
うちにはあと二匹、犬がいたのですけど、そいつらは数年前に亡くなってしまいました、中型の頭のよい九太と体ばっかり大きくてあほな行動ばっかりやっているのだけど、僕になついて、家に帰るたんびにそのでかい体に飛びかかられて押し倒されそうになっていたゴールデンレトリバーのバロンちゃんです。二頭とも長生きしたので、生命を全うしたのだと思っていますけど、やっぱり未だにペットロスっていうんですかね、思い出して悲しみに押しつぶされそうになってしまうときがあります。その瞬間はふとやってきて、駅のホームを歩いているときや、会社で書類を読んでいるとき、スーパーで半額になったお刺身を選んでいるときなんかにふとやってくるその感情とやっと最近仲良くやれるようになってきました。
でもまた大きな犬が飼いたい。そう思います。
さて、そんな犬派の僕にはいまいち楽しめなかったのですけど、猫派の人はきっとよーくわかるんだろうなぁって思わせてくれる作品。野中柊の「参加型猫」です。タイトルの由来は本文を読んでいただくとして、作者の野中さん。本当に美人さんなんですよ。ネットでイメージ検索でもしていただければわかりますけど、僕の好み、まぁ好みは人それぞれなので美人さんって思う人がどれだけいるかはわからないですけど、ストライクゾーン内角低めにずばって感じで、打ちたいんだけど手も足もでない、ってそんな感じの美人さんです。目の前にいてもきっと声なんてかけることはできないでしょう。
で、この人、誰かに似ているなぁってずっと思っていたんですけど、昔つきあっていた女の子にそっくりなんですよね。卵形の顔の輪郭や耳の形、笑ったときの口の開き方がそっくりなんですよ。もちろんプロフィールの写真なんてきれいに見える表情をとっているもんなんでしょうけどね。だから一度飲みに行って真っ正面から笑顔で見つめ合いたい。そんな風に思っています。
でも、なぜかわからないけど、僕には人の写真をみると現実の人と相当違う風に見えるんですよ。目の前で見ているときは、すっごい美人さんだなぁなんて思っているのに、写真になっちゃうと、あれ?こんな顔だったっけ?って思っちゃう。写真なんて一瞬を切り取っちゃうものだから、一秒前の笑顔と一秒後の笑顔がつながっていないから、そうおもっちゃうのでしょうかね。
野中柊も同じようなことを今回の作品で言っています。
カンキチくんの顔を見るたびに、どうして、私の肉眼に映るあなたの顔と、鏡の中のあなたの顔とは違うんだろうって思ってた。
鏡と写真の差こそあれ、何かを通してみるっていう共通点があるような気がするんですよね。同じようなところに不思議さを感じられる野中柊さんとなら仲良くやっていけると思うのですけど、どうなんでしょうかね。でも彼女は現在ニューヨークに住んでいるらしいので、一緒に飲むためにはまず海を越えないといけないんですね。愛は障害が多いほど盛り上がるって言いますからちょうどいいかもしれないですけどね(笑)