことするな!連に絡むなら一着になりなさい!それにしてもハーツクライとは。まったくノーマークでしたよ。当たった人おめでとう。来年はディープインパクトのリベンジできまりですね。
posted by kbb at 19:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

もしも私が、そこにいるならば-片山恭一

「もしも私が、そこにいるならば」 片山恭一

もしも私が、そこにいるならば.jpgクリスマスだからなわけじゃないけど、「世界の中心で、愛をさけぶ」で純愛ブームにうまく乗った片山恭一の中編3作収録の作品集を読む。恋愛小説なんてめったに読まず、むしろくだらないとさえ思っている友人に薦められて読んだ「世界の中心で、愛をさけぶ」をいい(≧∇≦)b と思ってその後期待して「きみの知らないところで世界は動く」を読んで大きく裏切られた片山恭一。今回の作品はだからあんまり期待して読まなかったからか、不思議とすーっと世界にはいっていけた。

僕は作家ってのは文章がうまいのは必須だとは思っていない。世の中に文章がうまい人間なんてゴマンといる。そりゃ文章がうまいにこしたことはないけど、文章が下手な作家もゴマンといる。じゃあ作家と彼ら文章がうまい人たちを分けるものはなにかというとそれはやはり、何を言いたいか、その作品にどんなメッセージを込めているかだと思っている。作品を通して作家それぞれのそういったメッセージを読みとりながらその作品の世界に入っていけたときは至福を感じる。

片山恭一にはそのメッセージがちゃんとあると思う。「世界の中心で、愛をさけぶ」「きみの知らないところで世界は動く」を読んで感じた彼のメッセージは「一番好きな人とは結ばれない」ではないだろうか。もしくは「人と人(親子、友人、恋人、ペットを問わず)は必ずいずれ(生死を問わず)別れなければならない」だと思う。もちろんこんなメッセージは使い古されて手垢がびっしりとついたようなものだと思うけれど、でも彼が一番伝えたい、伝えなければならないと思っているメッセージなのだろう。そして、人が事実としては認識しているけれど受け入れることができない事実でもあると思う。もしかしたら片山恭一自身がそういう経験をしてそれを受け入れる過程として文章を書いているのかもしれない。そのメッセージがちゃんと込められていたからこそ、「世界の中心で、愛をさけぶ」もあんなに売れたのだろう。もちろん流行の波にどっぷり浸かってうまい具合に流されたのも理由の一つだと思うけど、そんなに人間ばかじゃないと思いたいので、そのメッセージ性みたいなものがそのときはちゃんと受け入れられたのだと思う。でも作家にとっては売れたかどうかよりも(もちろん生活のためには売れた方がよいだろうし、読まれるという点でも喜ばしいと思うが)、より重要なのは作品にちゃんとメッセージが込められたかどうかなのだろうと思う。今回の作品にもちゃんとそのメッセージが込められていて安心して読めた。

片山恭一はそのメッセージを込めるのに、ストーリーにちょっとムリがあるような作品が多いけれど、この作品集の"鳥は死を名づけない”はストーリーに無理がないのでよけいそのメッセージがちゃんとわかりやすく、世界にも入っていきやすかった。「世界の中心で、愛をさけぶ」よりもこっちのほうが好きかも。

それにしてもタイトルの「そこ」ってのがどこだかはさっぱりわからなかったよ。

最後におもしろいなと思ったところをチョッと長いけど引用。

(国語教師である主人公が授業中に「異邦人」の冒頭を読んで)
"きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。"

この文章について、周作は生徒たちに質問する。この主人公の性格は?
(中略)
様々な答えが返ってくる。冷たい。落ちついている。感情が乏しい・・・みんな違う。さらに当てつづける。一人の生徒が答える。わかりません。はい、正解。
(中略)
わかるわけがない。書いてないのだから。書いてない部分を、子供たちは推測しようとする。
                           ("九月の海で泳ぐには" 169-170ページ)

人は言葉をヒントにして人の考えていること、思っていることを推測しようとする。わかるわけがないにもかかわらずそこに正解があると信じて推測を繰り返す。だから人と人との間に誤解が生まれ続け行き違いが生まれるのかもしれないね。

posted by kbb at 06:56 | Comment(0) | TrackBack(1) | 片山恭一

2005年12月24日

やっぱり一番の思い出はオグリキャップの勝利だね。

有馬記念.jpg有馬記念ということで久しぶりに馬券を買ってみました。

本当はディープインパクトに勝って欲しい所だけれど、ここはお兄さんたちにガンバってもらおうと思い上の世代から2頭。

3-15 ゼンノロブロイーデルタブルースの1点買いで。

当たれば飲み代が稼げるわ(^.^)オホホホ

P.S. イクノディクタスも好きでした。
posted by kbb at 14:45 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記

放電生活者って名づけられました。

TBいただいたブログ(Picasoのぴー様)を見ていたらおもしろい記事を見つけた。

博報堂調査、2006年はブログやSNSで自己活性化する“放電生活者”が登場

様々なメディアでの情報収集を"充電"と名づけて、週に一回ホームページやブログを更新する人を”放電生活者”と名づけたようだ。なかなかおもしろいネーミングだと思う。

確かに世の中に様々な新しいメディアが生まれて"充電"する機会が増えた割にはそこまではそれを"放電"する機会が少ないだろうし、新聞記者でもなければ、それを一般に発表する機会なんて本を書くことしかなかったはずだ。それがブログの広まりで一般の人でも"放電"する機会が増えたのだろう。

僕もきっといろんなメディアで収集した情報をどっかで発散して体の中から追い出したいと思ってブログなんて書いているのかもね。友人と毎日飲むことなんて時間的にも経済的にも体力的にもできやしないからねぇ。

ほら今だって充電したそばから放電してるし。容量が少なすぎないか?
posted by kbb at 11:05 | Comment(2) | TrackBack(1) | 雑記

酒呑みの自己弁護-山口瞳

「酒呑みの自己弁護」 山口瞳

酒呑みのゥ己弁護.jpg今日はクリスマスイブですね。この時期はクリスマスに忘年会、新年会とお酒を呑む口実が多くて酒飲みにはありがたい季節ですね。どんな口実でもありがたいのだからクリスマスなんておおっぴらに他人の誕生日を祝うようなものでよいいいわけですよね。というわけでこの時期にちょうどよい本を見つけたので読んでみました。酒と野球と競馬と人間が大好きだった山口瞳のそれこそお酒を飲む口実をいくつもいくつもあげているエッセイ。元サントリーの宣伝部にいただけあって酒を欠かすことがなかったらしい山口瞳。彼は彼なりに毎日毎日酒を呑むことに罪悪感、もしくはいいわけを必要とすることを感じていたのだろう。それがこのエッセイで描かれている。酒呑みの口実なんて今日はちょっと寒いからなんてので成立しちゃうのだからなんでもありだと思うけど。

でもいくらどんないいわけをあげつらったところで彼のこの言葉に集約されるのだと思う。

「酒の害は楽しすぎることにある。」

これ以上に酒を呑む理由なんてみあたらないだろう。

このエッセイでは様々な酒呑み人のエピソードも描かれているがその中の一人に酔うと必ず電話魔になる人のエピソードがでてくる。自分がそうだからずいぶん身近に感じてしまった。酔うと電話をせずにいられない。寂しがりやだからなのだろうが一人で呑んでいたり、人と呑んで楽しい時間を過ごした帰り道に一人で家までの道を歩いているときふっと寂しくなって電話してしまう。たいていは呑んだ帰りだから0時をまわっているのだけれどかけるときにはそんなこと考えもしない。電話は便利な物で、一緒にいると煩わしくなっても一緒に居続けなければならず放っておくことはできないけど、電話なら通話終了ボタンを押せばそれで終わり。家に帰るととたんに暖かい布団に入りたくなるもので電話をきりたくなる。そういうときに電話をかけられた友人は心得てるもので「そろそろ切りたそうだから切ってあげる」なんていってくれる。ずいぶんといい友人をもったものだ。で、朝起きて電話の発信記録を見て自己嫌悪っていうパターンなのだよね。寂しがりやのくせに自分勝手なのね。申し訳ないと思いつつも感謝しています。

というわけで、どういうわけだかわからないけれども、酒呑みのみなさんは今日明日ぐらいは大手を振るって胸を張って呑みましょうじゃありませんか。幸い土日ですしね。たまにはつぶれてしまうのもいいものですよ。よいクリスマスをお迎えくださいな。

メリークリスマス

ってのはいつ言う挨拶なのかしら?と今日会った友人と話していました。イブなの?それともクリスマス当日?そもそもキリストは明日生まれ?今日生まれ?知ってる方教えてくだされ。

なにはともあれ平和(自分にとってっていうすごい自分中心的な考え方かもしれないけど、すくなくともこの周りだけでも)であって欲しいと思います。

みなさんも楽しいクリスマスが過ごせますように。
posted by kbb at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年12月23日

ドラえもん最終話

ドラえもん最終話がネット上で話題になっているらしいので紹介。
といってもほんまもんじゃないらしいので誤解しないであげてください。
しずかちゃんが色っぽくてどきっとしてしまいました。ちょっぴりほろっときてしまいましたよ。

でもこれって著作権大丈夫なんでしょうか・・・。

ドラえもん最終話(削除されたようです。転載者のコメントが載っています。)
posted by kbb at 15:49 | Comment(2) | TrackBack(4) | コミック

蛇を踏む-川上弘美

「蛇を踏む」 川上弘美

ヨを踏む.jpg久しぶりに川上弘美の本を読む。やっぱり好きなんだなぁと確認確認再確認。"蛇を踏む"、"消える"、"惜夜記"(あたらよき)3編収録の作品集。

"蛇を踏む"は蛇というキーワードを用いて自我の放棄と他者への変身がテーマだろうか。"消える"は未来小説のようでいて現代の家族論といえる。”惜夜記”は輪廻がテーマか。

なんて硬いことをここで語りたいわけではないのだ!本なんて読者一人一人解釈が異なってよいと思うし、同じ読者でも読んでいる状況や年齢、時間とともに解釈・感想やそれによって得られる印象は異なる物だと思っている。(読みが浅いことのいいわけにしかならなかったりして(笑))

っていうか正直なところ何がいいたかったのかよくわからないってのが素直な気持ちです。無理して言えば上のようなことが言えるかなぁぐらい。”蛇を踏む”は芥川賞とっているらしいです。ジュンブンガクが対象の賞らしいですよ。ジュンブンガクなんてよくわからないもの。ジュンブンガクとそれ以外の境界すらしらないのにねぇ。

でもね、正直に言えば川上弘美の作品は僕に性的興奮を感じさせてくれるってことに気付いたんです。書いてある内容とか表現がそうだってわけではなく、彼女の紡ぎ出す言葉それ自体が性的興奮を感じさせるんです。彼女の作品は一種の官能小説のようなものじゃないかと。それもイタリア人やブラジル人のような濃厚なキスを伴う興奮でも、おいしいコーヒーシリーズのショーリとかれんのまだ幼い、それでいて不可欠なキスのようなわけでもなく、ただただ静かに興奮している自分がいるのです。それは体に変化を起こすさせるようなものでは決してなく、また自分がそういう状態になる過程にも気付くことはありませんし、鼻息が荒くなったりもしません。いつのまにかその状態にある自分に気付くだけです。彼女の作品を読んでいると内容が全然頭に入っていないのに、彼女の言葉のリズムのせいでどんどんページが先に進んでいることがあります。だから途中で読み差しておいておくとどこまで読んだかわからなくなります。しおりをはさんでおいてもどこだかわからなくなってしまうのです。彼女の言葉がいつのまにかぐるぐると自分の周りを取り囲んでいて、それによってもたらされる心地よい性的興奮。それが彼女の本を手にとってしまう原因なのではないかと思う。

"惜夜記”は19編の短編で構成されている作品なのですが、「ビッグクランチ」、「カオス」、「シュレジンガーの猫」、「クローニング」、「ブラックホール」、「フラクタル」、「アポトーシス」なんて言葉がそれぞれのタイトルについていてさすが理学部出身で理科教師をやっていただけあるなと思わされる一方で、それらの言葉が確実に作品のイメージ構成にしっかりと役立っているなと実感しました。書評とかで彼女の紡ぎ出す言葉が素晴らしいと書いてあるのを読んだことがあるのですが、それはこういったことだったんだなぁと再確認。

表紙の絵がどうしてもドコモダケに見えてしまって、ドコモショップの美人の小田さんのこととかいろいろと昔のことを思い出したのはナイショの方向で。
posted by kbb at 12:43 | Comment(4) | TrackBack(1) | 川上弘美

2005年12月22日

蹴りたい田中-田中啓文

「蹴りたい田中」 田中啓文

蹴りたい田中.jpgタイトルからもわかるとおり、ダジャレのオンパレードの茶川賞(芥川賞じゃありません)受賞の表題作を含む田中啓文の遺稿集というか作品集というか。

ダジャレというか言葉遊びも秀逸なのも結構あるのだけれど、こじつけが多くあり、途中で結構飽きてしまった。ただ楽しければいいのなら、テレビで漫才でもみてればいいと思うし。それなりにおもしろい設定のものもいくつかあり楽しめるけれど絶対おすすめってわけにはいかない。

一つだけすごいなと思ったのが、"赤い家”という短編。蚊の世界の刑事と人間の刑事が共同で難事件を解決するという推理?物。こんな設定を考えられる想像力があるなら他のももう少し・・・。と思うけど、でも文章のうまい作家さんだと思うので、好き嫌いをはっきりさせるのは他の短編集を読んでからにしようと思う。

それにしても、このタイトルだと、今はまだ覚えている人が多いからいいけど5年後ぐらいに元ネタがわからない人は絶対手をとらないんじゃないだろうか・・・。