こんばんは。人間はいくつまでなにかの卵でいられるんでしょうかね。そんな卵がいっぱいいたという伝説のアパート、原宿セントラルアパートの物語「原宿セントラルアパート物語」です。写真家の浅井愼平が(たぶん)自己の経験を書いたものなんでしょうが、小説風に描かれています。といっても、主人公以外は全部実名ででてきます。
石原裕次郎や、アラーキー、渥美清、タモリなんかがでてきます。
寺山修司の言葉の作り方なんかも紹介されていて、なんだか(知らないけど)懐かしくなってきます。
原宿交差点の現在GAPのあるところに、原宿セントラルアパートはありました。一階にあった喫茶店、レオンにはそのアパートに住む卵たちが集まり、それぞれの世界観を闘わせていました。当時は写真家も、小説家も、デザイナーもイラストレーターも境界なんてなかったと誰かが言っていました。そこにあるのは、世界の何を切り取るのかということだけ。
ネットで検索すると当時の面影が少しだけですがよみがえってきます。こんなところにいれば自分は何者かになれる、そんな風に自信をもてるのかもしれないですね。
そうやって人はつくられるんじゃないか、そんな風に最近考えることがあります。人はなにかによって自分をつくられる。立場や責任がそうやって人をつくっていく。そんな風に考えるとこういうコミュニティーっていうのが一番有効なものなのかもしれないですね。
先日のお弁当で卵焼きをつくりましたが、卵ってしょう油にもケチャップにもソースにもあうんですよね。まだなんにも染まっていなくて、なんにでもなれるもの。それが卵なのかもしれないですね。って考えると、写真家の卵は写真家にしかなれないのだから、それはもう卵でもなんでもなくてただのヒナかもしれないですね。


