どうも、こんばんは。普段からエッセイは読まないとか言っています。村上春樹の「走ることについて語るときに僕が語ること」を読んだときも、もう二度と読みたくないって言った気がします。でも読んでしまいました。村上春樹のエッセイ。古本屋でこの続編「村上朝日堂の逆襲」と一緒に売っていたから・・・。本棚を整理していて、村上春樹の新潮文庫の2作目がないことに気付いて、それがこれだったってわかったから・・・。
あぁ、自分のいい加減さにあきれます。
でも言い訳させてもらえれば、まだまだ三十代の頃の村上春樹の書いたエッセイなんです。まだ彼自身が出来ていないときのエッセイなんです。
だから、だから。っていいわけになっていないですね。
正直に言えば、楽しんじゃいました。彼の普段の考え方や生活。もうマラソンを始めていたとしても、そこまでストイックさがエッセイには著されていない。それよりも、彼の日常に関する見方がよくでている。たとえば関東に住んでいるのに、関西のテレビ番組表を毎週見てしまうとか。そういったことがよくでていて、これはこれで、彼の小説を読む上での参考になると言わざるを得ない。
安西水丸の絵が彼の文章にいい味をつけていて素敵でしたよ。
それにしても、どの文章にも既視感を覚えてしまうのはなぜでしょうかね。
電車の切符を無くさないために耳にいれる村上春樹の話を読んで、そういえばこれを読んで自分もやった記憶がある。ということはこのエッセイを昔によんでいるわけで、このエッセイが本棚にないのは、自分のいい加減さからきたものだった・・・。そんなことがよくわかったエッセイでした・・・。「・・・」が多いのは気のせいですよ、きっと・・・。


