前に読んだ生物学個人授業と同じシリーズの第三弾。生徒役の南伸坊さんが養老孟司の講義を聞いてその講義ノートと養老先生のコメントでまとまっている。養老孟司の本は、彼のやっている解剖学っていうのはいったいぜんたいなんなのだって思って「異見あり」に挑戦したことがあるのだけれど、そのときは途中で挫折した。彼の言葉の難しさが原因なのだと思っている。そこで、今回南伸坊さんの言葉ならわかりやすいだろうと思って読んでみたのだけれど、南さんも養老先生に最初に同じ質問をしていた。つまり「解剖学」ってのはいったい何を研究しているのですか?」っていう質問。養老先生もそれに答えようとして、解剖学の歴史であるとかまつわる話しとかはするのだけれど、現在解剖学が何をしているかっていうことについてはまったく要領を得ない。解剖学が何をしているかって質問に「例えばね」からはじまる話しばっかり続くのだ。この時点で少し飽きてきて、あぁメンドクサイと思いながら読んでいった。でも途中から、あれもしかして、って思いながら読んで最後の最後で養老さんも同じようなことを言っていてそうだったんだってやっと納得できた。つまり、解剖学は最初、切り刻んでものに名前をつけることを目的にはじめられた。それは純粋に好奇心からくるもので、最初はそれでうまくいっていた。しかし、もうこれ以上分けることができなくなり、すべてに名前を付け終わった段階で、解剖学としてはやることがなくなってしまったのだ。そこからそれぞれの機能や働きを調べるのは生理学とかって違う学問領域になっていってしまう。もう現在(病理解剖学とかを除いて)解剖学が対象とするものはもうないと言ってもいいのだ。じゃあ今養老先生がやっていることってのは何かっていうと、その解剖学が行ってきた方法論をもって、今まで解剖学が対象としてこなかったものを眺めやることだったのだ。つまり死体以外のものに目をむけて、今までと違った切り口でそれらを眺めやると他に違ったことが見えるでしょってことを著作とかを通して実践的に行っているのだろう。
ここまできて、彼が新聞や雑誌に社会問題について寄稿している理由がわかった。彼は多分本当に頭のいい人なのだろうから、今までの常識的な見方を捨てて、新しい足場から眺めやることができるのだろうけど、同じように違った見方をするのって彼の著作を読んだだけの人にはできないんじゃないかなってちょっと心配になってしまった。唯一できるのは、異なった側面から見ている人もいるだろうなって知ることぐらいなんだろうな。



