本のタイトルは過去記事またはアマゾンへ飛びます。出版社等の確認にどうぞ。

2005年12月31日

俺はその夜多くのことを学んだ-三谷幸喜

「俺はその夜多くのことを学んだ」 三谷幸喜

俺はその夜多くのことを学んだ.jpg三谷幸喜の短編に唐仁原教久のイラストがついた作品。このイラスト懐かしいなぁって思っていたらオキ・シローの作品がそういえばこの人のイラストだったなって思い出した。久しぶりに短編作品を読んでそういえば短編の方が好きだったんだったなんて惚けてきた。年なのかしらん。そういえば最近も友人に物忘れが激しくなったねって言われるし・・・。

ストーリーはある男が楽しいデートから帰ってきて、今日の甘い出来事を思い出してもう少しだけその甘い出来事を増やしたいと思ってデートした相手に電話をしてしまう。その時に学んだことが描かれている。一つ一つ紹介したいのだけれどそれだとこの本を読んだ時の驚きや喜びがなくなってしまうので一つだけ。

「掛けようかどうしようか迷った電話は、掛けてもろくなことがない」

確かにそうですね。ほんとに。何度同じ過ちを繰り返したことか。男性だったらわかるんじゃないかしら。でもこの作品は何を考えているのかわからないあの娘にこそ読んでほしいですね。男がデートから帰ったらどんな気持ちになるか、電話を掛けたくなるほど愛おしいその気持ちを女性は平気で踏みつけて踏みつぶしてゴジラが通ったあとの東京タワーのような惨状を心に残してくれますものね。

というわけで、今年も最後となりました。本のタイトルじゃないけれど、今年も多くのことを学ばせていただいたような気がします。辛かったこともあったけど、楽しかったことも多かったと思います。20年後に振り返ってみたときにただ通り過ぎただけの年ではなくなんらかの気持ちを思い出させてくれる年であればよかったと思います。今年は忘年会で思い出したくもない思い出を作ることもなく(忘れているだけだったりして・・・。)、かといって忘れられない思い出ができることもなかったけれど、最後まで楽しいお酒が飲めました。

夏休みの絵日記や朝顔の観察日記ですら8/31にまとめてやろうとして終わらずに結局提出しなかったような僕ですが、なんでかまじめにつけ続けているこのブログもだんだん見てくれる人が多くなってうれしい限りです。

今年も本当にありがとう。みなさまよいお年をお迎えください。ではではまた来年。

2005年12月30日

映画 模倣犯

模倣犯.jpg模倣犯原作.jpg

テレビでやってたのを見る。なんじゃこりゃ。こんなに裏切られた映画って久しぶりにってかはじめてみたかも。たしかにあの長い原作を2時間にまとめるのは大変だとは思うけど、ただただ原作のダイジェストって感じで、原作にあった登場人物それぞれの心理描写が一切描かれていないし、だから深みがまったくないし。

この映画って誰に向けて作ったんでしょうね。読んだ後の人だったら最悪って感想しかないだろうし、まだ読んでない人向けだったら原作買う気にはなれないだろうし、中居君ファン向け?よくこれで宮部みゆきがokだしたなぁと・・・。これなら原作の方をおすすめします。

そのあとに見た「世にも奇妙な物語」の再放送の方がよっぽどおもしろい。
posted by kbb at 14:35 | Comment(0) | TrackBack(1) | 映画

冷静と情熱のあいだ Blu-辻仁成

「冷静と情熱のあいだ Blu」 辻仁成

冷静と情熱のあいだBlu.jpg前回の「冷静と情熱のあいだ Rosso」に続いて辻仁成の「Blu」を読む。一つのストーリーを「Rosso」は女性側の視点から、「Blu」は男性側の視点から描いている。遜正と別れた後のアオイにもストーリーがあったけれど、アオイと別れた遜正にもストーリーがある。友人から聞いたのだけれど、これって章ごとに交互に書かれている版もあるんだって。今更だけれどそれで読みたかったなんて後悔。

それにしても遜正って最低の男ですね。アオイのこともフッテいるのですけど、その後に出会った芽実もフッテいるのです。だいたい女の子をフル男なんて最低です。別れたくなったらフラせてあげないと。フルって行為はなんらかの理由付けがあってはじめてできるものだから、別れたあとに次の恋愛にいきやすいけど、フラレタ方はなんらかの兆候はあったにせよ、どうしたら修復できるかって考えるものだと思うから、「なんで、なんで?」ってなってしまって、次の恋愛に行きにくい気がします。そんな辛い思いを少しでも好きだった女の子にさせるなんてよくない!だからこそ男は常にふられないとね。といってフラレ続けてるいいわけをしているわけじゃないですよ(笑)

遜正は芽実と同棲をするのだけれど、僕は同棲ってのは二人をうまくいかせないための方策なんじゃないかと思う。お互いに帰る場所があってお互いの家に入り浸るのはいいこととまでは言わないけれど、決して悪いことではないと思う。でも同棲ってしてしまったらずっと一緒にいなければならないでしょ。だから顔を見たくないとか今日は一人で寝たいって時にも帰る場所がないなんて辛すぎる。芽実との場合は仕方なくだったけれど、その時の寂しさや楽しさといった感情にまかせて同棲を始める人がいるけれどもうちょっと考えてみようよ。アオイとはお互いに帰る場所があって半同棲みたいなことをしていた遜正だけれど、これが一番楽しいつきあいなんじゃないかなって思うな。

結局、アオイとの他愛のない約束は二人がフィレンツェのドゥオモの上で再会することで果たされるのですけれど、二人のその後について少し考えてみました。二人は元通りにうまくやっていけるのでしょうかね。それとも終わらせた方がいいのでしょうかね。僕はここで終わるべきだと思うな。人の人生は一本のまっすぐな道路のようなものだと思います。何本もの道路と交差して終点まで行くけれど、一度交わった道路とはもう二度と交わることはできない。その二本の道路は平行ならば決して交わることはない。直角ならば一瞬の出会いで終わってしまう。でも平行に近ければ近いほど、その二本は一緒にいる時間が長くなります。でもいつか別れてしまう。それが人と人との出会いかなって思っています。だから遜正とアオイの道路は一度離れてしまったのだから、もう二度と交わることはないのではないかな。たぶんやりなおしてもうまく行かない気がする。一度離れてしまった心は戻らないと思うから。二人が約束を思い続けたことで二人は離れていなかったんだよっていうかもしれないけど、それについては「そうかもしれない」としかいえない。神のみぞ知る。

辻仁成の作品は初めて読んだのだけれど、他のも読んでみようかなって今は思っています。他にどんな作品を書くんだろってちょっとだけ興味。とりあえずこの記事のカテゴリーは江國香織のところに。


posted by kbb at 04:47 | Comment(4) | TrackBack(0) | 江國香織

2005年12月29日

ドラえもん最終話Flash版

はまだ残っているようなので、ご紹介。

ドラえもん最終話Flash版


設定にムリがあってドラえもんは映画「Back to the Future」のデロリアンのように生ゴミから原子力エネルギーを得られるようなので電池切れは起こらないとのこと。にしても完成度は高いと思います。

前の記事で紹介したのと内容は同じもののようです。
posted by kbb at 13:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミック

脳力テスト

最近脳力が落ちているとお思いのそこのあなた。

テストしてみませんか?なかなか素敵なサイトを見つけてきました。

PANELS(中央のパネルをクリックしてスタート)

問題文をじっくりと読んでからはじめてくださいね。

大丈夫。あの素敵な子と違ってタイミング逃したとしても逃げたりしませんから。

ビール飲みながらやると酔いが回るのが早いのでご注意を。

ちなみに僕はB++で中田英寿並って言われました。うれしいやらかなしいやら。
posted by kbb at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

冷静と情熱のあいだ Rosso-江國香織

「冷静と情熱のあいだ Rosso」 江國香織

冷静と情熱のあいだRosso.jpg文庫本で読む。先に江國香織の方を読んでから辻仁成の方を読むといいってどっかで聞いてこっちから。アオイと順正の物語をアオイ側から見た物語。20歳のときのちょっとした約束-アオイの30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオモの上で会おう-を別れた二人が果たすストーリー。

最初はイタリア語とか地名とかでリズムを崩されてうまく読み進められなかった。出てくるイタリア人の名前も男だか、女だかわからなくなってどっちだ!?なんて考えながら読む。でも途中からリズム感もよくなっていく。

本を読みながらずっと、前に短い間だったけどつきあった彼女のことを考えていた。その子は僕に江國香織の本を紹介してくれた子だった。その子は僕とつきあう前、長くつきあった彼がいたらしい。そしてその彼とのけんかに消耗していたころに僕と出会った。江國香織の作品を紹介してくれたときに彼女は言った。「彼女の作品にでてくる女の子のように癒されたいんだ」と。

アオイは順正との楽しかった学生時代の恋愛をすれちがったまま終わってしまう。そこで消耗してしまい、イタリアに帰って東京を忘れようと努力しながら、彼女の過去にはけっして踏み込まない恋人マーヴと同棲する。彼女の趣味は夕方のお風呂と読書。消耗を癒すかのように彼女はその怠惰な生活を続ける。マーヴは決して彼女には踏み込まず、完璧な恋人を演じる。そんな二人にもすれちがいはやってくる。結局それを修復することはできず、同棲は解消される。アオイは順正との約束の日、何気ない日常から順正の元へ向かう。

僕はマーヴにはなれなかった。彼女はアオイだなんてそんな共通点をみつけて喜ぶような子供じみたことを言うつもりはない。でも彼女がマーヴなり他の江國香織作品にでてくる男性のように踏み込んでこない恋人を求めていたような気がする。でもいいわけさせてもらえるなら、マーヴとアオイだってうまくいかなかったじゃないか。過去の積み重ねで現在があるのに、その過去に触れずに二人がいることはできるのだろうか?そんな対処療法的な関係が長続きするとは思えないし、よりいっそう彼女を傷つけてしまうような気がする。結局マーヴもアオイの過去が見え隠れしてきて、それに触れようとして、二人のすれ違いがはじまる。マーヴはよくがんばったと思うよ。僕はマーヴにはなれなかった。彼女の傷を癒そうとして、性急すぎたのだと思う。もうちょっとゆっくりしていたらなんて思うけど、もう終わった事だしね。どうしようもできないや。

アオイと順正が再会する場面で、彼を見つけてアオイがなんて声をかけていいかわからず思わずでた言葉

「来ちゃった。」

ってのがいいね。思いがけずした行動だったけれど、お互いを思っている二人の間に言葉なんて必要ないんだと思う。ただただ「来ちゃった。」と言われた彼は彼女を抱き寄せてやればいい。突然会いに行ったら迷惑かな?なんて言ってるそこの女の子。彼は待ってるかもしれませんよ。ひとこと「来ちゃった。」と言って彼に抱き寄せられに行きましょう。そういえば前にまったく同じアドバイスをしたのに実行しなかった子がいたなぁ。

posted by kbb at 05:34 | Comment(2) | TrackBack(1) | 江國香織

2005年12月28日

生協の白石さん-白石昌則

「生協の白石さん」 白石昌則 東京農工大学の学生の皆さん

生協の白石さん.jpg友人に借りて読んで見ました。今売れに売れているネット発の本です。(もう遅いですか・・・。そうですか。)農工大学の生協に勤める白石さんの利用者からの質問や要望に答えるひとことカードの答えがおもしろいってんで広まったのが最初ですね。僕は「pya!」で出たときから知っていたのですが、おもしろいなぁなんておもっているうちにブログ「がんばれ、生協の白石さん!」なんてできて、あれよあれよの間に本になって売れていましたねぇ。

で、友人に借りて読んでみたんだけれど、やっぱり白石さんの人柄というか彼の返答は素敵ですね。結構時間かけて書いているのかしらと思っていたのだけれどそんなこともないらしく、きっと頭の回転が速いというか物事を多角的にみる目を持っているのでしょうね。例えば

「愛は売っていないのですか・・・?」

という質問に

「どうやら愛は非売品のようです。もしどこかで販売していたとしたら、それは誰かの罠かと思われます。くれぐれもご注意ください。」


なんて答えがあったりして、どこかで販売してたらそれは罠、なんて答えなかなか思いつけないなぁってびっくりしてしまいました。きっとこんな人と飲みながら話したら時間があっという間に過ぎるんだろうななんて思いつつ読み進めました。

でも、この本の紹介をどっかで読んだのですけど、そこにビジネス本として最適!なんて書いてあって、確かに人と人が接するって点で教えられるところはあるかもしれないけど、ビジネス本として読んでも面白くないだろうになんて思っていたんですけど、そういえばもう何年も前の話しですけど自分も働いているときにお店でお客様との距離を縮めるためにひとことカードのようなものをやろうとしたことがあったなぁなんて思い出しました。

お店の従業員でいろいろ話し合って、ひとことカードをおいて、それに回答をかいてコルクボードに貼り付けてコミュニケーションをとれたら距離が縮まるかなぁなんて思って実際やってみたのですけれど、挫折したんですよ。なんでかというとね、3ヶ月ぐらいやったのですけど、お客様が誰一人としてカードを書いて箱にいれてくれなかったんです。別にお客様がほとんど来ないお店だったわけでもなく、そこで20年近く営業しているお店だったにもかかわらずですよ。そのときは本当に難しいなぁって感じました。そんなことを思い出しながら読んでいたら白石さんや生協の人たちすごいなぁなんて感じました。今ならこれを参考にもう一回やってみたいし、お客様もおもしろがってカード書いてくれたかななんて思うんですけどねぇ。

それにしても白石さんがこの本の印税でいくら入ってくるんだろうなんて考えちゃう不純な僕には白石さんのような答えはできませんね。


2005年12月27日

NANA14巻-矢沢あい

「NANA 14」 矢沢あい

NANA14_.jpgほらね。これだからマンガは・・・。一回読み始めちゃうと新しいのでたらすぐに読まないと気が済まなくなるでしょ。

なんだか、だんだん面白くなくなってきたって思ったのは僕だけでしょうか・・・。
登場人物がさっぱりわからないんですけど、顔がみんな一緒なんだもん!

ハチにはがんばってもらいたいです。

posted by kbb at 12:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | コミック

凍りついた香り-小川洋子

「凍りついた香り」 小川洋子

凍りついた香り.jpg「博士の愛した数式」の小川洋子の小説。「博士の〜」ではおもいっきり泣かせてもらったので楽しみに読み始める。調香師の弘之が恋人涼子のために香水を完成させた次の日に遺書もなく兆候もなかったのに自殺してしまい、涼子と弘之の弟、彰の二人でその理由を探していくというストーリー。弘之は経歴や特技など弘之自身のすべてを偽り調香師となり、なにも明かさず涼子とつきあっていた。突然恋人を亡くし、しかもその経歴すべてが偽りであったと知り涼子はわけがわからなくなるが、自殺の理由を突き止めるために行動をはじめる。「博士の〜」と同じように、この小説でも「数学」と「記憶」が大きな鍵となっていく。

裏表紙のあらすじには謎解きのストーリーと紹介されているのに、結局最後までなんで死んだのかの説明はまったくなく、イメージ的な言葉を連ねていて、文章は読みやすくキレイな情景を浮かべることができるのだけれどすっきりしなかった。謎解きが始まるなんて書いておいて謎を残すなんて・・・。期待して読んだ分ショックが大きかった。数式の美しさについての描写や調香師が匂いを表現する言葉なんてのは興味深かったんだけどそれだけだった。

でもなんだか他のひとの書評ブログとかみてるとべた褒めなんだけどこれって僕が読めてないだけなのかしら・・・。なんだか不安になるわ。

これを書きながら気付いたのだけれど、この小説のヒロインの名前って昔つきあってた彼女の名前と同じだったんだ・・・。なんで読んでる途中に思い出せなかったのだろうか・・・。なんてヒドイ男なんでしょう。



posted by kbb at 04:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小川洋子

2005年12月26日

日本語の乱れ-清水義範

「日本語の乱れ」 清水義範

日本語の乱れ.jpg言葉、特に日本語をテーマに書かれた短編集。タイトルを見るとみごとに昨今の日本語ブームに乗っているようだが、単行本としての発売が2000年だからブームよりも前に書いたものみたいです。こんなタイトルついてるけど、清水義範は今の日本語ブーム特に「正しい日本語」ってやつに批判的な立場からこの小説集を書いている。

社会学的考察によると(社会学なんてよくわからないけど)日本語ブームは周期的におこって、それは不況時に行き詰まりを感じたマスコミ・国民が今のままじゃだめだってんで、自己を見つめ直すときに起こるらしいです。自己のアイデンティティを一番確認しやすいのが自分が今話している言葉ってことで、日本語を見つめ直そう、今話している日本語は正しいのか?世代間で使っている言語が異なるのはおかしいなんて議論になって「正しい日本語」を使いましょう、「正しい日本語」とはこんなんですよ、なんて風潮になって日本語ブームは起こるらしいです。

でも、果たして「正しい日本語」なんてのは存在するのでしょうかね?話し手(発信者)が発話して、それを聞き手(受信者)が理解・解釈できた時点でその言葉は意味を伝えるという機能は果たしているのだから、言葉としては十分なはずです。もちろん、理解・解釈するのにかかる労力が高いもの、例えば最近よくみかける著しく読みにくい字、いわゆるギャル文字と呼ばれるもの(キリル文字などをひらがなや漢字に見立てるやつやなんでかしらんけど小さくできる文字は小さく書くってやつ)を使って書いてあるものや、よくわからない略語などは意味が通じないという点で「正しくない」と言えるのかもしれませんが、「ほとんど」は否定の意味にしか使えないとか「ら抜き言葉」がおかしいとかってのはどうなんでしょうね。だってちゃんとコミュニケーションとれているでしょ。

最近テレビで正しい日本語をクイズの題材としているものが多く、先日見たのだけれど、そのクイズの問題に漢字の書き順の問題が出ていたのです。確かに文字を美しく書くために先人たちは漢字の書き順を考え出しました。別に芸術としての書道は否定しません。でもそれを「正しい」、だからこの通りにしなさいというスタンスで作られた番組に違和感を感じてしまうのです。山茶花(サザンカ)という花の名前、漢字と音が合っていませんよね。これって元々はサンザカって名前の花だったらしいですよ。それが自然な音変化を起こしてサザンカになったそうです。でも現代の人で元々サンザカなんだからサザンカはおかしいって言う人はいないですよね。

言葉は常に変化しているものだし、それを大多数が受け入れた時点でそれは正しい言葉になるのに、歴史をひもといてそんな意味で使ってこなかったなんて議論が果たして有用なんでしょうかね?昔どっかで読んだのですが、元々日本には文字がなく、話し言葉だけだったそうです。中国から漢字を輸入してそこからひらがなとカタカナが生まれました。平安時代に女性によって生み出されたそうです。今のギャル文字も将来同じ経過を辿る可能性はあるのではないか?とその人は言っていたと思います。確かに、自分が読めない文字が流通するのはとても怖ろしいことだと思うけれど、それが流通するのなんて何百年単位の話しだと思うし、言語文化は緩やかにしか変化しないのだからそこまで目くじらをたてることもないと思うのだけれどねぇ。

とここまで書いてきたけれど、僕自身は略語ってものをなるべく使わないようにしています。使ってしまうこともあるけれどね・・・。もちろん誰かが使ったのが理解できれば、それに対して文句を言うようなことはしないけれど自分自身が使う気にはなれないのです。もうすぐ日本中でメールの文面で飛び交うであろう「あけおめ」や「ことよろ」なんか自分では使わないでしょうね。でも「ことば」に興味がある僕としては結構注意して観察しています。最近日本語で、特にそんなの略す必要ないのに略されている言葉が多いとおもいませんか?「よろしく」を「よろ」とかね。それってメール、特に携帯電話のメールを打つのがめんどくさい人が労力を減らすために意味が通じるところでやめた結果意味が通ればいいやなんてので増えてきてるんじゃないかなって携帯電話のメールを打つのに疲れを感じながらこのあいだ思ってみました。

以前聞いておもしろいなぁって感心した略語が

「まじょたく」→「魔女の宅急便」

ってのでした。みなさん意味わかりますか?文脈があれば理解できるかもしれませんね。そうそうジブリ作品のあのタイトルですね。略語ってよく使うから短縮されていくようなイメージがありますけれど、「魔女の宅急便」を含む発話なんて年に何回するのでしょうかね?もしくは何年かに一回、新しいジブリ作品が公開される直前に過去の作品をテレビで一挙放映なんてときにしか使わないと思います。でも、使ってしまうし、意味も理解できるってところが言葉を研究するおもしろさの一つかななんて思っています。

まぁここまでだらだら書いてきて何が言いたかったかっていうとこんな本が「6割正解したら安心」なんて、人の不安を煽るような宣伝をしているのが許せないってことです。


posted by kbb at 05:34 | Comment(0) | TrackBack(3) | 清水義範

女性を一番魅力的にする化粧は

昨日は電車にしろ街中にしろカップルだらけでしたね。普段の倍、いや3倍以上のカップルをみていままでどこに棲息していたんだろうって不思議になりました。

昨日出会った素敵なカップルの話をここで。

すいた車内で仲良く座っているカップル。二人とも高校生のようだ。彼女はけっして人目をひくような顔立ちをしているわけではない。化粧がうまいともいえない。しかし自然と彼女の表情に目がいく。彼のたわいもない話しで彼女の笑顔がよりいっそうはなやぐ。彼女は彼を見上げて口元を大きく綻ばせて彼に微笑みかける。それを見て彼も彼女に微笑む。女性を一番魅力的にする化粧は笑顔なんだなって。そんなクリスマスイブ。自分にそういう女性ができた時に彼女が魅力的であり続けられるように自分にもできるか自問自答。なんだかここから物語がはじまりそうだけど今日はここでおしまい。

電車内でこんな風に観察して妄想して微笑んでさえいた僕を見つけても通報しないでくださいね。

posted by kbb at 00:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年12月25日

わーん

有馬記念の結果今しりました。一言叫びたくて携帯から投稿。ディープインパクト中途半端なことするな!連に絡むなら一着になりなさい!それにしてもハーツクライとは。まったくノーマークでしたよ。当たった人おめでとう。来年はディープインパクトのリベンジできまりですね。
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もしも私が、そこにいるならば-片山恭一

「もしも私が、そこにいるならば」 片山恭一

もしも私が、そこにいるならば.jpgクリスマスだからなわけじゃないけど、「世界の中心で、愛をさけぶ」で純愛ブームにうまく乗った片山恭一の中編3作収録の作品集を読む。恋愛小説なんてめったに読まず、むしろくだらないとさえ思っている友人に薦められて読んだ「世界の中心で、愛をさけぶ」をいい(≧∇≦)b と思ってその後期待して「きみの知らないところで世界は動く」を読んで大きく裏切られた片山恭一。今回の作品はだからあんまり期待して読まなかったからか、不思議とすーっと世界にはいっていけた。

僕は作家ってのは文章がうまいのは必須だとは思っていない。世の中に文章がうまい人間なんてゴマンといる。そりゃ文章がうまいにこしたことはないけど、文章が下手な作家もゴマンといる。じゃあ作家と彼ら文章がうまい人たちを分けるものはなにかというとそれはやはり、何を言いたいか、その作品にどんなメッセージを込めているかだと思っている。作品を通して作家それぞれのそういったメッセージを読みとりながらその作品の世界に入っていけたときは至福を感じる。

片山恭一にはそのメッセージがちゃんとあると思う。「世界の中心で、愛をさけぶ」「きみの知らないところで世界は動く」を読んで感じた彼のメッセージは「一番好きな人とは結ばれない」ではないだろうか。もしくは「人と人(親子、友人、恋人、ペットを問わず)は必ずいずれ(生死を問わず)別れなければならない」だと思う。もちろんこんなメッセージは使い古されて手垢がびっしりとついたようなものだと思うけれど、でも彼が一番伝えたい、伝えなければならないと思っているメッセージなのだろう。そして、人が事実としては認識しているけれど受け入れることができない事実でもあると思う。もしかしたら片山恭一自身がそういう経験をしてそれを受け入れる過程として文章を書いているのかもしれない。そのメッセージがちゃんと込められていたからこそ、「世界の中心で、愛をさけぶ」もあんなに売れたのだろう。もちろん流行の波にどっぷり浸かってうまい具合に流されたのも理由の一つだと思うけど、そんなに人間ばかじゃないと思いたいので、そのメッセージ性みたいなものがそのときはちゃんと受け入れられたのだと思う。でも作家にとっては売れたかどうかよりも(もちろん生活のためには売れた方がよいだろうし、読まれるという点でも喜ばしいと思うが)、より重要なのは作品にちゃんとメッセージが込められたかどうかなのだろうと思う。今回の作品にもちゃんとそのメッセージが込められていて安心して読めた。

片山恭一はそのメッセージを込めるのに、ストーリーにちょっとムリがあるような作品が多いけれど、この作品集の"鳥は死を名づけない”はストーリーに無理がないのでよけいそのメッセージがちゃんとわかりやすく、世界にも入っていきやすかった。「世界の中心で、愛をさけぶ」よりもこっちのほうが好きかも。

それにしてもタイトルの「そこ」ってのがどこだかはさっぱりわからなかったよ。

最後におもしろいなと思ったところをチョッと長いけど引用。

(国語教師である主人公が授業中に「異邦人」の冒頭を読んで)
"きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。"

この文章について、周作は生徒たちに質問する。この主人公の性格は?
(中略)
様々な答えが返ってくる。冷たい。落ちついている。感情が乏しい・・・みんな違う。さらに当てつづける。一人の生徒が答える。わかりません。はい、正解。
(中略)
わかるわけがない。書いてないのだから。書いてない部分を、子供たちは推測しようとする。
                           ("九月の海で泳ぐには" 169-170ページ)

人は言葉をヒントにして人の考えていること、思っていることを推測しようとする。わかるわけがないにもかかわらずそこに正解があると信じて推測を繰り返す。だから人と人との間に誤解が生まれ続け行き違いが生まれるのかもしれないね。


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2005年12月24日

やっぱり一番の思い出はオグリキャップの勝利だね。

有馬記念.jpg有馬記念ということで久しぶりに馬券を買ってみました。

本当はディープインパクトに勝って欲しい所だけれど、ここはお兄さんたちにガンバってもらおうと思い上の世代から2頭。

3-15 ゼンノロブロイーデルタブルースの1点買いで。

当たれば飲み代が稼げるわ(^.^)オホホホ

P.S. イクノディクタスも好きでした。
posted by kbb at 14:45 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記

放電生活者って名づけられました。

TBいただいたブログ(Picasoのぴー様)を見ていたらおもしろい記事を見つけた。

博報堂調査、2006年はブログやSNSで自己活性化する“放電生活者”が登場

様々なメディアでの情報収集を"充電"と名づけて、週に一回ホームページやブログを更新する人を”放電生活者”と名づけたようだ。なかなかおもしろいネーミングだと思う。

確かに世の中に様々な新しいメディアが生まれて"充電"する機会が増えた割にはそこまではそれを"放電"する機会が少ないだろうし、新聞記者でもなければ、それを一般に発表する機会なんて本を書くことしかなかったはずだ。それがブログの広まりで一般の人でも"放電"する機会が増えたのだろう。

僕もきっといろんなメディアで収集した情報をどっかで発散して体の中から追い出したいと思ってブログなんて書いているのかもね。友人と毎日飲むことなんて時間的にも経済的にも体力的にもできやしないからねぇ。

ほら今だって充電したそばから放電してるし。容量が少なすぎないか?

posted by kbb at 11:05 | Comment(2) | TrackBack(1) | 雑記

酒呑みの自己弁護-山口瞳

「酒呑みの自己弁護」 山口瞳

酒呑みのゥ己弁護.jpg今日はクリスマスイブですね。この時期はクリスマスに忘年会、新年会とお酒を呑む口実が多くて酒飲みにはありがたい季節ですね。どんな口実でもありがたいのだからクリスマスなんておおっぴらに他人の誕生日を祝うようなものでよいいいわけですよね。というわけでこの時期にちょうどよい本を見つけたので読んでみました。酒と野球と競馬と人間が大好きだった山口瞳のそれこそお酒を飲む口実をいくつもいくつもあげているエッセイ。元サントリーの宣伝部にいただけあって酒を欠かすことがなかったらしい山口瞳。彼は彼なりに毎日毎日酒を呑むことに罪悪感、もしくはいいわけを必要とすることを感じていたのだろう。それがこのエッセイで描かれている。酒呑みの口実なんて今日はちょっと寒いからなんてので成立しちゃうのだからなんでもありだと思うけど。

でもいくらどんないいわけをあげつらったところで彼のこの言葉に集約されるのだと思う。

「酒の害は楽しすぎることにある。」

これ以上に酒を呑む理由なんてみあたらないだろう。

このエッセイでは様々な酒呑み人のエピソードも描かれているがその中の一人に酔うと必ず電話魔になる人のエピソードがでてくる。自分がそうだからずいぶん身近に感じてしまった。酔うと電話をせずにいられない。寂しがりやだからなのだろうが一人で呑んでいたり、人と呑んで楽しい時間を過ごした帰り道に一人で家までの道を歩いているときふっと寂しくなって電話してしまう。たいていは呑んだ帰りだから0時をまわっているのだけれどかけるときにはそんなこと考えもしない。電話は便利な物で、一緒にいると煩わしくなっても一緒に居続けなければならず放っておくことはできないけど、電話なら通話終了ボタンを押せばそれで終わり。家に帰るととたんに暖かい布団に入りたくなるもので電話をきりたくなる。そういうときに電話をかけられた友人は心得てるもので「そろそろ切りたそうだから切ってあげる」なんていってくれる。ずいぶんといい友人をもったものだ。で、朝起きて電話の発信記録を見て自己嫌悪っていうパターンなのだよね。寂しがりやのくせに自分勝手なのね。申し訳ないと思いつつも感謝しています。

というわけで、どういうわけだかわからないけれども、酒呑みのみなさんは今日明日ぐらいは大手を振るって胸を張って呑みましょうじゃありませんか。幸い土日ですしね。たまにはつぶれてしまうのもいいものですよ。よいクリスマスをお迎えくださいな。


メリークリスマス

ってのはいつ言う挨拶なのかしら?と今日会った友人と話していました。イブなの?それともクリスマス当日?そもそもキリストは明日生まれ?今日生まれ?知ってる方教えてくだされ。

なにはともあれ平和(自分にとってっていうすごい自分中心的な考え方かもしれないけど、すくなくともこの周りだけでも)であって欲しいと思います。

みなさんも楽しいクリスマスが過ごせますように。
posted by kbb at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年12月23日

ドラえもん最終話

ドラえもん最終話がネット上で話題になっているらしいので紹介。
といってもほんまもんじゃないらしいので誤解しないであげてください。
しずかちゃんが色っぽくてどきっとしてしまいました。ちょっぴりほろっときてしまいましたよ。

でもこれって著作権大丈夫なんでしょうか・・・。

ドラえもん最終話(削除されたようです。転載者のコメントが載っています。)
posted by kbb at 15:49 | Comment(2) | TrackBack(4) | コミック

蛇を踏む-川上弘美

「蛇を踏む」 川上弘美

ヨを踏む.jpg久しぶりに川上弘美の本を読む。やっぱり好きなんだなぁと確認確認再確認。"蛇を踏む"、"消える"、"惜夜記"(あたらよき)3編収録の作品集。

"蛇を踏む"は蛇というキーワードを用いて自我の放棄と他者への変身がテーマだろうか。"消える"は未来小説のようでいて現代の家族論といえる。”惜夜記”は輪廻がテーマか。

なんて硬いことをここで語りたいわけではないのだ!本なんて読者一人一人解釈が異なってよいと思うし、同じ読者でも読んでいる状況や年齢、時間とともに解釈・感想やそれによって得られる印象は異なる物だと思っている。(読みが浅いことのいいわけにしかならなかったりして(笑))

っていうか正直なところ何がいいたかったのかよくわからないってのが素直な気持ちです。無理して言えば上のようなことが言えるかなぁぐらい。”蛇を踏む”は芥川賞とっているらしいです。ジュンブンガクが対象の賞らしいですよ。ジュンブンガクなんてよくわからないもの。ジュンブンガクとそれ以外の境界すらしらないのにねぇ。

でもね、正直に言えば川上弘美の作品は僕に性的興奮を感じさせてくれるってことに気付いたんです。書いてある内容とか表現がそうだってわけではなく、彼女の紡ぎ出す言葉それ自体が性的興奮を感じさせるんです。彼女の作品は一種の官能小説のようなものじゃないかと。それもイタリア人やブラジル人のような濃厚なキスを伴う興奮でも、おいしいコーヒーシリーズのショーリとかれんのまだ幼い、それでいて不可欠なキスのようなわけでもなく、ただただ静かに興奮している自分がいるのです。それは体に変化を起こすさせるようなものでは決してなく、また自分がそういう状態になる過程にも気付くことはありませんし、鼻息が荒くなったりもしません。いつのまにかその状態にある自分に気付くだけです。彼女の作品を読んでいると内容が全然頭に入っていないのに、彼女の言葉のリズムのせいでどんどんページが先に進んでいることがあります。だから途中で読み差しておいておくとどこまで読んだかわからなくなります。しおりをはさんでおいてもどこだかわからなくなってしまうのです。彼女の言葉がいつのまにかぐるぐると自分の周りを取り囲んでいて、それによってもたらされる心地よい性的興奮。それが彼女の本を手にとってしまう原因なのではないかと思う。

"惜夜記”は19編の短編で構成されている作品なのですが、「ビッグクランチ」、「カオス」、「シュレジンガーの猫」、「クローニング」、「ブラックホール」、「フラクタル」、「アポトーシス」なんて言葉がそれぞれのタイトルについていてさすが理学部出身で理科教師をやっていただけあるなと思わされる一方で、それらの言葉が確実に作品のイメージ構成にしっかりと役立っているなと実感しました。書評とかで彼女の紡ぎ出す言葉が素晴らしいと書いてあるのを読んだことがあるのですが、それはこういったことだったんだなぁと再確認。

表紙の絵がどうしてもドコモダケに見えてしまって、ドコモショップの美人の小田さんのこととかいろいろと昔のことを思い出したのはナイショの方向で。


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2005年12月22日

蹴りたい田中-田中啓文

「蹴りたい田中」 田中啓文

蹴りたい田中.jpgタイトルからもわかるとおり、ダジャレのオンパレードの茶川賞(芥川賞じゃありません)受賞の表題作を含む田中啓文の遺稿集というか作品集というか。

ダジャレというか言葉遊びも秀逸なのも結構あるのだけれど、こじつけが多くあり、途中で結構飽きてしまった。ただ楽しければいいのなら、テレビで漫才でもみてればいいと思うし。それなりにおもしろい設定のものもいくつかあり楽しめるけれど絶対おすすめってわけにはいかない。

一つだけすごいなと思ったのが、"赤い家”という短編。蚊の世界の刑事と人間の刑事が共同で難事件を解決するという推理?物。こんな設定を考えられる想像力があるなら他のももう少し・・・。と思うけど、でも文章のうまい作家さんだと思うので、好き嫌いをはっきりさせるのは他の短編集を読んでからにしようと思う。

それにしても、このタイトルだと、今はまだ覚えている人が多いからいいけど5年後ぐらいに元ネタがわからない人は絶対手をとらないんじゃないだろうか・・・。

2005年12月21日

素敵なニュースが舞い込んで参りました。

WSA労使間交渉大詰め 全世界ストもこれは嘘ニュースです

 クリスマスのプレゼント配送をめぐる世界サンタクロース協会(WSA)の労使間交渉が大詰めをむかえている。組合のトナカイ側が賃上げや引退後の待遇改善を要求しているが、サンタ側が要求に対して難色を示し、交渉は一時中断。クリスマス本番を前に、トナカイのストライキによるクリスマスの中止も考えられる事態に発展しつつある。

 今月15日に始まった労使間交渉は、組合側が日給180ドル(約2万円)と、引退したトナカイの食肉加工の中止を要求。一方でWSA側は、要求を受け入れる代わりに、配送コスト削減のため、トナカイの鼻の電飾を現在の赤色から、低コストの青色発光ダイオードに変えるよう提案した。
 これに対し、組合側は「『真っ青なお鼻のトナカイ』では、子供の夢をぶち壊す」と、要求を拒否する声明を発表。18日未明にはこう着状態となり、いったん交渉は中断。その後、20日から協議を再開した。

 WSA側は「今からでは準備が間に合わない」として、すでに東アジア地区の配送事業の中止を発表。日本、韓国、中国などでは、今年のクリスマスを中止することが発表された。ただし、緊急援助国の対象である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への配送は行われる。

 このまま23日までに交渉がまとまらない場合、トナカイ側は全面ストライキを行うとしており、全世界でクリスマスが中止される見通し。(参照記事


だそうです。これで少しはクリスマスには恋人と過ごし、この季節に彼女がいない人は寂しさを感じなければいけないといった社会的要請が和らぐのかしら。
posted by kbb at 19:26 | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

Powers of Ten

Powers of ten.jpg映画ってわけじゃないのだけれどおもしろい映像をみつけたので紹介します。

Powers of ten
(http://video.google.com/videoplay?docid=-5555313278261147278&q=powers+of+ten)


以前読んだ清水義範の「単位物語」の解説で村上陽一郎がこの映像について触れていて、一回みてみたいなぁと思っていたのですけど、見つけられるとは思っていませんでした。

タイトルのPowersってのは指数って意味なのですが、0.001-0.01-0.1-10-100-1000といった具合にカメラが距離をとっていきます。カメラがばーーってひいていって宇宙の果てまでいって、ずーーっとよってきて人体の中の遺伝子までを見せてくれます。宇宙の中の人間の存在を客観的にみせてくれます。人間の小ささを感じずにはいられない映像でした。

9分近くありちょっと長いですが興味のある方はどうぞ。
ナレーションは英語だけれど、そんなのわからなくても十分楽しめる映像です。

posted by kbb at 19:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

もう一人のチャーリイ・ゴードン-梶尾真治

「もう一人のチャーリイ・ゴードン」 梶尾真治

もう一人のチャーリイ・ゴードン.jpgおはようございます。昨日は飲み過ぎて二日酔いで頭が痛いkbbです。コンセプトは飲みながら話すように!ってことでたまにはこういう状態での更新もありってことでお許しを。熱燗のおいしさをこの歳になって初めて知って、毎日飲んでいるのだけれど、焼酎と同じようにぐびぐび飲んでしまうので酔っぱらうのも早くてやんなっちゃうわ。

というわけで長い前置きはこのぐらいにして、こんな状態でお送りする本日の本は梶尾真治の短編6つが収められている作品集です。「クロノス・ジョウンターの伝説」が結構よかったので楽しみにしていました。文章も読みやすいし、世界にも入っていきやすくてよかったのですけど、表題作"もう一人のチャーリイ・ゴードン"はダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」に捧げるオマージュということで読んだことのない僕にはあんまり理解できない部分が多くて楽しさは半減だったんだろうなって心配しています。なんだかSFの作品には「アルジャーノン〜」に関するものが多くて結構影響を与えた作品なのでしょうね。一度読んでみようかと思っています。

でも"もう一人のチャーリイ・ゴードン"に続く短編"百光年ハネムーン"はアインシュタインが相対性理論で予言したアイデアをつかったタイムマシン物と言える物だけれど、こんな新しくもなんともないアイデアであの物語ができるのはさすがだな、なんて思いました。一瞬ほろっとしてしまったよ。

残りの4つもおもしろいアイデアの物ばかりで楽しめましたよ。
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2005年12月20日

心理テスト作ってみました。

ネット上で下のようなものを拾ってきました。チェーンメールで流されたのが最初のようです。下のをヒントに心理テストを考えました。まずは下をお読みください。

次のような銀行があると、考えてみましょう。

その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400円を振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。
つまり、 86,400円の中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。
あなただったらどうしますか?
もちろん、毎日86,400円全額を引き出しますよね。

私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。
それは時間です。
毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。
毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。
それは、翌日に繰り越されません。
それは貸し越しできません。

毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。
もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼることはできません。
あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。

だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。
時計の針は走り続けてます。
今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだったら、十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。
昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。
今日は与えられるものです。

―――だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。




これを読んだときに、これで日常どんな姿勢で生活を送っているか聞くのに使えるんじゃない?なんて思ってみました。

毎日毎日86400円振り込まれるけれど次の日に繰り越せない口座を神様から与えられたとしたらあなたは何に使いますか?

って質問でそのお金の使い道を聞くことによってだらだら過ごしているのか?毎日イベントがないとだめなのか?とかってわかるんじゃないかと。

これを考えてから一回だけ試してみたのだけれど、合ってるかどうかよくわからなかったの。忘年会やクリスマスやクリスマスに向けての合コンで忙しいこれを読んだそこのあなた!試してみて使えるかどうかコメントくださいな。m(._.)m ペこっ

posted by kbb at 11:42 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記

遠い背中 おいしいコーヒーのいれ方(6)-村山由佳

「遠い背中 おいしいコーヒーのいれ方Y」 村山由佳

遠い背中.jpgおいしいコーヒーシリーズ第6弾。とうとうここまで読み進めて参りました。文庫としてでているのは7巻目までなので、ここでちょっと小休止になりますね。あとは村山由佳の筆の進み方がはやくなることを祈るばかりです。

ショーリがとうとう花村家を出てひとり暮らしをするようになる今作。男としてはもううれしい限りでしょう。かれんちゃんと楽しい時間をじっくりとしかも邪魔者が入らずに過ごすことができるようになるのだから。でも実際は邪魔者がいっぱい入るからこのシリーズは時間が進まないのでしょうね。一人暮らしをしたことがないので、実際に想像することはできないのだけれど、やっぱり自由な時間ができてうれしいものなのでしょうかねぇ。それとも寂しさが募っていくものなのでしょうかねぇ。料理が得意な人なら作っても食べてくれる人がいないと作り甲斐がないので寂しくなってしまうかもしれませんね。その点ショーリはかれんちゃんがいるから大丈夫だと思いますけど。それにしても、せっかく引っ越し直後にショーリとかれんは二人きりになって優しい優しい弟丈君からは引越祝いにアレのときの必需品までもらっているのに、なんでキスまでしかしないかねぇ。なんだかこのシリーズは読んでいる方が欲求不満になりそうです・・・。

ショーリのお父さんも再婚してかわいいかわいい娘ができて、なんだかみんな幸せそうで、かわいそうなのは星野一人って感じですね。ショーリは相変わらず星野さんをつきはなすことができずに中途半端に優しくしてしまっているし。早く星野さんには立ち直って欲しい限りです。

前作にはかれんの弟丈の京子ちゃんとのストーリーが載っていましたが、今回はマスターのストーリーが載っています。作者はサービス精神旺盛ですねぇ。うれしい限りです。マスターのつくるコーヒーのおいしさの秘密も載っていてコーヒー好きには読んでいて香りが漂ってくるような文章ですね。

少し「おいしいコーヒーシリーズ」にも飽きてきたので次はなにを読もうか思案中です。今度はSFものでも読んでみようかしらと思っています。


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2005年12月19日

緑の午後 おいしいコーヒーのいれ方(5)-村山由佳

「緑の午後 おいしいコーヒーのいれ方X」 村山由佳

緑の午後.jpgおいしいコーヒーのいれ方シリーズ第五弾です。なんだか最近このシリーズにどっぷりはまってしまっています。1作目を読んだときはそれをおもしろいよって教えてくれた友人にこんなシチュエーションは非現実的すぎて恋愛ものとしては想像すらできないからおもしろくない!なんて言ってたのに。だってかれんちゃんかわいいんだもん。

今作でショーリ君は、かれんちゃんと一歩も前にすすまないくせに、フッたはずの星野さんに中途半端なやさしさをみせるという愚かな行為をしてしまっています。現実的に「今」楽になる行為だけれど結局はお互いがお互いを傷つけてしまうことだと思う。これをはじめてしまうとフラれた星野さんもいつまでもショーリのことを忘れられないだろうし、ショーリだって友人を一人でも減らしたくはないだろうから、いつまでも表面的にはうまくいくような気がするけど最終的にどちらも傷つかなければ終わりはやってこない。結局終わりが来るのならフッたまんまで終わらせておけばよかったのに。なんて思ってしまう。というのも自分がまったく同じ事をある女性にして、しかも友人としてつきあっていたと思っていたのに、つい最近ひどい終わり方(友人として)をしてしまったからそう思ってしまうのだけれど・・・。もう9年前のことだったし、うまく異性の友人としてやってきていたし、これからもやっていきたいと思っていたのに・・・。

話しは変わりまして、この作品にはかれんちゃんの弟でいつまでもうだうだとやっているかれんとショーリの背中をいつも押してあげている丈君のサイドストーリーが収録されています。丈君の彼女の京子ちゃんもかれんとはだいぶ違ったタイプの女の子だけれど、すごく魅力的で実はかれんちゃんより京子ちゃんの方がかわいいなんて思っているのだけれど。丈君と京子ちゃんの恋愛が書いてあってなかなか面白かったです。こんなにキャラクターが作りこまれているなら、やっぱり面白いわなぁなんて感心しながら読んでしまいました。

ストーリーとは関係ないのだけれどあとがきのところで村山由佳がおもしろいことを言っています。「戦争はいやだ、なにがなんでもいやだ。」という国際関係やら政治的力学なんてどうでもいいところでのシンプルな思いが大切で、それはなんの条件もいらないはずのことなのに、戦争をやる大義名分なんていくらでもでてきてしまう。それは人が死ぬということに対する想像力の欠如したくだらないものだ、と。同じ思いをずっと思っていて最近はほんとに簡単なことなのに想像力を働かせない人が多いことが結構悲しいことだなって思っていました。結構長いのでここに全部のせるわけにはいかないのだけれど、このあとがきだけでも読んでみてほしいものだななんて思う。

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2005年12月18日

雪の降る音 おいしいコーヒーのいれ方(4)-村山由佳

「雪の降る音 おいしいコーヒーのいれ方W」 村山由佳

雪の降る音.jpgおいしいコーヒーのいれ方シリーズ第四弾。あいかわらずショーリとかれんはもたもたと恋愛しております。今回は星野さんがショーリに告白してしまったりと相も変わらず事件ばっかり起こるなかなかおもしろい恋愛をしていますね。しかも、この作品では「もう一度デジャ・ヴ」の後日談ともいうべきストーリーも絡まってきていて村山由佳のサービス精神旺盛な姿も見られていいですよ。

どうしてこうもいい女ばっかりがショーリの周りには集まってくるのでしょうか?よくお金は寂しがりやだからあるところに集まってくるといいますね。先日のジェイコム株の時24歳の六本木在住の会社役員が5億6000万も儲けたそうですよ。(参考記事)まったくもってこういう才覚があるから若干24歳で会社役員なのか、お金があるから会社役員になったのかわからなくなりますね。

閑話休題

というわけで女の子も寂しがり屋だから女の子のいるところに集まっていくんでしょうかねぇ。きっと恋をしている人ってのは魅力的なんでしょうね。なんていったってショーリかわいいですもんねぇ。男から見ても頼りない反面一生懸命な姿に「よしよし」なんて言ってしまいたくなりますよ。

いつもイライラしながらはやく「ヤレよ!!」(あらいけない下品な言葉が。オホホ)なんて思いながら読んでいるけれど、恋愛相談されてみるとわかるけれど人のことはよくわかるんですよねぇ。一歩ひいて見られるから。でも自分のことになるとさっぱりわからないなんてよくあることですもんねぇ。

それにしても、おいしいコーヒーのいれ方シリーズはキスの描写が多くて、最近さっぱりしてない僕としてはキスってこんなにいいもんだったっけなんて思ってしまいましたよ。あぁ、うらやましいねぇ。




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2005年12月17日

『Shall we ダンス』アメリカを行く-周防正行

「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」 周防正行

shall we dance.jpg映画監督周防正行が「Shall we ダンス」を全米公開に向けてキャンペーンを行ったときの旅行記。北米18都市を3週間という強行軍でまわった様子が書いてある。

特におもしろかったのは、日本映画の権利関係の話し。監督、原作者、脚本家には一切の商業的権利は認められず、よって全米公開しようがお金は一切入ってこないのにキャンペーンに駆り出される様子がおもしろい。それでも行っちゃうんだから周防さんはよっぽどのお祭り好きなのかも。全米公開に先立ちミラマックスという配給会社により再編集されるのだけれど、まったく映画を理解しているとは思えない編集者によってずたずたにされていく映画に対して切られたところとそれに対するミラマックスのコメント、周防監督の反論といったところが容赦のない周防さんの言葉によって本当に怒り心頭って感じで見ているこちらとしては笑ってしまった。

「Shall we ダンス」は僕も好きな映画なので、その顛末は興味深かったし、公開時で監督は最高にうまくいった編集をしているって自負しているはずだから、その作品をなにも知らない人にずたずたにされるのは我慢ならないだろうなぁって思う。

アメリカと日本の契約の違いなんかも書いてあって興味深かった。アメリカってなんでも契約するんだなぁと。

旅行記だけあって、行ったところの情景なんかも書いてあるのだけれど、僕がグレイハウンドで2ヶ月かけてアメリカを一周したときにまわったところなんかもでてきて懐かしくなってしまったよ。オレゴン州ポートランドなんてほとんど行く人がいない小さななんにも見るところもない場所だけど、バスの乗り換えで行ったときの情景が浮かんできて嬉しかったです。なんであんなところまでキャンペーンしてるんだろ。

それにしても、映画の「Shall we ダンス」のヒロイン舞を演じた草刈民代と結婚しているなんて、なんてズルイんだ(なにがズルイんだろ?)っておもわず憤慨してしまった。監督ってなんてうらやましい職業なんでしょ。










2005年12月16日

寂しいマティーニ-オキ・シロー

「寂しいマティーニ」 オキ・シロー

寂しいマティーニ.jpg古本屋で見つけた懐かしい本。といっても、この本は読んだことはなく、オキ・シローの本を高校生の頃大好きで2冊ほど読んだのだがそれっきり本屋さんで見かけなかったので残念な思いをしていた。この本もそうだが、カクテルにまつわる話しがbarで展開されていく短編で、量も申し分なく、時には笑い時にはほろっとさせる。男女の恋物語が多いのはやっぱりカクテルとかお酒ってのは男女の仲に欠かせないものなのかなって思う。

オキ・シローの作品は高校生の時に初めて手にとったのだけれど、やっぱりお年頃というか、早く大人になりたくて、しかもとびっきりかっこいい大人になりたくてお酒の味なんてほとんどわからないのに作品中にでてくるカクテルにあこがれて早くこんなかっこいいお酒をスマートに(可愛い子と一緒に)飲みたいなんて夢見ながら読んでいたなぁ。バイト先の先輩に連れられて初めてbarと呼べる場所に足を踏み入れたときなんてこの本で得た知識を大事に抱え込んで周りからみたらみっともなかったんじゃないかって今となっては思う次第です。

大学に入った頃に飲むお酒もbarでは毎回ジンライムとなり、すっきりとした中にジンのなんとも言えない青臭さがあってすごい好きになったのだけれど、それだってオキ・シローの作品の影響だと思う。なじみの店もできて、そこには冗談でなく毎日通った。そこで恋もしたし、失恋もしたし、子供ができたと写真いりのはがきを送ってくれるような友人もできた。そこが今月いっぱいで閉店すると先週そこの元支配人から連絡が来てちょっぴり寂しさを感じている。閉店する前に一度顔でも見せにいくかなぁと思いつつも、もう知っている人もいないので行ったところで懐かしさではなく寂しさしか感じないだろうなと思って躊躇している。

ところで、なんでbarって書くとイメージは黒なのに、バーって書くとイメージがピンク色になるんだろ・・・。




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2005年12月15日

変なおじさん完全版-志村けん

「変なおじさん完全版」 志村けん

変なおじさん完全版.jpg以前読んだ「変なおじさん」とその続きの「変なおじさんリタ〜ンズ」を合本して文庫になった本。最近「二人称の死」についてばっかり考えさせてくれる本ばっかりだったのでもういや!!!って思い、軽く読めるこれを手に取った。案の定すごく楽に文章を追うことができた。「変なおじさん」に書かれていたところは飛ばして「〜リタ〜ンズ」の所だけ読む。

「変なおじさん」の方は今までの志村けんについて書いてあったが、「〜りた〜んず」の方は今の交友関係とかこれからについて書いてあるところが多く、この年でここまで成功しているのにまだまだ悩むことが多いんだなとびっくり。

その中の一つに、彼の仕事に対する厳しさを表す一つのエピソードがあった。CM撮影の時に監督に「おもしろおかしく歌って踊ってください」と言われるのだが、どの曲でどんな風に踊るのか指示されず、それを聞くと「お任せします」と言われ、「それが演出家の仕事か!?」と怒鳴ってそのまま帰ってきてしまったそうだ。お金をもらってやっているのに、自分の与えられた仕事をしないその人に無性に腹が立ってしまったらしい。ホントに自分の仕事ってものにまじめな人なんだなと思う。マンションの耐震性能を偽装したあの人達に読んでもらいたいね。ホントに。あ!でも彼らは構造計画書もまともに読む読解力がないのだから、この本も読めないかも・・・。

表紙の志村さんの笑顔と途中で紹介されているくりすあきらさんが素敵でした。


2005年12月14日

PAY DAY!!!-山田詠美

「PAY DAY!!!」 山田詠美

pay day.jpg双子の兄妹の物語。911の同時多発テロによる彼らの母親の死と彼らの成長を描いた青春小説。山田詠美の本はこれが初めてだったのだが、こんなに文章が読みやすいとは知らなかった。ストーリーも無駄なところがなく、必要なものが必要なだけ入っていてグライス(P.Grice)の格率を思い出してしまいました。(なんだろそれ?って興味を持った方はこちらを。わかりやすい説明があります。

物語は、まだまだ子供っぽいところのある17歳の双子の兄妹が両親の離婚や別居、周りの人間との関わり、恋愛、失恋、そして同時多発テロによる母親の行方不明によって成長していく姿が描かれている。それと同時に誰もが大切なものを亡くしたときにはいつでも成長、変化する可能性のあることも描かれている。アル中のおじさんや彼らの父親でさえ大切な人を亡くして変化していく。

同時多発テロによって母親が行方不明になると、周りのクラスメートや友人のそれに対する反応と自分が感じていることとのギャップを感じる兄妹の姿が描かれている。人を亡くすのはいつだって突然で暴力的であり、それは社会的に衝撃を与えたテロとはまた違った感情を残された人に与える。周りの人は怒りを犯人に向ければいいが、怒りを向けたところで大切な人は戻ってこないことを残された人は知っているのだから。

解剖学個人授業の中に養老孟司が「一人称の死体、二人称の死体、三人称の死体」について考えている部分がある。彼は死体としては三人称の死体しか存在しないと主張する。一人称の死体、つまり自分の死体は自分が死んだ時点で死体を認識できないのだからそれは存在し得ない。二人称の死体、つまり自分にとって親しい人や親子兄弟の死体はそれを人は死体として客観的印象を持ち得ない。「誰かが心に思い浮かべる限りその人は生きている」と誰かが言っていたが、それも二人称の死体が客観的に意識しづらいところからくる言葉だろうと思う。それを客観的、意識的に再確認させるのが葬式というセレモニーなのかと思う。

多くの人にとって同時多発テロは三人称の死体をたくさん生み出した忌むべき犯罪であったわけだが、遺族にとってはたった一つまたは少数の二人称の死体を生み出した行為にすぎない。そこで違った種類の感情が起こるのだと思う。

しかし、山田詠美は大切な人の死ですら、人が成長するためのきっかけの一つでしかなく、その他たくさんのきっかけと同じことなんだよと優しく話しかけてくれている気がして、誤解を恐れずに言えばずいぶん救われた気がした。

タイトルの「PY DAY」が何を象徴しているのか読みながら考えていたのだけれど、結局明確な答えのでないまま読み終えてしまった。途中で

「しあわせの条件は酒と女と給料日。...そして家族にちょっとだけ心配されていれば言うことなし」

というセリフがでてくるのだけれど、それでもイマイチわからない。こんなんかなぁって思ったのは、いつだって大切な人を亡くすのは暴力的に突然の出来事なのだから、今月もまだ大丈夫だったっていう節目が「PAY DAY」なのかな。

最後に作中にでてきた言葉を一つご紹介。

「人は誓いをたてる時には神を必要とするけど、それを破る時には弁護士を必要とするものだ」
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2005年12月11日

解剖学個人授業-養老孟司

「解剖学個人授業」 養老孟司 南伸坊

解剖学個人授業.jpg前に読んだ生物学個人授業と同じシリーズの第三弾。生徒役の南伸坊さんが養老孟司の講義を聞いてその講義ノートと養老先生のコメントでまとまっている。養老孟司の本は、彼のやっている解剖学っていうのはいったいぜんたいなんなのだって思って「異見あり」に挑戦したことがあるのだけれど、そのときは途中で挫折した。彼の言葉の難しさが原因なのだと思っている。そこで、今回南伸坊さんの言葉ならわかりやすいだろうと思って読んでみたのだけれど、南さんも養老先生に最初に同じ質問をしていた。つまり「解剖学」ってのはいったい何を研究しているのですか?」っていう質問。養老先生もそれに答えようとして、解剖学の歴史であるとかまつわる話しとかはするのだけれど、現在解剖学が何をしているかっていうことについてはまったく要領を得ない。解剖学が何をしているかって質問に「例えばね」からはじまる話しばっかり続くのだ。この時点で少し飽きてきて、あぁメンドクサイと思いながら読んでいった。でも途中から、あれもしかして、って思いながら読んで最後の最後で養老さんも同じようなことを言っていてそうだったんだってやっと納得できた。

つまり、解剖学は最初、切り刻んでものに名前をつけることを目的にはじめられた。それは純粋に好奇心からくるもので、最初はそれでうまくいっていた。しかし、もうこれ以上分けることができなくなり、すべてに名前を付け終わった段階で、解剖学としてはやることがなくなってしまったのだ。そこからそれぞれの機能や働きを調べるのは生理学とかって違う学問領域になっていってしまう。もう現在(病理解剖学とかを除いて)解剖学が対象とするものはもうないと言ってもいいのだ。じゃあ今養老先生がやっていることってのは何かっていうと、その解剖学が行ってきた方法論をもって、今まで解剖学が対象としてこなかったものを眺めやることだったのだ。つまり死体以外のものに目をむけて、今までと違った切り口でそれらを眺めやると他に違ったことが見えるでしょってことを著作とかを通して実践的に行っているのだろう。

ここまできて、彼が新聞や雑誌に社会問題について寄稿している理由がわかった。彼は多分本当に頭のいい人なのだろうから、今までの常識的な見方を捨てて、新しい足場から眺めやることができるのだろうけど、同じように違った見方をするのって彼の著作を読んだだけの人にはできないんじゃないかなってちょっと心配になってしまった。唯一できるのは、異なった側面から見ている人もいるだろうなって知ることぐらいなんだろうな。





2005年12月10日

携帯から初投稿

image/kbb-2005-12-10T17:48:00-1.jpg携帯から投稿できるらいしのでテストをかねて初投稿。

写真はやっと読みおわった本。なかなか難しくてあきらめそうになったけど途中からおもしろかった。なんだかいい女に振り回された気分。

posted by kbb at 17:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年12月09日

生物学個人授業-岡田節人

「生物学個人授業」 岡田節人 南伸坊

生物学個人授業.jpg生物学をやっている権威中の権威、だけど全然「学者らしくない」岡田節人さんを先生として、「才能がないことが才能」の南伸坊さんが生徒役って設定で南さんの授業ノートに岡田先生の一言や補講がセットになっている本。生物学の根本的な考え方や歴史、進化論、DNAなどテーマは様々でおもしろいだけでなく骨を折ることで「わかる快感」が大きくなるなんて言ってるくせに全然骨なんかおらずに読み終えちゃう本でした。南伸坊さんもこんなおもしろい文章が書けるなんて才能豊かとしかいいようがない・・・。志村けんもそうだけれど本当に才能のある人は謙虚する才能があるのかも。

生命の最初は1種類で現在は8000万種以上いるとか、今まで生命体が絶えたことがないとか、言われてみれば当たり前のことなんだけど、言われてみないと考えてもみなかったことをもう一度見せてくれました。最初の1種類から現在の数に至るなんて、なんて壮大な実験だと思いませんか?

遺伝子組み替えについてGMO(上巻)(下巻)を読んで得た知識を考えながら読んでいたのだけれど、それについても生物学の立場から反論している。生物学的に遺伝子組み替えを行うのは体細胞に行うものであって生殖細胞には行わないらしい。体細胞の遺伝子を変えるということは獲得形質は遺伝しないという考え方からもわかるようにその個体にしか影響しない。だから、生殖細胞の遺伝子を変えない限り、それが遺伝して新たな種を生み出したとは言えないらしい。だからって、遺伝子組み替えをした作物を摂取したことが健康上どんな問題を引き起こすかって方には言及していないのだけれど、大きな問題のうちの一つの答えが得られた気がする。

人間はもちろん細胞からできているのだけれど、その細胞それぞれがDNAをもっている。それぞれの細胞はDNAのあるすごい小さい特定の部分の遺伝的命令によってつくられる。しかし、その細胞に関係のないDNAの部分もそれぞれの細胞にあるDNAは記憶したまんま保持している。これはなんのためかっていうと、イモリなんかが尻尾や足を切られても再生するのは、普段は働かないそれぞれのDNAがそのときにはちゃんとはたらいて足なら足の細胞を作り出すそうだ。つまり危急時のためにとってあるって考え方。これを読んでいて思い描いたのが人間の脳の話し。人間は普段脳全体の5%だか10%しか使っていないと聞いたことがある。しかも交通事故なんかである部分に損傷がおこると、他の部分が代替的に働く(もちろん機能的にであって細胞が再生するってわけではない)こともあるらしい。これってイモリの再生のためにDNAの無駄な部分もとっておいてあるってのに話しが似ているとおもいませんか?なんて考えながら自分を慰めてみたりして(笑)

こんな先生が小学校の理科を教えてくれたらきっと生物学を志していたかもなんて思ってしまいました。なんていったって僕の先生はネズミの解剖をしていて尻尾の先にまで筋肉があるのをみつけて喜び勇んで報告したら当たり前でしょって言うような先生だったからなぁ

2005年12月08日

変なおじさん-志村けん

「変なおじさん」 志村けん

変なおじさん.jpgこの本は志村けんが自分の人生やら笑いなんかに関して自分自身(そうだと信じておきましょう)の言葉で語りかけるような口調でかいてあります。ダウンタウンや爆笑問題、ネプチューンの笑いについても触れていて面白かったですけど、やっぱり彼の笑いに対する考え方がよく書いてあってそこが一番読んでいて止まらなくなりましたね。笑いってのは同じ目の高さで驚きや安心とかって感情を抱くことにより、起こるものであって(一段高いところから見ると冷笑にしかならないでしょ)、笑いに関して文章を書くってのはそこから一段高いところに立たなければならないので、この本は決して笑えるといったものではありません。でも彼の笑いに対する真摯な態度というか、真剣な眼差しが感じられて興味深かったですね。

土曜日8時といえば「全員集合」でしたね。関西ではどうかわからないですけど、関東でしたらこれでした。PTAで問題になっていたとかってのは当時は全然知らずに、うちではなんにも言われなかったので見ていましたです。その中でも志村けんはいつもおもしろかったと思います。彼単独でやってた番組なんかは途中で飽きちゃって見なくなりましたけど、どうして「全員集合」はおもしろくて、「だいじょうぶだぁ〜」がつまらなくなったのか、この本を読めば納得できるような気がしました。

全員集合の稽古量のハンパなさは有名な話しですけど、そこらへんのところも書いてあって、それでもそれぞれのメンバーが自分の役割を熟知した上でそれぞれを引き立てていたってのがよくわかりました。だからドリフは5人いてはじめてドリフなんであって、あの内の誰が抜けてもそれはもう別の集団になってしまうようですね。決して一人ではできないんだってことがよくわかりました。

ドリフってのは志村けんにとっていい意味でも悪い意味でも大きすぎる遺産であって、その呪縛から逃れるためにいろいろ試行錯誤して苦しんできたってことも作品からは読みとれる気がします。だからこそ、彼は今でも自分がまだ新人のような気でいると「謙虚」(彼にとって謙虚ですらなく当たり前なんだろうけど)な姿勢を持ち続けていられるのだと思う。

前に友人にあのブログは誰に向かって書いているの?相手がいないのではどんな形、文体、気持ちで書いていいのかわからなくない?ってのを言われてずっと考えているのだけど。未だに答えはでていないのだけれどね。なんでこんな話しをしたかというと、志村けんの本名は泰徳(やすのり)といって、彼の父親の名前が憲司(けんじ)。彼の芸名の「けん」は彼の父親からとった名前で、彼の父親は交通事故にあって、その後遺症で呆けてしまって、そのまま志村が誰だかわからない状態で死んでしまったそうだ。彼は父親の存命中はただただ厳しいだけの人って感情しかもっていなかったのに、彼の頭の中には常に、自分の笑いをみて父親はどう思うかってことがあるらしい。つまり彼の発信先は常に父親だってこと。それを知ってから彼のコントをみると少しは違った見方ができるのかなぁなんて思っています。




2005年12月07日

私語辞典-柳美里

「私語辞典」 柳美里

私語ォ典.jpg今回買ってきた中で一番楽しみにしていた本。言葉にはそれぞれ辞書上の定義があるけれど、それ通りの意味だけで使ってる人はほとんどいない。人にはある言葉へのそれぞれの思い入れや考えなどがある。逆を言えばその言葉を人に伝えたときに、最大公約数的に聞き手がイメージする意味が辞書に載っている。この本は柳美里が44語の言葉について彼女自身がもつその言葉のイメージや意味なんかをエッセイとしてまとめてある。

例えば

性欲・・・生殖から切り離された人間の性欲は諸悪の根元であり、且つ、文化の偉大な推進力である。

とか

秘密・・・絶対守られない約束と知りつつ共有する、親密になるための儀式。

なんて感じで。

今まで彼女の作品は読んだことがなかった。(読まず嫌いだったけれど)彼女の物語のテーマがまだ自分が必要としていないテーマだと思っていたし、それを読んだところで自分の中でそのイメージを作り出すにはまだまだ自分は幼すぎると思うから。この本を読んでいていっそうその考えは強くなったけれど、こういう風に言葉に関して自分自身のイメージを持ちそれを自分自身の言葉で説明できる人は自分の体験や周りを観察して得た結果を自分自身の中でじっくり消化して、それを自分自身で説明しようという強い欲求があるのだと思う。こういう人の話しを聞いたり一緒に飲んだりすると楽しいんだよね。

他の作家さん、特に原田宗典なんかのもつ言葉のイメージをまとめてくれた本があるとすぐ飛びつきたいのだけれどね。(それを表現するのが小説なんだけどね・・・)




2005年12月06日

ハーマイオニーはオーマイハニーのアナグラム?

って考えている人結構多いみたいですね。(googleの検索結果)

ハーマイオニーのスペルってHermioneなんですって。どっかのページに「her m(y)i one」ってのがあってこれだ!素敵|_-。) ポッってなっちゃったよ。なかなかこんなこと言えないよ〜

おもしろい本は全部読んじゃって、今日本屋さんにいって10冊ぐらい買って来ちゃいました。おもしろそうな本がいっぱいあるので、ここで記録できることが楽しみです。(ってそんなことしてていいんだっけかしら・・・)
posted by kbb at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

ハリーポッターと秘密の部屋

秘密の部屋.jpgテレビでやってるのをみる。やばいやばい。配給会社とスポンサーとテレビ局の思惑にばっちりはまってしまっている・・・。前回の賢者の石に続いてこれまで見てしまうとは。最新作を早くみたくなっちゃったじゃないか!しかも今月中に第三作目もDVDで発売されるようだし。ぴったし戦略にはまる消費者像そのまんまだな。きっと、いろいろなところで繰り返されてきたプレゼンテーションで披露されたパワーポイントにそのまんまの消費者像が描かれていただろうと思うと悲しくなるよ。

それにしても、ハーマイオニーの成長する姿がかわいくてかわいくて。ムゥ。ダマされてやるのも幸せなのかもなんて・・・。(なんていっても彼女10歳?12歳?こんな事言ってるとまた友人に誤解されそうです・・・。)

この作品でもアナグラムが重要な鍵になっていましたね。きっとハーマイオニー=オーマイハニー説は正しいはずです。(英語のスペルはまったくちがったけどね)

まぁよく作りこまれているけど、ちと長いので疲れちゃいました。もうちょっと短くしてほしいな。

友人にもののけ姫がどうして売れるのかって分析をした人がいるので、その子にハリーポッターがなんで売れるのか聞いてみたいところです。



posted by kbb at 17:28 | Comment(0) | TrackBack(2) | 映画

2005年12月05日

怪しい日本語研究室-イアン・アーシー

「怪しい日本語研究室」 イアン・アーシー



怪しい日本語研究室カナダ在住の日本語マニアの著者による日本語論。日本で日本史を研究するために留学していたこともあり、現在は翻訳家。日本語について、日本人だからこそ気付かないことを様々な観点から面白く描いている。

お役所言葉の口語対訳表が載っていたりしてなるほどと思ったり、線文字B(ミケーア文明の文字)とヒエログリフ、マヤ文明の文字と日本語の共通点など、歴史言語学的考察もやってて、大学の授業でやった歴史言語学の授業で知りたかったこともこの本を読んでいれば解決していたじゃん!なんて思ったり。

その中でも各所に語用論(言葉の意味とそれを使用する人間の研究)的考察が多くて(実はこれが僕の専門だったりする)、「僕」や「私」っといった人称(外国の日本語学習者からみると、それぞれの意味というか伝えるものの違いが大きく、日本人が考え込まずに使う言葉でもいちいち考えてしまう。)、「外人」という言葉の意味(英語のforeignerと日本語の外人てのは意味が違って、英語の場合は話者が現在いる場所が基準だけど、日本語の場合は日本人以外はみんな外人。つまり「フランスどうだった?」と聞かれて「外人ばっかりだったよ」って言えるのは外人って言葉の特色)とか最後の挨拶で「さようなら」って言葉を使うのは子供か外国人しかいないなんてそう言われればそうだなってのが結構たくさんありました。


GMO追記

GMOは南米が舞台だったのだが、そこでは遺伝子組み替えをした種を植物昆虫、動物にかぎらず自然界に放つことの危険性とともに、アマゾン流域での自然破壊が描かれていた。そこでは毎日数千種の未だ未発見の生物種がどんどん絶滅しているとのことだった。1本の木を伐採することによる環境への負荷は計り知れない。

遺伝子組み替えによって人間は自然界には生まれ得ることのなかった新たな種をいくつも生み出している。それと逆のことを毎日自然界で行っている。種を絶滅させ、新たな種を生み出すという矛盾。

人間ってとことんバカなんだね。
posted by kbb at 05:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年12月04日

GMO(下)-服部真澄

「GMO(下)」 服部真澄



GMO(下).jpg長かったなぁ。起承転転転転転転転転転転結転って感じのストーリーでその転のたんびに登場人物を頭の中で整理していかなければならなかったのが疲れちゃったのかもねぇ。

前回書いたけど、テーマは興味のあるものばっかりでそれなりに考えさせてくれたし面白かったですね。遺伝子組み替え作物のことも知らないことだらけだったし。友人と飲みながらこの本の話しをしたときに「ヒステリックに遺伝子組み替え作物に反応するのはどうかと思うんだよね」って話したら、おまえは「ヒステリックにヒステリーになってるみたいだね」って言われちゃって。確かにそうだったのかも。もっと深く考えなければ(もちろん答えはでないことなのだけれども)自分なりにもつ考えには至らないテーマなんだなって思ったよ。

本を読んでいて改めて再確認したというか現実を突きつけられたことがって、それは食品や作物って行政に許可されるものなんだってこと。うちには犬がいるけれど、彼らはご飯を食べるときに、それがどんなものであろうと一回自分の鼻で匂いをかいで、舌先で触ってみて「大丈夫!」って確信してから食べ始めるのね。そんな能力は人間にもあると思う。だってちょっと冷蔵庫に長く入れ過ぎちゃったものはまず匂いをかいで見て、飲み込む前に舌先で大丈夫か確かめるでしょ。でも、許可されないと私たちには口にいれるものすら自分達では選べないんだなって。人間の確認する能力からかけ離れたものしか現状ではテーブルの上には載らないんだなって思った。


まぁなんにせよ、(長くて展開がだらだらとしたけれど)テーマとしては面白かったと思いました。しばらくはこの作者の本はいらないけど・・・。

黄泉がえり

黄泉がえり.jpg最近手に入れたDVDレコーダーで録画して映画をみるのが最近の楽しみの一つなんだけど、それの機能の一つに番組表の表示ってのがあって、映画だけを表示してくれる。それで一週間分の映画を表示して気になるものを片っ端から録画している。いつ見るんだろうって思いながらね。

そのレコーダーの箱には286時間分録画できるって書いてあるから100本以上だなって安心していたのに、このあいだ容量が足りませんなんてメッセージが・・・。
ダマされた!( ̄□ ̄;)!!(ダマされてばっかだねぇ)

なんだ最高画質で録ると30本も入らないのかよ!しょうがないから、あんまり見たくない黄泉がえりを見た。やっぱり泣いてしまったじゃないか!

だいたいこういう内容の映画は見たくないんだよねぇ。だったら録るなよって話しだけどさ・・・。死んだ人が生き返るなんて現実にあっちゃまずいし、しかも今日は母の法事だし。

毎年家族がみんなで集まって思い出しましょうって口実で法事をやっている。法事のあとの飲み会のためにやっているだけかもしれないけどね。まぁ、これはこれでいい集まりだからいいのだけれど。

一つだけ、映画をみていて面白いなぁって思ったのは、黄泉がえった人が、死んでいる間に成長している子供のビデオを見ているシーンだった。彼を忘れられない奥さんを好きになってくれている男性がいて、彼がそのビデオをまわしているのだけれど、そのビデオを見ながらその黄泉がえった人は自分が死んだ後も社会は自分抜きでどんどん進んでしまっていることを突きつけられてしまったのよね。よくもまぁこんなシーンいれたななんて思いながら見ていたけど、ホントのことだからしょうがないしね。


あぁ、なんだか支離滅裂・・・。というわけで、「こんな映画を見たよ」のコーナー(なんてあったんだっけ)でした。



posted by kbb at 07:19 | Comment(0) | TrackBack(2) | 映画

2005年12月03日

GMO(上)-服部真澄

「GMO(上)」 服部真澄


GMO(上).jpgGMO-Genetically Modified Organisms 遺伝子組み替え作物をテーマにしたサスペンス。

最初はアメリカが舞台で、この作者は日本人じゃないの?なんて思いながら読んでいた。ただ展開が遅すぎるので読んでいて苦痛を感じることが多々あった。一つ一つのシーンが説明的すぎて字面を追っているだけで次の展開にわくわくするってことが少なかったかも。

なんにしても、自分が遺伝子組み替え作物について知らないことが多すぎるってことをわからせてくれた本だとは思っている。今までは食品のパッケージに「遺伝子組み替え大豆は使用しておりません」なんて書かれていても、メンデルが遺伝の法則を発見してから、それ以前でも馬や鳩のレース用の交配による改良や、作物の品種改良のように、人間の都合のいいように、種をいじっていたじゃないか。厳密に言えば人間が作り人間が収穫する作物で自然のままの種なんてないのだから、そんなヒステリックになることないんじゃない?なんて思っていたのが少し考えを改めるべきかななんて思っている。

この本は扱うテーマが多すぎて、考えながら読んでいたら、いくらたっても進まなかった。遺伝子組み替え作物にはじまって、有機農法や大規模農業などの農業問題から貧富の差や大国の論理などの経済格差の問題、コカインなどの薬物の問題とそれらを伝統的に生活にとりいれている人たちの問題意識の差、科学者の研究倫理の問題や果ては盗作などの科学的倫理の問題まで。それぞれ一つずつを一冊の本にすれば作者もこれからのアイデアに困ることはないんじゃないかなんて思ったりしてしまったよ。

まぁなんにしても下巻を今読んでいるので、それを読み終わったら思ったことも少しはまとまるのかななんて思っています。






2005年12月02日

ハリーポッターと賢者の石

テレビでやってたのを録画して見る。


ハリーポッター.jpgこういう流行りのものは本も含めて目にしないことにしている。まぁでもテレビでやってたことだし、見てみるかって気持ちで見た。

細部にこだわって作り上げられていて、すごいなぁって思った。これならあそこまで売れるのもわかる気がする。どんな人でもおもしろいと思わせる要素があるんだろうね。きっと好きな人は何度でも読み返してるんじゃないかな。コレクター要素があるって感じ。

どっかで映画監督がいってたけど、登場するキャラクターってのはそれが映画とまったく関係ない設定だとしても、その映画のストーリー上必要のないものでも、それぞれのキャラクターの生い立ちから現状まで全部考えるんだって。そうしないとそのキャラクターに深みがでなくって、おもしろくなくなるらしい。ハリーポッターでもやっぱり、どんなに少ししか登場しないキャラクターでも細部まで考えて造ってるんだろうな。

原作者のJ.K. ローリングが終夜営業の喫茶店(だっけ?コーヒーショップ?)の片隅で考えていたのはきっとそういうことなんだろうなって見ながら考えていた。

見ててストーリーに集中できないほど気になったのは、「ハーマイオニー」は「オーマイハニー」のアナグラムなのかなってこと。つまり、ヒロイン役を宿命づけられているのかも。(英語のスペルは知らないからどうだかわからないけどね。)






posted by kbb at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画

2005年12月01日

カルト-39【刑法第三十九条】part V-永井泰宇

「カルト-39【刑法第三十九条】part V」 永井泰宇

カルト刑法第三十九条シリーズの続き。今度のテーマは宿泊研修を通して洗脳をするカルト組織。宗教団体ではないのだけれど、やってることは宗教とかわらないよって内容。つまり信者を集めることを目的とした新興宗教(学術的にははっきりと定義されている言葉らしいけど、そんな厳密な言葉な意味で使ってないよ)にとってはその教義内容なんてどうでもいいんだよってこと。

洗脳の行われ方が詳細に分析されていて、人の脳/心ってこんなに脆いもんなんだなぁって思わされる。脳科学と精神医学双方から説明されているのがおもしろかった。つまり、脳科学は器質的な話し、精神医学はそれによってもたらされる現象面の説明。

フィクションと頭でわかっていて、読んでいるにもかかわらず、その組織の「教え」について真剣に考えてしまいました。「好き嫌いなんてのは、その人の感情によってもたらされるもの。だからその感情を棚上げすれば好き嫌いなんてない平和な世界が来る。」とかね。理屈で言われればそうなんだろうけど、それができないから好き嫌いなんであって、好き嫌いのない人間なんて、人間じゃなく機械と一緒なんじゃないかな。でも、ただの読者である僕がそこまで考えるんだから、実際、そういうことを目の前で(さらに洗脳のためにいろいろな方策がはりめぐらされている)考えさせられたらもっと身近な問題として、真剣に捉えて洗脳されちゃうのかもね。とにもかくにも、その人の個性や個人的な考えを押さえつけて、別の考え方を植え付けるやりかたってのは気に入らないね。それによって人を傷つけるなんて許せない。

新興宗教って聞くだけでヒステリックになるひとはもっと嫌いだけれどね。それって結局メディア(新聞やテレビのような影響力のあるメディアからブログや井戸端会議のような個人的メディアも含めて。つまり自分以外の情報)による洗脳なんじゃないかと思う。自分で考えるより人に押しつけられた考えを自分の意見だと思う方が楽だもんね。




私信

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