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2009年03月21日

きのう、火星に行った。-笹生陽子

「きのう、火星に行った。」 笹生陽子

きのう、火星に行った。おはようございます。
昨日はデンマークから友人が一時帰国したので酔っぱらってきました。彼女はイタリア人の彼を連れて帰ってきていて総勢8人でお食事会です。彼との会話はもちろん英語。つたないスピーキング力とリスニング力しかない僕はお酒に逃避してしまうわけで、記憶がないのも当然のことかもしれません。英語を理解するために頭はフル回転でしたし、なかなか大変でしたけど、とっても楽しかったです。行く前は何をどう話そうか、なんて悩んでいましたけど行ってみるとなんとかなるものですね。せめてもう少し英語が話せたらなぁなんて思いますけど。飲むと英語が突然流暢になるなんて都合のいいお酒でもあればいいのに。

さて、笹生陽子の「きのう、火星に行った。」です。児童向けに書かれたお話です。

僕は山口拓馬、小学6年生。
病弱で親戚の医者の家でくらしていた弟がある日突然帰ってきた。7年ぶりに会った弟は、子どものいない親戚の家で甘やかされて育ってきたらしい。うろちょろくっついてきたり、自転車を勝手にもちだしたり。困ったものだ。
学校ではハードルの選手に選ばれてしまうし、友達はいらない、やる気もださない、なんてかっこつけていたのに、めんどくさいことばかり起こる。
弟や同級生の原田、一緒にハードルの選手になった「でくちゃん」を通して変わる僕の心。

この物語の重要なアイテムに弟がつけていた変な形のゴーグルというものがでてきます。お菓子についていたシールを集めて当たったもの。そのゴーグルをつければ自分が行きたいところへどこへでも飛んでいける。火星にだっていけるんだ。

弟のそんな説明を最初は否定し続けていた拓馬。しかしある日をきっかけにゴーグルをつけてみることにした。そしてそこにみえたものは。

素直になること。やってみること。失敗してみること。いろんなことを教えてくれるこの作品。笹生陽子は子ども達に伝えたいことがいっぱいあるのでしょうね。

とことんまでやってみる。失敗したっていいじゃないか。英語が話せないからって臆病になっていたら昨日の会合にでるようなこともなかったかもしれませんね。おかげで楽しい時間を逃してしまうことになっていたかもしれない。挑戦してみる心を持ち続けられる限り、ゴーグルが例え割れてしまっても無くならないのかもしれない。




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2009年03月14日

ワーキングガール・ウォーズ-柴田よしき

「ワーキングガール・ウォーズ」 柴田よしき

ワーキングガール・ウォーズおはようございます。

昨日の記事に書いた「転活日記」って言葉ですが、何回か発音してみると、「天かす日記」にしか聞こえなくなるのは僕だけでしょうか?なんだかおいしい天丼を食べたくなってきました。

さて、柴田よしき「ワーキングガール・ウォーズ」です。以前読んだ「最後の恋」で柴田よしきの作品がよかったので、読みたいと思っていた「ワーキングガール・ウォーズ」。見つけてきましたよ。

 一流企業の総合音楽企業の企画部という花形のフロアで係長を務める墨田翔子。女性の中でも出世頭の彼女は疲れている。ある日ふと思い立ったオーストラリア旅行。ひょんなことからメーリングリストで知り合ったのはケアンズ在住、旅行会社でガイドをする愛美。ペリカンに癒されたい!そんな思いを抱きながら降り立ったケアンズだったけど、同じパックツアーでやってきた大泉嶺奈が起こすトラブルに巻き込まれていく。

この作品連作短編集になっているのですけど、視点は翔子と愛美が交互に現れます。ケアンズ旅行は最初の二編だけですから、上に書いたあらすじは中途半端なものなのですけどね。それぞれにちらっと事件が起こるので加納朋子の作品のような日常のミステリをイメージしたほうがいいかもしれませんね。

なんだか最近読む小説、読む小説に海外で働く日本人や海外に逃亡する日本人が出てくる気がするのは気のせいなのでしょうかね。まぁこれだけ国際化が進んだ世の中ですから小説の中に海外が出てくるのは当然なのでしょうがね。それとも海外に逃亡したい僕だからこそそういうのが目に入ってきてしまうのでしょうかね。

で、この小説ですが、ぜんぜん「負け犬小説」じゃないですね。「最後の恋」の最後に載っていた広告文は詐欺ですかね。まぁ別に負け犬小説を求めているわけじゃないのでいいんですけどね。女性三人がそれぞれプライドを持って生きている。そんなお話でした。



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2009年01月30日

黄色い目の魚-佐藤多佳子

「黄色い目の魚」 佐藤多佳子

黄色い目の魚こんばんは。

今日は豪華二本立てです。

最近の日本の女子テニス勢は大活躍ですね。杉山愛は惜しくも敗れましたけどダブルスで決勝に行きましたし、なんといっても伊達公子でしょう。13年ぶりに四大大会ってどんだけスーパーウーマンなんでしょうかね。年をとると人間の体力は衰えるっていう常識を一気に覆してしまいましたものね。でも陰ですっごいがんばっているんでしょうね。テニスをやりたい、ただそれだけのために他のことは全て犠牲にする。それだけ打ち込めるものがあるってことは幸せなのかもしれないですね。

さて、「しゃべれどもしゃべれども」の佐藤多佳子の作品、「黄色い目の魚」です。

そうそう「しゃべれどもしゃべれども」の映画をこないだケーブルテレビで観たのですけどイマイチでしたね。原作を無理矢理入れ込もうとしているように感じちゃって。香梨菜が美人さんだってことしか残らなかったなぁ。

さて、気を取り直して「黄色い目の魚」。どうしてか「黄色い魚の目」って覚えちゃって未だに間違えてしまいそうでこわいです。

物語は「やればできる。やらないだけ」の男の子と周囲にとけこめない女の子のお話。男の子、悟は部活でサッカーをやっていても真剣になれない。真剣にやって失敗したら恥ずかしいから。だいたい才能もないのだからできるわけないし。それでも絵を描くことは大好きだ。絵を描いていると没頭して時間を忘れてしまう。
女の子、みのりはうまくまわりと間をとれない。気に入らないことがあるとすぐに絶交してしまう。そんなみのりも高校生になって、なんとか敵を作らないようにしてきたけど、すっごい頼りになる味方がいるわけでもない。
そんな悟とみのりの交流を描いた物語。

僕には絵の才能がまったくないので、逆にこういう絵を描く人の物語は好きなんだよなぁ。美術館とかもなかなか行く機会はないのだけれど、いつでも行く準備はできているんですけどね、心の中では。

やればできる。やらないだけ。なんて言い続けて30年も経っちゃいましたけど、いつはじめるんだろうか、僕は。そろそろ本気にならないと。悟が気づいたように、僕も早く気づかないと。伊達さんにばっかりいいところを持っていかせ続けるのもしゃくですしね。さぁ動きだそう。




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2008年11月20日

定年ゴジラ-重松清

「定年ゴジラ」 重松清

定年ゴジラおはようございます。

今日も寒いですね。天気予報をみていたら、ソウルの現在の気温は-3℃だそうです。寒いんでしょうねぇ。そんな寒いところに行っても朝布団からでることができずに無駄にだらだら過ごしてしまいそうな気がしてしまいます。まぁ休暇に行くのだからそれでもいいのでしょうけどね。

さて、重松清の「定年ゴジラ」です。開発から30年のニュータウン、くぬぎ台が舞台です。新宿から私鉄で約2時間。30年サラリーマンをして子供を育て上げ、そして定年を迎える。毎朝6時台の電車に乗り、0時台の電車で帰ってくる。昼間の、生活の場としての街を知らず生きてきた男たち4人の物語です。

歩き始めは下り坂、これ鉄則。
なにより怖いのは日射病。
ジャージは禁物。腰を痛めるし、腹も出る。

先輩たちがそうやって山崎さんに伝える。みんな散歩の達人だ。
だって他にやることがないんだもん。

開発会社のコンセプトの元に作られたニュータウンの周りには酒を飲むところもない。夫婦と子供二人の家族が住むのに安全な、暮らしやすい、静かな、自然の多い街をつくったら定年後過ごすのにつまらない街ができあがってしまった。
「真面目な息子を育てていたと思ったらつまらない男ができあがってしまった」

そんな街のご近所トラブルや家族の問題、ふるさととは何か、そんなテーマの物語の連作短編集になっています。誰もが歳をとるわけで、いつかは誰にでも定年はやってくる。そのときに人はどう生きるか。趣味ももたず、家族にいい暮らしをさせてやるために毎日遅くまで仕事をする。そこに残るのはなんなのか。

結局誰のために働いているかってことになるのでしょうね。家族の幸せが自分の幸せに感じられる人ならいいのでしょうけど、最後は一人ってことなのでしょうかね。でも、彼らは一人ではない。自分の子供よりも長く一緒に暮らしてきた奥さんがいる。趣味のない人はつまらないなんていうような世間の評価を気にせずに奥さんがそれでいいっていうのならいいのでしょうね。もう数十年一緒にいるのですものね。

僕はかねがね、娘は心配しすぎてしまうから、息子の方がいいなんて言っていたのですけど、よくよく考え見たら僕は男が大嫌いなんですよね。何をしても煮え切らないし、すぐに人のせいにするし、最後に逃げ出すし。それよりも娘の方がかわいいかもしれないですね。まぁかわいいからこそ心配になるのでしょうけどね。でもどうやらやっぱり父親は娘に煙たがられる存在になってしまうようですね。それは寂しいからいやだなぁ。

この本、ブックオフで買ったのですけど、中に血圧を測った結果用紙がはさまっていました。上の血圧が130。少し高血圧気味の人ですね。年齢も性別も書いていないけど、山崎さんのような定年後の男性がすることもなく、読書にはまって買った本なのかしらと想像しながらこの紙をしおりにして読んでいました。少し血圧が高いみたいだから気をつけてくださいね、って心に思いながら。定年を迎えてから寿命まで20年近くあるのです。きっと今までよりも楽しいことが待っているはずですよね。

さて、26日まで更新は休止です。旅行中に読んだ本は記憶に残るものですけど、今回は何を持っていこうかな。まだ決まっていないのですけどね。って本を読みに行くんじゃないのだからなんでもいいですよね。ではでは、いってきます。




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2008年10月23日

サイレントリー-鈴木光司

「サイレントリー」 鈴木光司

サイレントリーこんばんは。昨日ちらっと書いたんですけど、今度の日曜日に友達の結婚式に行って来ます。人生初結婚式です。ネクタイの色は?とか新札はどこで手に入れるの?とか、いろいろわからないことだらけなんですけど、楽しみです。その子は美人さんだったからウエディングドレスも似合うことでしょう。写真もいっぱい撮ってこないとね。幸せな家庭をちゃんと築いてくれるようにいっぱいお祝いしてきます。

さて、鈴木光司の「サイレントリー」です。「リング」「らせん」で日本中を恐怖に陥れた貞子を生んだ人です。まぁあれらの作品は怖いだけじゃなく貞子の人生がしっかり描かれていたからこそよかったんですけどね。

でも、それ以来鈴木光司はホラー作品を描けなくなったようで、全然新しい作品がでてきませんね。貞子のファンだった僕としてはすっごい残念です。その代わり彼が一生懸命描こうとしているのが家族愛なのではないでしょうか?「生と死の幻想」などでそれがわかります。でも残念ながらこういうテーマってもういろんな人が書いているからわざわざ鈴木光司の書いた物を読まなくてもいいような気がして、だからこういう作品を書き始めた彼の作品はあまり読んでいませんでした。

久しぶりに読んだ彼の作品「サイレントリー」もやっぱりテーマは愛。特に子供への愛情なんですよね。やっぱり、と思いつつも久しぶりだから読んじゃえって感じで読み始めましたけど、まぁまぁって感じでした。短編集でいくつかなかなかいいねぇ、って思うのもあったのですけど、やっぱり鈴木光司じゃなきゃいけないとは思えないような作品です。

彼にはもっと彼にしか書けない物を書いて欲しい。本当にそう思います。なんだか「リング」三部作を読み返したくなってきました。って怖いのは本当はだめなんですけどね。

ってなんだかこの記事、とーーーーっても偉そうですね。まぁ本音なので許してやってくださいな。




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2008年10月04日

一千一秒の日々-島本理生

「一千一秒の日々」 島本理生

一千一秒の日々こんにちは。

月曜日・・・昔から行っていた飲み屋に別件で電話をすると、たまには遊びに来てくださいよ、と言われ調子のいい僕は一人で飲みにいくことに。二日酔いになる。

火曜日・・・二日酔いで調子のあがらない体を引きずりながら、火曜日から二日酔いになってちゃ社会人としてどうなの!?と反省しきり。そして、別件で別のお店に電話をすると、おいしいトマトが入るから来ませんか?と誘われる。せっかく誘ってくれたのだから、とその時点で拒否することは選択肢にははいっていない。かろうじて二日酔いにならない程度に酔っぱらって帰ってくる。

水曜日・・・朝から新幹線に乗り出張。電車の中でぼーっとしながら不足した睡眠を取り戻そうとがんばるのだけど、中途半端に近い行き先でなんにもできず。1日ということで、映画の日。「おくりびと」を見てくる。新宿で21:30からはじまる会でそれまでに飯をくっておこうともちろんビールを注文。飲み過ぎたビールのせいで、久しぶりに映画の途中でトイレに行くという失態をやらかす。恥ずかしかった。

木曜日・・・久しぶりになんの予定もないので、まっすぐ帰ろうとする。帰り際にはすでにのどが痛くなり鼻水がじゅるじゅる。この程度で風邪をひくなんてだらしがなさすぎる、と自分が情けなくなる。今日も外で飲んで帰ろうとうまいとも思わないビールを流し込みながら終電近くまで一人で飲む。

金曜日・・・朝から体がだるくて仕方がない。完璧に風邪を引くも、薬を飲んで眠くなるのがいやなので、なにもせずにいると、夕方近くなって悪寒が走り出して、退社時間きっかりに会社をあがらせてもらう。逃げるように家に帰って速攻で寝る。

というわけで今に至っております。のどが痛くて咳がでます。肺が痛むので肺炎なんじゃないかと、かすかに思っているのですけど、大丈夫でしょうかね。あまり考えることもできないので、文章がめちゃくちゃな気がしますけど、もう感想待ちの本が「さみしいよう」と泣いています。

さて、島本理生です。連作短編集というより、群像劇って感じのお話ですね。彼女が大学生のときに書き上げたお話のようで、若い男と女が描かれています。前のお話にちらっとでた人が次のお話の語り手になるという風に物語は進んでいくのですけど、最初の主人公と最後の主人公は同じ女の子です。

四年間も何事もなくうまくいっていた哲と真琴。普段は家にのんびりゲームをしたりぼうっとしてすごす。ある日、二人で動物園に行く。別れるために。二人が二人でいるために足りないなにかをしっかりと見るために動物園に行く。

最後の短編。やはり真琴が語り手。哲と別れた真琴が哲の前につきあっていた加納君と温泉にいくお話。二人はやり直すことはできないのか。二人の関係が変わることはあり得るのか。

個人的な意見としては哲が語り手となるお話がほしかったなぁって不満が残りました。真琴からの見方だけでなく、やっぱり双方向の見方をしりたいなぁって。

あぁもう何がなんだかよくわからなくなってきた。自分は何を書きたいのでしょうか、ここに。というわけで頭が重くなってきたのでまた寝ます。夜にでもまたたまった分を更新できればいいのだけれど。




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2008年09月15日

ぼくらのサイテーの夏-笹生陽子

「ぼくらのサイテーの夏」 笹生陽子

ぼくらのサイテーの夏こんにちは。

土曜日はあんまり酔っぱらわずにワインを飲むことができましたよー。いつも記憶をなくすような飲み方しかできなかったのに、少しはオトナになったのかしら。土曜日はですね、友人の誕生日をお祝いしたんですけど、近辺の誕生日の人全員をまとめてお祝いしてしまおうということで、五人まとめてお祝いしてきました。といっても二人はそれまでに軽くお祝いしていたので準主役って感じでしたけどね。総勢14人だったのですけど、その三分の一がお祝いされる側だったんです。少しはばらけて欲しいですよねぇ。まったくもう。

で、どうせならサプライズパーティーにしてしまおう、ということで、主役の三人とそれぞれ時間をずらして待ち合わせしました。「久しぶりにデートしない?」と言われてやってきた彼女たちはなにも知らされないままお店へ到着。ばれないように「おいしいお店を予約した」とかなんとか行って連れて行ったのですけど、みんな暢気なもので、お店に着いてみんなが拍手で迎えるまでまったく気づかず、驚いた顔をしてくれました。一寸先は闇ですよぉ。って意味が違うか(笑)

で、みんなで騒いでワインをがぶ飲み。いいパーティーになりました。先月もやったので毎月恒例になりそうです。っていい加減ばれちゃいますかねぇ。まぁばれないように一生懸命こちらは仕掛けを考えてはいるんですけどね。イヒヒ。

さてさて、前置きが長くて、読書日記なんだかなんなんだかよくわからなくなってきましたけど、「ぼくらのサイテーの夏」です。以前も「楽園のつくりかた」で紹介した笹生陽子です。「楽園のつくりかた」と同じように児童向けの作品のようですが、ワインを克服したばかりの大人でも十分楽しめる作品になってますよ。

終業式の日に「階段落ち」の勝負でけがをした僕は先生にも見つかり、罰として夏休みのあいだのプール掃除を命じられた。一緒にプール掃除することになったのは今まで話したこともない同級生、栗田。栗田のジャンプのせいで負けた「階段落ち」。めちゃくちゃクールな彼とプール掃除をするなんてサイテーの夏になりそうだ。

って、いうあらすじです。といっても僕は大人なので、騙されませんよ、僕は。サイテーの夏を過ごすことになりそうだと、言いつつもなんかしらがあってサイコーの夏になるんでしょー。わかっていますって。

さて、サイテーの夏がサイコーの夏になる理由。それがなかなかにサプライズなんですよねぇ。児童には少しわかりにくいんじゃないのかしら?と思いつつも今時の社会や家庭の問題が描かれています。ラストはもう少し穏やかな終わらせ方をしてもよかったんじゃないの?とおもったのですけど、まぁそれもいいですかね。

ただ少し鼻につくような説教臭い言葉が所々にみえたんですけど、この作品が作者のデビュー作っていうのが理由だからからもしれないですね。でも、この本を読みなさいと推奨図書にしてもこの本じゃ読書好きの子供にはならないような気がしてしまいました。

いくつになってもサプライズっていうのが人を喜ばせる一番の方法なんでしょうね。来月のパーティーも一生懸命騙してやるんだから。イヒヒ。




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2008年08月20日

六枚のトンカツ-蘇部健一

「六枚のトンカツ」 蘇部健一

六枚のトンカツこんばんは。

毎日暑いですねぇ(ってここ最近は涼しいですけどね・・・)。そんな暑い夏に負けないようにビタミンBがいいみたいですよ。そう豚肉に多く含まれているあれですよ。そういうわけでみなさん油っこいからいやだなんて言わずに揚げたてのトンカツを食べに行きましょう。本当においしいトンカツや天ぷらはまったく油っこさを感じさせないものですから、胃にもきっとやさしいはずですよ。

さて、むりやりの前フリでしたけど、そんなトンカツがタイトルの「六枚のトンカツ」です。蘇部健一という人の作品です。この作品、講談社メフィスト賞というミステリの新人賞という枠組みの賞なんですけど、この賞をとっているこの作品。確かにミステリといえばミステリなんでしょうけど、それよりも作者はくだらないギャグの方にこそ力を入れているのではないかって思えるぐらい、毎ページといえるぐらいつまらないギャグがでてきます。もちろんくだらないとかつまらないとかいいつつも、思わず笑っちゃうようなものもあるんですけど、これでもか、これでもかって出てこられると少し食傷気味になっちゃって、最後は全然笑えなくなって背筋が寒くなって暑い日にぴったりなんて落ちもつくんですけどね。

さて、14の短編が収められていますけど、どれもこれもトリックがでてきて、よくこれだけ考えられるなぁって思います。まぁトリックもそんなのあり、なんてのもあるんですけどね。特に"しおかぜ17号四十九分の謎"なんて、びっくりさせられてしまいました。ここで言えないのが辛いところですけどね。

トンカツだって食べ過ぎなければ夏に勝てるものを食べ過ぎたばっかりに逆に体をこわすなんてこともありますものね。おもしろいギャグも腹八分目にしておきなさいってことなんでしょうね。僕も少しは親父ギャグを控えないといけないですね、なんて反省させてくれる作品でした。




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2008年08月19日

愛妻日記-重松清

「愛妻日記」 重松清

愛妻日記こんばんは。

やっとたまってた本がなくなりまして、これからは普通の更新ができると思うとうれしい限りです。といってもまたすぐにためちゃうのでしょうけどね。この性格をどうにかして直したいなぁ。

男がすけべなように、この性格はきっと一生直らないんでしょうけどね。そんな男のスケベ心、性欲が前面に押し出されている物語、重松清の「愛妻日記」です。

最初匿名という条件で書いた官能小説にはまってしまった重松清がその後書き続けた官能小説が6編収録されています。

どれもこれもエロイ。この一言につきます。でもそのエロさのほとんどがAVっぽくって途中から読むのに疲れて来たのも事実です。人の想像できるエロなんてこんなものなのかしらって思っちゃいます。スカトロがあったり、複数プレイがあったり、縛ったりとどれもこれももう使い古されてきたものばっかり、その奥にある愛情なんかが全然見えてこなかった。ただただエロの洪水に流されそうになっただけでした。

でも最後の"ソースの小壜(こびん)"だけは違った。これも複数プレイのお話なんだけど。しかもネット上で知り合った見知らぬ男たちに妻を犯させる話。これだけが、他の話とちがって、セックスの裏側に見える二人の愛がしっかりと描かれていた。結局セックスなんて、それだけを楽しんでいても最後は飽きてしまう物なんでしょうね。どんなに過激なことをしていったとしても、二人が抱き合っているのが一番幸せなんだと思う。過激なプレイにその愛情を感じる道具を求めてしまうことはとっても悲しいことなのかもしれないけれど、それでも二人がお互いを求めていればそれでいいのかな、なんて思えるようなお話に仕上がっていました。

自分はこんな風なセックスをしたいとは思わないけれど、やっぱり誰かと抱き合いながら微笑んでいたい。これもやっぱりスケベ心が僕に思わせてるんでしょうかね。まずは誰かと深く愛し合うところから始めないとだめなんでしょうけどね。




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2008年08月09日

「神」に迫るサイエンス BRAIN VALLEY研究序説-瀬名秀明編

「『神』に迫るサイエンス-BRAIN VALLEY 研究序説」 瀬名秀明編 澤口俊之 山元大輔 佐倉統 金沢創 山田整 志水一夫 瀬名秀明

「神」に迫るサイエンスこんばんは。甲子園が始まっていますね。今年はオリンピックのせいで、前倒しで始まっているそうですね。そんな開会式の直前に発覚した桐生第一高校の野球部の部員による猥褻行為。例年の甲子園の日程ならすんなり出場辞退が決まって、準優勝校が出場することになったんでしょうね。ところが幸か不幸か、日程がそれを許さなかった。理事会でも承認され出場することになりましたね。ところが、昨日こんな記事が新聞にでていました。

読売オンライン2008年8月7日

桐生一高、一般生徒の球場応援を中止…相次ぐ批判受け
 第90回全国高校野球選手権大会に出場する群馬・桐生第一高の野球部員(2年)が強制わいせつ容疑で逮捕された事件を受け、同校は7日の試合で、学校主催による一般生徒の応援を中止することがわかった。

 日本高校野球連盟が大会出場を認めた今月1日、同校は、甲子園球場での応援は自粛し、希望者のみの参加とすると説明していた。ところが、星野栄二教頭によると、それ以降も同校に「なぜ出場辞退しないのか」など批判的な内容の電話が相次ぎ、「事態はより重大と判断した」という。

 甲子園出場の際、同校からはこれまで、1試合あたり約500人の一般生徒がスタンドの応援に参加していた。7日の試合では、教職員や応援団、控えの野球部員ら約90人のほか、保護者約400人がスタンドで応援する予定という。

(2008年8月7日03時07分 読売新聞)


開会式で、文部副大臣があいさつで全国の高校野球ファンのためにがんばってくれと。

でもね、野球をしているのは彼らであって、彼ら自身のためにやっていると思うのです。誰のためでもなく自分のためにここまで練習をしてきて、だからこそ、それを見て感動できるんじゃないでしょうかね。なのに、何様かわかりませんが、わざわざ学校に電話して、出場辞退を迫るなんて、やり方が陰湿だとしか思えません。桐生第一の開会式での入場のときスタンドから起こった拍手。あれこそが全国の野球ファンの気持ちだと思っていたんですけど違うんでしょうかね。
もちろん猥褻行為なんて恥ずべきことですけど、それはそれを起こした個人の問題であって、それを所属にまで責任を広げるのはどうかと思います。もし、所属にまで広げなければならないのだとしたら、同じ日本人として、それを批判する人も批判されなければならない。同じ人間として戦争が現在起こっていることに対して責任をとることはできないでしょう。それと同じように甲子園に行った野球部の人たちはベンチ入りする選手でもない、補欠の選手が起こした事件に対して責任をとらされることはないと思いました。残念ながら桐生第一は一回戦で負けてしまいましたけど、プレーをしていた彼らの胸にはどんな気持ちがあったんでしょうかね。一緒に暮らす仲間が誰も応援にこないスタンドを見上げて自分たちの責任を痛感するのでしょうかね。それとも、人のしたことで自分たちにもこういうことが起こってしまうんだって、その後の人生の対し方に大きな影響を及ぼすことにならなければいいのですけど。これにめげずにがんばってほしい。

なんだか長い前フリになってしまいました。まぁようは人間は脳に生かされているって話しが書いてあるのが瀬名秀明の「『神』に迫るサイエンス」。瀬名秀明のサイエンスフィクション、「BRAIN VALLEY」を科学的見地から検証してみようという企画です。その検証をしているのが、現在の脳科学やロボット工学の第一人者だっていうから、豪華な企画本です。

テーマは多岐にわたっていて、ロボットや脳はもちろんのこと、UFOや臨死体験など、今まで科学からはそっぽを向かれていたであろう分野に関しても触れられていて、現在看護大学に通う友人にここで紹介されていた医学雑誌のコピーをお願いするぐらいまで、知的好奇心を刺激される作品でした。残念ながら「BRAIN VALLEY」は手元にあるものの、未読なので、今度読んでみようと思っています。っていっても分厚い上下の作品を読む気になるのはいつになることやら。

今日は本の紹介というよりは、ニュースって感じの記事になってしまいましたね。それはそれで残念ですけど、まぁ僕も脳には逆らえないので、今日はあきらめましょう。

ではおやすみなさい。





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2008年07月12日

スペインの雨-佐藤正午

「スペインの雨」 佐藤正午

スペインの雨こんにちは。

佐藤正午の「スペインの雨」です。以前読んだ、「ジャンプ」から気になりつつも読まないでいた佐藤正午ですけど、とうとう読んでしまいました。「ジャンプ」はラストだけ変えられた村上春樹作品のようであまり入り込めなかったんですけど、今回の作品はまぁまぁ楽しめる作品でした。テレクラがちょこちょこでてくるのには、驚きましたけどね。

作家さんが主人公の連作短篇のようなお話です。

表題作"スペインの雨"はテレホンクラブで出会った人妻を忘れられずにテレホンクラブに通う男が主人公です。最初の人妻と待ち合わせたときの合い言葉

「スペインの雨は、どこに降る?」
「平野に。おもに平野に」

という言葉をそれからも使って彼女を捜します。まぁこの作品もドーナツがでてきたりするんですけどね。

そのほかにも"クラスメイト"なんかはミステリを読んでいるようで結構楽しんで読んでいました。登場人物それぞれの視点から描かれたこの作品。高校のクラスメイトそれぞれの30代が描かれています。誰がこいつと結婚していて、誰がこいつと不倫しているのか。そんな視点で読んでしまい、お話のスジに目がいかなかったのが残念でしたけどね。

"コンドーム騒動"なんてまさに作家さんがネタを探すようなお話なので、佐藤正午自身がモデルになっているのかもしれないですね。友人が不倫をしている、出張で旦那のいない人妻の家で一晩を過ごすのですけど、コンドームを二つ使ってしまい、同じものを補充しておかないとバレルってんで作家は友人につきあってコンドームを探してあげます。ところがそれがなかなか売っていない。っていう顛末がいろいろあっておもしろかったですよ。先日ドラッグストアに行ったときにこの作品を思い出してしまってレジのお姉さんを見ながら、この人も今まで数多くのコンドームを売ってきたんだろうなぁって思っちゃいました。彼女たちはカップルや男性一人、女性一人でコンドームを買いに来たお客さんにどういう気持ちで接客しているんでしょうかね。まぁなんとも思っていないっていうのが正解だと思いますけどね。

短編集で表題作が一番おもしろくないっていうのはよくあることなんですけど、ここまでおもしろくないのは久々でした。別のタイトルつければいいのに、なんて思うんですけど、タイトルつけるのも難しいんでしょうね、きっと。まぁこのブログのタイトルもどうにかならないかしらと思いつつ、ずっとやっていますし、しょうがないですかね。




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2008年07月05日

楽園のつくりかた-笹生陽子

「楽園のつくりかた」 笹生陽子

楽園のつくりかたこんにちは。

昨日のオアシスの時に一緒に買った作品「楽園のつくりかた」です。この人も知らない人だぞ、と思いつつ表紙の学生服姿の男の子に眼がない(ハードカバーを買いました)のが気になって買いました。

読みやすい文章に流れるように入ってくる個々のストーリー。それらが最後に折り重なってエンディングを迎える。楽しめる作品になっています。

ある男の子が家庭の事情で山の中にある田舎町に引っ越すことになった。彼は東京の私立の進学校に通う中学生。それが田舎の分校に通うことになった。少しぼけたおじいちゃんと暮らす家からバスで通うその学校には中学生が三人しかいなかった。転校してきた彼を含めて四人で過ごす毎日。その内の一人は田舎生まれの田舎育ち。いつもぼーっとしていて、へらへらしている。残りの二人は東京から山村留学でやってきた女の子。一人はいつもマスクをしていてひと言もはなそうとしない。もう一人はとびっきりの美人。そんな彼ら、彼女らとの衝突や友情を通して成長していく彼。いい学校にいって一流企業に就職するだけが全てじゃない。それもいいけど、こっちもいいよって教えてくれる物語。

読み終わってから著者略歴を読むと、児童文学の分野でいくつも賞を取っている方でした。やっぱり知らなかったのは僕だけだったみたいですね。

でもこの作品、小学生や中学生に読ませるのはもったいない。立派なミステリーとして十分通用するような作品です。いろんなことが折り重なって最後の結論にいたる。一文も気を抜けないですよ。って最後の方に来るまで読みやすい文章にだらーっとして読んでいたんですけどね。

森絵都や江國香織が児童文学出身の作家だっていうのは有名ですが、この分野の作家さんにはこれからも注目ですね。

昨日、今日で読んだことのない作家さん特集をやってみたんですけど、結局わかったのは自分が井の中の蛙だったってことだけでしたね。でもね、井の中の蛙って格言は中国の古典から来た言葉らしいんですけど、日本に入ってきてからそれに続きが作られたそうです。それは

井の中の蛙大海を知らず されど空の高さを知る

素敵な言葉ですよね。一つのことでも突き詰めればなんかわかることがあるかもしれない。友人とも狭く深くつきあいたい僕にはこっちの言葉の方がしっくりくるんですよね。

では今日も毎週通っているお気に入りのラーメン食べてきます!
(^-^)/~ またねっ




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2008年05月11日

喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな-齋藤孝 倉田真由美

「喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな」 齋藤孝 倉田真由美

喫茶店で2時間もたない男とはつきあうなこんばんは。突然ですが、サックスを習い始めました。といっても、ヤマハ音楽教室に行くとかってわけじゃなくて、サックスをやっている人に個人授業を受けています。夕暮れ近くの砧公園へ行き、街頭の下でサッカーをやっている親子を横目に見ながら、ド、レ、ミ、ファ・・・の音をだす練習・・・。まぁ何事も基本が大事ですからねぇ。最初からかっこいいジャズを哀愁漂う音色で吹ける人なんているはずがありませんものね。っていうか、四分音符と八分音符の違いもわからず、四分の三拍子と八分の六拍子を約分すれば同じじゃない?といって冷たい目で見られるほど、音楽的知識はゼロなので、まずはその辺であきれられてしまうんですけどね。

今年は背中で語れる男を目指すと書きましたが、飲み始めるとどうしても口が止まらないので、サックスで語れる男になる!を目標とすることにします。ってここまで言えばやっぱりやめました、なんてことにならないと飽きっぽい僕は思っているんですけど、どうなんでしょうかね。ってか、喫煙の公約を守らなかった前例もあるわけで・・・。まぁがんばります。

というわけで、明治大学の教授で最近いっぱい本をだしている齋藤孝と雑誌SPAで
「だめんず・うぉ〜か〜」を連載している倉田真由美の共著「喫茶店で二時間もたない男とはつきあうな」です。

明治大学の偉い学者さんが、童貞だの、処女だの、セックスだのって言葉を繰り返し述べている希有な本です。

この本でも触れられているんですけど、齋藤孝の「偏愛マップ」っていうのが結構使えそうです。自分の好きな物をA4ぐらいの紙にただ書いていくだけなんですけど、けっして系統立てて書く必要もなく、頭に浮かんだものをどんどん書いていきます。犬のとなりにフィギュアやガンダムと書いてもいいわけです。これを合コンなどの場面で初対面同士がお互いに見せあって、話のネタにする。これならネタに困ることもないし、考えられないような接点なんかもみつかるから大変使える、ということでした。それに長いつきあいをしている二人でも、お互いの考えていることや見ていることがよくわかって、そういう風にも利用できる、っていうことでした。今度よく飲みにいく友人とやれば新しい発見とともに、新しい恋心が!なんてことにはなりそうもないですけどねぇ・・・。

で、まぁこの本の結論としては、タイトル通り「喫茶店で二時間もたない男とはつきあうな」ってことでした。喫茶店で二人向かい合ってコーヒー一杯ずつで二時間話をできる男なんてなかなかみつからない、とも書いてあってその見つけ方は書いてくれていないので、結局どうすればいいの!?なんてハニワ顔にもなってしまうんですけどね。

でも、おもしろいことが書いてありました。体が快感を感じる体の交換は男の性的能力の減退や、年齢による苦痛などを考えると一生できるものではない。それに比べて脳が快感を感じる、言葉の交換は死ぬまでできる。だからセックスの技術を磨くよりかは、絡むような会話のできる男を見つけたり、そのためにの技術を磨いた方がいい、なんて書いてあって、そうだな〆(._.)メモメモって思いました。

まぁこの本を読んでも、口べたの僕は喫茶店で二時間もたせることなんて絶対できやしないと思っているので、サックスを吹いて女性に語りかけることにします。うまくなれば二時間ぐらいなら吹いていられそうですものね。その前の長時間吹いても口のまわりが筋肉痛にならないように鍛えないといけなさそうですけどね。




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2008年05月03日

どしゃ降りでダンス-新野剛志

「どしゃ降りでダンス」 新野剛志

どしゃ降りでダンスこんばんは。昨日は取り乱してしまってすみませんでした。よくわからない文章でしたね。自分にもよくわからないことだったんです。女の子のこともよくわからないけど、自分のこともよくわからないですね。

というわけで、どしゃ降り(というほど降っていませんが)の今日にぴったりの「どしゃ降りでダンス」です。タイトルに惹かれて買った作品で、まったく読んだことのない著者でした。というわけでご多分にもれず短編集です。

著者プロフィールによると「自分にイヤ気がさし」会社にも実家にも黙って失踪。ホームレス生活をしながら原稿を書き江戸川乱歩賞をとった人だそうです。

なんだかとっても「男」を描くのがうまい人のようですね。しかもスジを通そうとする不器用な男。「背中で語れる男になる」を目標にする、なんて言っているおしゃべりな僕とは対局にありそうな人たちです。

みんな酒飲みでタバコ吸い、困っている人がいたら放っておけなくて、それでよけいなことに足をつっこんでしまう。そうなっても途中で投げ出すことができなくて、最後まで果たそうとする。普通は途中で引き返すんですけどね。めんどくさいことをいいわけにしたりしてね。
雰囲気がちょっぴり浅田次郎に似ている作品でしたね。長編を読めばその感覚が正しいかわかるかもしれませんね。

今度使えるセリフが書いてあったのでここにメモしておきましょう。

居酒屋好きの女に、悪いのはいない


この言葉でどなたか口説けないですかねぇ。そうすれば安くつき合えるんですけどねぇ。安っぽい女は嫌いですけど、金のかかる女はもっと嫌いですからねぇ。




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2008年04月24日

シルエット-島本理生

「シルエット」 島本理生

シルエットこんばんは。

島本理生の15歳、16歳、17歳の時の作品が収録されている作品集「シルエット」です。15歳、16歳の時の原石見て取れます。今は亡き雑誌「鳩よ」で賞をとった掌編小説"ヨル"が収録されています。

感想はといえば、、、原石が見て取れる、それぐらいですかね。とりたてていうことは何もありません。読みやすい文章で16,7歳の時の感じたことがそのまんまでている。

でも、それがうらやましい。そのぐらいの歳に文章にしてなにかを残しておこうなんてぜんぜんおもわなかった。その時に感じたこと、考えたことはそのときにしか残せない。今、あのころはこうだったなんて描いてもそれは嘘以外の何者でもないですもの。

そういう能力、そういう機会を得た彼女が、正直に言えばうらやましい。

まぁ愚痴はここまでにしておいて、このころから、人の気持ちを表現する言葉をいっぱい知っている彼女に少し嫉妬してしまいました。

このあとに出た作品もいくつか読んでいるけど、これがその出発点なのかと思って読むとまた違った気持ちが出てきます。ここから巣立っていったんだなっていう少し上からみた視線。そんな自分が嫌いになりますが。でも、これが彼女の出発点には違いないでしょう。

映画「耳をすませば」の雫が西司朗に初めて自分の作品を読んでもらった時のシーンが頭に浮かびます。決してすばらしい作品ではなかったけど、原石のようなものを感じると言われた彼女。彼女はそうやって自分の中の原石を磨いていくんでしょうね。

島本理生をきっとそうやって自分の原石を磨いていったのでしょう。決して彼女の歳が周りをそうさせたものではないことを祈ります。で、なければ彼女は早晩自分につぶされてしまうだろうから。



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2008年04月10日

ジャンプ-佐藤正午

「ジャンプ」 佐藤正午

ジャンプこんばんは。いつもお昼を食べに行く喫茶店にメガネをかけた胸の大きい素敵なOLさんがいます。今日の帰り、駅まで歩いていると、どこかでみたような人が携帯電話で話しているのを見て、思わず顔に見いちゃったのですけど、それが毎日喫茶店で見かけるその女性でした。メガネもかけていなく、かわいらしい私服を着ていたので最初わからなかったんですけど、じっと見ていて思い出しました。向こうもこちらの顔をじっとみて、あっ、って顔をしたので、わかったのでしょうね。軽く会釈しようとも思ったのですけど、そんなことするのもおかしいかなぁと思ったらそれすらできずに、ただ通り過ぎてしまいました。あそこで声でもかけていたら素敵な出会いになっていたんでしょうかね。それとも隣の交番に駆け込まれていたのでしょうか。人との出会いは難しいものですね。
まぁ向こうも冷たい目でこちらを見ていたので、声をかけないで正解だったのでしょうね。

そんな風に冷たくされたら次からはどう接すればいいのかわからない、kbbです。といってもその女性とは話しすらしたことなく、会釈もしたことないんですけどね。たまに相席のテーブルで一緒になるぐらいなんですけどね。妄想しすぎですか、そうですか・・・。

そんな冷たい仕打ちを見知らぬ女性ではなく、半年つきあった彼女にされた男が主人公の物語「ジャンプ」です。初佐藤正午作品ですが、どこかで村上春樹に雰囲気が似ていると聞いて、わざわざ探して買ってみました。

読後感はといえば、不器用で理屈っぽくて優柔不断な男が妻に出て行かれて、井戸に潜ったりするお話が村上春樹にあったと思いますが、それに対するアンチテーゼなのかしらって思いました。もちろん、井戸に潜ったり図書館の地下で羊男を助けたりはしませんけどね。

りんごを買って五分ぐらいで戻ると言った彼女がそのまま失踪した。最初はみんなで探したが、一月も経たぬ内に誰からも連絡がこなくなる。一月の内に僕以外のみんなには連絡がきて、彼女が事件や事故に巻き込まれていたわけじゃないことがわかる。しかし、どうして自分にだけ、連絡がないのだろうか。

そんな風にして、自問自答をしながら男はその後の人生を生きていくことになるってお話です。

読みが浅いせいか、タイトルの「ジャンプ」の意味がわかりません。彼女がジャンプしたのか、彼がジャンプしたのか、それとも二人の関係が五年後にジャンプしていくのか。

文章はなかなかよかったのですけど、村上春樹のお話が頭から離れなかったのが、読めなかった原因ですかね。この作品だけじゃあなんとも言えないので、もう一冊読んでみようと思います。




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2008年03月01日

しゃべれどもしゃべれども-佐藤多佳子

「しゃべれどもしゃべれども」 佐藤多佳子

しゃべれどもしゃべれども小学校の時、たしかあれは五年生の学芸会だったと思います。リア王だか、ハムレットだかのシェイクスピアの作品をやることになり、記念に準主役あたり(主役じゃないところがおかしいですね)の王様役に立候補したことがありました。そういうのに積極的なタイプではなかったので、そのときの教室にいた同級生や先生たちの一瞬止まった顔が印象的でした。

候補者が二人いて、その選考会の日。完璧に台本も覚えて手振り身振りまでも自分で考えて、自分の番になって舞台にあがったとき。初めてあがった舞台の上で下を見ると先生や同級生の顔がしっかり、くっきりと見えてしまい、その一瞬から頭の中が真っ白になっちゃいました。そして、檀の上で何も言わず立ちつくす僕。何もいうことができず、降りることも出来ず足だけわなわなと震えていた気がします。僕にとっては一時間にも二時間にも感じられた数分後、先生から「台本見ながらでもいいのよ」なんて言葉をかけてもらったけど、せっかく覚えてきたのに台本を見ながら言うなんてと、ちっぽけなプライドがそれを許しませんでした。と、いってもその後もセリフなんて一言も出てこなかったんですけどね。その後先生からの「もういいよ」という言葉で終わった選考会。その後の教室の雰囲気はまったく思い出すことができません。

そのときの経験から、頭が真っ白になってもなにか言わなきゃなにもすすまないことをしったからなのか、その後、好きな子に告白するときに頭の中が真っ白になってなにも言えなくなるって事はなくなったんですけど、格好悪い言葉を言ってしまって結局振られてしまうんですよね。もしかして、台本をそのままいわなきゃっていう緊張が頭の中を真っ白にさせたのかもしれないですね。告白の時は自分の言葉でなんでも言えますもんね。まぁその頭の中で考えたセリフは作られた台本にはかなわないってことなんでしょうね。

読みながら、そんな忘れていた記憶を蘇らせてくれたのが今回の「しゃべれどもしゃべれども」です。うまく人前で話せない人たちが落語家を師匠にして、落語を学ぶお話し。そこに集まったのはテニス教室でラケットをふらつかせて生徒の前でどもっている良、話し方教室で言葉のでない十河という猫のような女の子、いじめを喧嘩と意地で言い切る小学生の村林、プロ野球を引退してラジオ解説者となったがアナウンサーとうまくリズムがとれず思ったことを言えない湯河原。そしてそれを教えている落語家、三つ葉もしゃべることを仕事にしているのに、好きな子の前では歌舞伎に誘うことすらできない。

言いたいことをいえないっていうのは、きっとそれを言うことで引き起こさせる将来を考えちゃうからなんでしょうね。そこにはやはり自分をかっこつけたいとか、人を傷つけたくないとかって気持ちがあるような気がするな。未来が一瞬でも頭をよぎるともうなにもいえなくなっちゃいますものね。

三つ葉はおばあちゃんと一緒に住んでいるんですけど、そのおばあちゃんの話し方がくどくどとして同じ事を何回も繰り返す、なんて描写があるのですけど、最近の僕の酔っぱらい方がまさにそれで、これを読んだときにとうとう自分もおじいちゃんか、なんて思っちゃいました。もっとスマートで若者らしい飲み方をしないとなぁ、なんて思いました。ってなんだか最近このブログ、僕の酔っぱらい反省記みたいになってますね、これじゃあイケナイイケナイ。

以前、といっても二年近く前にMOWさんのところで紹介されていて、そこのコメントで、読んでみますーなんてことを言ってから、やっと読み終わりました。MOWさんおそくなってすまんです!






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2008年02月25日

男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章-塩野七生

「男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章」 塩野七生

男たちへやっと春一番が吹きましたね。せっかくあたたかくなっておしゃれをしようしてスカートをはいたら風がつよいなんて、女性は大変ですよね。おかげでこちらは休日の新宿でおしゃれなかわいらしい女性をたくさん見られて、いっぱい目の保養ができたからありがたいんですけどね。

そんな風にかわいい女の子につい目がいってしまう男っていうのは塩野七生に言わせるとどういう男だって言われちゃうんでしょうかね。タイトルが「男たちへ」ってことで、本屋さんですぐに目に付いてしまいました。

さっそく読んでみたところ、なんだか「あんたはダメな男だねぇ」なんて言われているようで、考え込んでしまう時間の方が長くなってしまって、全然読み進められなかったです。

塩野七生はイタリア在住らしく、素敵な男性がまわりにたくさんいるので、目が肥えているんでしょうね。むしろ理想は高くってことなのかもしれないけど、彼女が素敵な男性として描く人は同性の男からみてもやっぱりかっこいいものになりますもの。

男と女の関係についてもうまいことを言っていて

女の人には誰にでも、本当のことを言うことはないのよ。女の人はみな、自分自身の本当の状態を知らないほどバカではないの。...例えばママに「なに、ママ、今日のヘア・スタイル、なっちゃいないよ」なんていうことはないのよ。ママは...なっちゃいないことくらい百も承知で、おかげでその日一日中、身の置きどころがない思いをしているのだから。でも、...「ママはいつもきれいだなあ」なんて言うこともないのです。そういうのを見えすいたお世辞といって、そういうことばかり言う人は、軽薄人間の代名詞にされますよ。あなたも、真実とは、言う必要のない時は言わない方がよいということも知っておきなさい」


はい、すみません。口を開けば本当のことをいうか、もしくはそれの裏返しとして見えすいたお世辞を言ってしまうのはやっぱりよくないことなんですね。だからいつも眉のつり上がった女性の顔ばっかりみることになっちゃうんですよね。やっぱり女性のかわいらしい笑顔を見るには、男性の協力も不可欠ってことなんでしょうね。頭ではわかっているんですけど、口が勝手に動いてしまうんですよね。直さないといけないですねぇ、って思っただけで直るのならいうことないんですけどねぇ。

そうそう、塩野七生がこういってました。

男は30にして立ち、40にして惑わず。だから20代はどんなに人に迷惑をかけてもいいし、30になったら立ちさえすれば、惑ってもいいんだ。そういう経験があってはじめて40にして惑うことがなくなると。40にしてまだ惑っているのが一番よくないのだそうです。

というわけで、この言葉を免罪符にまだまだどんどん惑っていくことにしますね。とりあえず通勤電車の中で、どのかわいらしい女性を観察するかで惑ってこようかと思います。




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2008年01月26日

ナイフ-重松清

「ナイフ」 重松清

ナイフ もうやめてー。目の前にきれいなOLさんが座っている昼時の喫茶店で、本を開くのがやっとという感じに混み合っている帰りの電車の中で、なんどもそう叫びそうになりました。いじめの描写、いじめられている子たちの感情、それを見守る大人たちの心の動き、どれもにリアリティがあって、ぐいぐいひっぱられてしまう。そんなひどいいじめを受けながら、そんな優しいことを考えたり、言ったりしないで!涙が何度もでてきました。喫茶店ではその涙を隠すためにトイレに立ち、満員電車の中では思わず上を見上げたり、その必要のない駅で降りて寒い中次の電車をまってみたり。

重松清の「ナイフ」です。テーマはずばりいじめ。5編からなる短篇集です。いろんなイジメの姿が描かれています。その最中の彼らの気持ち。それが終わった瞬間の彼らの気持ち。数十年経ってそれを振り返ったときの彼らの気持ち。どれもが手を抜くことなく、細部まで描かれていました。いじめの現場まで手を抜かずに描いているから読んでいる方は辛く辛くてしょうがなかった。

いじめに関しては言うことはありません。ここで何を言っても仕方がないし、自分の経験から言えばそこまでがんばって学校なんていかなくても、やめちまえばいいのに、なんて思うけど、彼らには彼らの事情というものもあるし、ひと言で片づかないのが難しいですね。まぁただ一つ言えることは、学校なんて辞めてもいくらでも取り返すことができる環境が今の日本にはあるよ、とだけですね。

しかし、親の中には"キャッチボール日和"のお父さんのように、一度逃げ出したらいつまでも逃げることになると考えている人もいますし、いじめられている人の中にだって"エビスくん"のそばから離れられなかったひろしのように、強い人に憧れて、どんなことをされても彼らのそばから離れたくないって人もいるでしょう。

人が三人いればそこには権力争いが生まれ、もしかしたらそこには弱いものいじめが生まれるのかもしれない。でも、された方は一生忘れないだろうし、心になにかしらの傷を負ってしまう。それに比べていじめた方は「そんなこともあったね」ぐらいの気持ちしかもつことはない。きっとここがいじめの最大の悪いところなんでしょうね。身体と身体をぶつけあうとっくみあいのケンカなら双方に同じようになにかしらを残すような気がしますもの。

荻原浩「コールドゲーム」、重松清「ナイフ」とイジメがテーマの作品が続いて少し、疲れちゃいました。しばらくこの種の本は手に取るのをやめておこうと心に誓うkbbなのであった。




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2007年12月20日

いとしのヒナゴン-重松清

「いとしのヒナゴン」 重松清 

いとしのヒナゴン こんばんは。今日は古本屋さんに行っておもしろそうな本をいくつか買ってから、ゆっくりとコーヒーでも飲みながら堪能しようと思ってファミレスへといきました。テーブルについて、本をひらいて何ページか読んでいたところへ、まだ高校を卒業したばかりぐらいの華やかな女の子三人組がやってきて、後ろのテーブルへとつきました。最初は気にもしていなかったんですが、だんだんと三人組の会話がきこえてきて本に集中できなくなってしまいました。その内容とは、アルバイト先でのその三人を含む複雑な恋愛関係のお話しでした。途中から恋人からふるわれる暴力についての話しになったりして、なんだかお昼のワイドショーを観ているような感じになってしまって、「そりゃ大変だなぁ」なんて途中で相づちをうったり、はたからみたらおかしな人ですよね。で、一人の子があとの二人に相談しているような感じだったのですけど、こうしたほうがいいと思う、だよね?なんていうふうにもう一人の子に話しかけ、もう一人の子もそんなふうに言われたらうなづくしかないじゃんって具合に、「だよねぇ」、なんて言って、なんだか複雑な力関係がここにもあるのかしら、なんて思いながら聞いてしまいました。ってただののぞき見趣味の親父みたいだなぁ・・・。

ってことで、そんな複雑な人間関係や(ちょこっとなりそうな気配はあるけれど)恋愛とは無縁の世界が描かれているのが「いとしのヒナゴン」でした。

コピーライター目指して東京で一人暮らしをしているのぶちゃん。両親から地元の役所に勤めるように言われ臨時職員として採用されます。その採用された先が類人猿課。何十年も昔に一時期発見されたヒナゴンがまたもや目撃されたということで、前回と同じように町おこしと夢とを背負わされて発足した課です。そのヒナゴンが中心となって、はちゃめちゃだけど憎めない、はたから見ているぶんにはいいけど近くには欲しくない町長のいっちゃんやらその幼なじみのドベさんやら、のぶちゃんの小学校時代の同級生やらで話しがすすんでいきます。

いろんなタイプの人間がでてきて、自分はどの役回りだろう、なんて思いながら読んでいました。ジュンペみたいにまっすぐにすすめる人間じゃないし、のぶちゃんみたいにお酒に弱いところはあるけれど、いっちゃんのようには振る舞えないし、ヒナゴンのように幻でいるのもいいなぁと思いつつ、自分は西野君なんじゃないかしらと思っていやになっちゃいました。まぁ西野君も最後は格好いいところをみせてくれるんだけどね。

ジュンペは小学校五年生の担任なのですが、生徒にまだ見たこともないヒナゴンの絵を描かせようとします。子どもの想像力は無限大なのだから枠にはめず、まだみたこともないヒナゴンだからこそ、素晴らしい絵が描けるはずだ、って信じて疑わないのです。しかし、提出された絵を見てジュンペは自分が子どもの頃にもっていたような想像力を今の子達が持っていないことを知って哀しくなります。

自分だったらこの宿題どうだったんだろうって考えちゃいました。昔から絵が下手でお父さんを描いているのにお母さん?って言われたり、クスリのカプセルの絵を描いていたらどこぞの無人島か?なんていわれたりしていい思い出がないんですよね。これは想像力の問題なのかしらね。そうえいば絵に関しては想像を働かして描くよりかは、何かを見ながら描いていたことのほうが多かった気がしますね。どうしてだったんでしょうかねぇ。

まぁ絵なんて描けなくたって大きくなれますし(身体だけ)、こうやって文章やダンス、歌なんていう表現方法もありますからねぇ(どれも下手)。キニシナイ、キニシナイ。
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2007年12月17日

ナラタージュ-島本理生

「ナラタージュ」 島本理生 

ナラタージュこんばんは。昨日の夜七時頃、渋谷の街を歩いていました。この寒い中、彼氏を喜ばせようとしているのか、短いスカートなど寒そうな格好している人が多くいました。私的にはうれしかったんですけど、kbbさんを喜ばせるなんて世の中女神様が多いんでしょうね、きっと。

さて、最近恋愛小説づいていますけど、淋しくなんかないんだからっ!
どっかで何年か前の「この恋愛小説がすごい」大賞になったなんて聞いてそういえば、持っていたけど読んでいないぞなんて思いながら読み始めました。

結論から先に言うと、うまくはいりこめなかった。大賞になるような作品ではないと個人的には思っちゃいました。淡々と物語は進んでいくのだけれど、出てくる男どもにリアリティを感じられなかったのが原因かしら。小野君は最初に描かれているのとは裏腹にすっごく子どもだし、葉山先生も大人のように描かれているけどやっぱり子どもだし。自分の幼かったころを思い出させられながら読み進めていくしかなかったような気がします。

あの頃は若かったなんてね。相手の言葉でしか恋愛関係を確認できなかったりしてね。まぁそれも楽しい思い出なんですけどね。

女友達に年上の人と付き合っている人がいるのだけれど、つきあって約半年になるのに、彼のことを苗字にさん付けでしか呼べない子がいて、この間電話で話したときに、そんなんじゃ泉ちゃんみたいにいやがられちゃうよ、なんていう風にこの本を引き合いにだしてみたけれど、自分でもそんなことを気にするかなぁ、なんて思いながら話していたんですけどね。でも、やっぱり、なんだかんだいっても彼女や彼氏のことを苗字にさん付けで呼ぶのはおかしいのかしらね。そこには照れや、なにか他の感情もあるとは思うけれど、やっぱり距離を感じてしまうのかしらね。個人的には下の名前に君付けでよばれるのが好きなのだけれど、なんだかイメクラっぽい趣味なのかしらね。

なんだか話しが堂々めぐりな気がするのはビールを飲みながらこれを書いているからかしらね。

島本理生は文章は読みやすいし、言葉もいっぱい知っていると思うけど、その言葉で表現するものがもう少しっていつも感じちゃうんです。もう少し、もう少しだけ歳をとればそれはそれは素敵な作家さんになるんじゃないかしらと期待しています。女の一番いいときは28からだって、私が信じているのもそういう経験の積み重ねを大切にしたいってことが原因なのかしらね。

では、おやすみなさーい。
posted by kbb at 23:36 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・エッセイ サ行

2007年10月24日

活字探偵団-本の雑誌編集部

「活字探偵団 増補版」 本雑誌編集部編 

こんにちはー。
 さっき車の運転をしていたら、かわいらしい女子高生のスカートの中がちらっと見えました(見ようと思ってみていたわけじゃありませんよ)。するとそこにブルマが・・・。ああいうのはいけません!ああいうのを穿いてしまうとと見られたら困る、という気持ちがなくなってしまうので、立ち居振る舞いが女らしくなくなってしまう!。なんて憤りながら見ていましたけど、ただ自分が見られなかったのが悔しいだけでしょうか・・・。

そんなふうに一日をはじめたkbbです、どうも。今日の作品は「活字探偵団」です。「本の雑誌」に連載されていた企画を文庫にまとめたのがこの作品です。各出版社の最初の出版物を調べてみたり、丸善にレモンを置いていくお客さんはいるか!なんて調べてみたり、なかなか興味深い調査がいっぱいあって楽しめましたよ。青木まりこ現象(トイレにいくと便意を催す現象)なんかの命名もこの雑誌からはじまっているみたいですね。

その中でも、渋谷駅前で待ち合わせしている人が何を読んでいるか、なんていう企画がなかなか興味深かったですね。個人的にはデートの待ち合わせの時には、最初の話題に持ち込めるような本を選んで持っていって、読んでいることが多いのでこういう調査はなかなかおもしろいですね。でも、デートの時に喫茶店かなんかで待ちながら読んでいても、どういう格好でくるか、どこに行こうか、どこでどんな冗談をいって笑わせるかなんてことを考えながら活字を追うので、ページが全然進まずに、同じ文章を何回も読んでしまって全然先にすすめないんですけどね。

で、この調査によると、ほとんどの人が本や雑誌などは手にもっていなかったみたいですね。で、本を読んでいた人のなかに、太宰治の「堕落論」を読んでいた人がいたみたいですね。誰かと待ち合わせしているハチ公前で堕落論を読むのはどんな心境なんでしょうかね。別れを切り出す前だったのかしら(個人的体験によるだけです)。

とまぁこうやってどこで誰がみているかわからないのだから、常に緊張しながら自分の立ち居振る舞いを確認しておこうなんておもったkbbでした。酔っぱらったときはどうか許してください(笑)
posted by kbb at 12:43 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説・エッセイ サ行

2006年03月22日

リトル・バイ・リトル-島本理生

「リトル・バイ・リトル」 島本理生

リトル・バイ・リトルおはようございます。桜も咲いてやっと春らしくなってきましたね。WBCで日本も優勝したし、なんだかうれしいニュースがいっぱいあって、素敵な春になりそうですね。でも、まだまだ朝は水が冷たいんだななんてお米を研ぎながら思いました。世の中のお母さん方はまだまだ大変な季節ですね。

と、ちょっと時候のあいさつっぽい前書きをしたところで、そんな春のそよ風のような文章を書く島本理生の「リトル・バイ・リトル」です。この人の本は初めて手にしたのですけど、本屋さんの書棚で表紙の写真を見てなんだか不思議な気分になって買ってしまいました。

主人公、ふみは母と妹のゆうと三人で暮らしている。ふみとゆうは父親が異なり、さらに母はその二人と別れてしまっている。母は別れただんなと食事をしたり、キックボクサーの周とのさわやかな恋愛なんかを通してふみの日常が描かれていく。タイトルの通り、少しずつ、少しずつ成長していくふみが描かれています。

作者の島本理生ってまだ大学3年生なんですね。って著者略歴を見ながら思ってしまいました。写真も載っていてなかなか整った顔立ちをしているのですけど、若いってだけで売れるのはもう少しだけなのだと、思うとそれだけで話題になって売れてしまって果たしてよいものかどうか心配になってしまいますね。

文章自体はとっても読みやすいし、優しく吹くそよ風のように、静かにしかし快適に物語りは進んでいくのですけど、なんだか結局それだけのような気がしちゃって、それは結局読めてないんだろうななんて思っていますけど、結構毒舌ですね、今日の僕は。

作者があとがきで

明るい小説にしようと、最初から最後までそれだけを考えていた。

と言っています。困難な状況に立ち向かえるのは明るさだけなので、大変なときにこそ笑っているべきだと信じている。とも言っています。なんだか明るい性格のとってもポジティブな人物像を描こうとしているのは読みながらわかるのだけれど、そのポジティブさがなんだか痛々しくて、この明るさはなんだか歪んでいるぞなんて心の中でつぶやきながら読んでしまいましたよ。

まぁ、でもこの作品の中でまだ小学校低学年のゆうちゃんだけが本当の意味で明るかったのだけが救いでしたね。島本理生にはきっと歳の離れた妹がいるんだろうな、なんて思いながら読み終えました。

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2006年02月16日

ビタミンF-重松清

「ビタミンF」 重松清

ビタミンF.jpg昨日は六本木ヒルズで2度目の有頂天ホテルを見てきました。思った通り二回見ても笑いっぱなしの2時間でしたね。それに謎の部分や見直したかった部分を確認できたのでよかったです。それにしても六本木ヒルズの映画館の座り心地はいいですね。駐車場が無料じゃないのが残念ですが。

それと昨日は風習に反しまして、男からの手作りお菓子をばらまいてみました。スウィートポテト作ったのですけど結構おいしくできたのですが、まだプレゼントした人たちからおいしかったよ報告がないので、どうだったのか心配です。実は市販のスウィートポテトを一回か二回ぐらいしか食べたことがないので、ほんとはどんな味のお菓子かわからないのですよね。大丈夫だったのかしら・・・。おなかを壊すようなことはないと思うのだけれど。

さてと、相変わらず長い前置きですが、「ビタミンF」の感想でも書きますかね。帯に家族小説のマスターピースなんて書いてあって、はじめて重松清の本を手に取ったのですけど期待して読みました。

familyやfriend、fightなどのFで始まる言葉をテーマにした7つの短編が収められています。直木賞受賞作だそうです。いやーおもしろかった。読みながら考えてしまったり、応援してみたり、涙ぐんでみたり十分に感情移入をしながら読みましたよ。ただ家族小説のマスターピースって部分にはちょっと反論したいことがあって、これは父親小説のマスターピースですよ。だってすべてが父親の視点から書いてあって、自分の娘の初体験の相手を殺してやりたいと思う父親や、わからなくなってきた息子に対する父親の気持ちなんてのがモチーフになっていて、女性が読んだらちょっとって思うところも多いのじゃないかしらね。でも、20代中盤ぐらいの女性に読んでもらいたいですね。父親はこう思っているんだぞって知って欲しいです。父親以外の男にチョコレートあげてる場合じゃないですよ。

「ゲンコツ」という作品ではおやじ狩りをする少年達に腹をたてたりしながら、老けることについて考えちゃいました。40歳を目前にした男が最近の少年を怖がりながらも腹立たしさを感じている。ある日同じマンションに住む家族の一人息子の非行を目撃して・・・って話しなんですけど。なんだか自分の老いを発見するのってけっして自分の体力のなさや考え方から気付くものじゃなくて、周りの男性、特に自分の父親の背中が小さくなったことに気付くところからはじまるんじゃないかって思っちゃいました。最近僕も、父が椅子にすわってるところを背中からみると小さくなったななんておもったりして、そういえば手にもしわが増えてきたし、顔にもしみがでてきたし。そうやって育ててくれたんだなってそういうのを見ながら再確認したりしてね。自分もそういうことに気付くことができるようになったんだなって思っちゃいましたよ。でも、自分はまだまだ若いですからって強がりを言ってみます。

最近なんだか父親に育ててくれてありがとうって言いたくなるような本ばっかり読んでいるのですけど、そういう言葉って気恥ずかしくて面と向かってなかなか言えないでいました。だから今回、スウィートポテトを父の机に上において、メールでおいておいたから食べてねって言葉と共にいつもありがとうと付け加えてみました。ひとこと「おいしかったよ」なんて返信がきたけど、やっと言えて嬉しかったですね。女性には毎年そうやって父親との仲を修復するバレンタインデーなんて行事があったんだって思っちゃいましたよ。

posted by kbb at 05:49 | 東京 ☔ | Comment(2) | TrackBack(2) | 小説・エッセイ サ行

2006年02月14日

バースデイ-鈴木光司

「バースデイ」 鈴木光司

バースデイ.jpg久しぶりに昔流行った動物占いとやらをやってみました。

新動物占い

結果は親分肌のぞうらしいです。あなたは落ち着きがあり、なんていわれてもまったく自覚がないのが残念です。他人の口出しや干渉を受け付けません、なんてところはあっているかも。相性抜群なのは親身になって悩みの相談相手になってくれるひつじさんらしいので私はひつじさんよ、って方は自己申告のほどよろしくお願いします。ひつじさんからのチョコレートも待ってるんだからっ。

って昨日読んだ本とは全然関係ないんだけどね。古本屋でおもしろい本を物色していたら、昔はまった鈴木光司の本を見つけました。読んだかなってぱらぱらとめくってみたら「リング」という文字が見えるじゃないですか。「リング」「らせん」「ループ」に関係のある短編が3作収まっている作品集でした。3部作は全部読んでいてたしかあれは「リング」だったと思うけど、映画を見て僕が思い描いていた貞子はあんなおどろおどろしくなくて、美しさの中に狂気を秘めている存在だったのにあんな風に描かれちゃって、それで遠ざかったことを思い出したりしながら、短編だし、つまらなかったら読まずに放っておけばいいよ、ぐらいの気持ちで買ったのですけど、その思いはいいほうに裏切られましたね。

最近父親の目から描いたエッセイが多くてちょっと飽きていた鈴木光司でしたけど、やはりかれはフィクションを書かせた方がうまいですね。あれだけ、完成された3部作にまだ付け足すことがあったなんてってちょっとびっくりしてしまいました。「空に浮かぶ棺」「レモンハート」「ハッピー・バースデイ」の三作が収録されているのですけど、「空に浮かぶ棺」は「らせん」の高野舞が貞子を産むシーン。「レモンハート」は「リング」をさかのぼること30年前の貞子がまだ劇団員だった頃の話し。「ハッピー・バースデイ」は「ループ」の後日談という形ですべての物語が続いています。また3部作を読みたくなってきたぞ。でも長いのとこわくてトイレに行けなくなっちゃうかもしれない(と、かわいこぶってみる)のでなかなか手が伸びないのですけどね。「レモンハート」は「リング0」として仲間由紀恵主演で映画化もされているらしいのでこれも見てみたいですね。でも一人で見るのはこわいかも・・・。

これは角川ホラー文庫で読んだのですけど、ホラー文庫っていうわりに全然こわくなくて、おどろおどろしいシーンもないですしね。夜中一人で読んでも全然トイレにいけるような本でしたよ。それよりはむしろ恋愛小説のような感覚で読んでいました。ただ3部作を読んでいない人にはまったく理解できないところも多々あるのでおすすめしません。逆に3部作が好きな人は是非是非読んだ方がいいと思います。

ちょっと本筋とはずれるのですけど気になったところを。「レモンハート」の中で遠山という男と貞子が恋仲になるのですけど、30年後の遠山がつぶやくシーンがあります。彼は30年前のことを思い出しながら4つの「もし」を自分に問いかけます。

もし、貞子と結婚していたらどうなるか?
もし、地球最後の時がやってくるとしてそのときは誰と一緒に過ごすのか?
もし、もう一度人生をやり直せるなら生活をだれと共にするか?
もし、生涯にたった一度しか女を抱けないとして、その相手はだれか?

なんてことなんですけど、彼はこの問いを通して30年前も今でも貞子を愛していることを再確認するのですけど、僕の場合はこの4つの質問すべてで相手が異なることに気付いてしまいました。これは今まで誰も心から愛したことがなかったってことなんでしょうかね。それとも恋愛と結婚は違うものだから、それぞれ相手が違うのは当然なんでしょうかね、なんてことをホラーを読みながら考えてしまう僕はいかがなもんでしょうか。


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2006年02月13日

転校生-沢野ひとし

「転校生」 沢野ひとし

転校生11日に表参道ヒルズなんてものがオープンしたらしいですね。全然しらなかったです。昔は表参道あたりでぶいぶい言わせていたのに。メインターゲットは

「マイナス10歳のマインド」を持つ「O・TO・NA」たち(シブヤ経済新聞参考)


らしいです。はじめてこの言葉を読んだとき背筋がぞわーーってなってしまいました。こんなコピーを作ってる人たちにちゃんとしたお店作りができるのか不安になってしまいましたよ。

さて昨日読んだ沢野ひとしさんはちょうど上のコピーにGOサインをだした人と同じぐらいの年代の人だと思うんですけどね。今ちょうど50代の会社で責任をとる立場にある人たちですね。「転校生」は雑誌「本の雑誌」に連載したものをまとめたもので、彼の自伝的エッセイというか小説というか青春時代の回想のようなものが題材です。短編がいくつも入っていて長さはちょうどよいぐらいでしたね。東京で生まれて中学で千葉に引っ越して浪人していっぱい恋をして、失恋をして、結婚してってことが書いてあります。

初恋のことなんかも書いてあって、彼女の名前や彼女にプレゼントした本のことや歩いた場所、話した雰囲気はよく覚えているのに、彼女の顔がすっかり思い出せないなんてことが書いてあります。そういえば初恋ってそんなもんですよね。恋に恋していた証拠でしょうかね。相手なんてほんとは誰でもいいんでしょうね。誰としたいかではなくて(自分が)何をしたいかが初恋なんてものなんでしょうね。

表題作の「転校生」ですけど、これは沢野少年が千葉に引っ越してからの話しです。千葉といっても山のほうではなくて、稲毛の海岸のほうなんですけど、一学年上に東京から転校してきた、千葉生まれの田舎っぽい女の子とは違った都会っぽい雰囲気を身にまとった女の子との恋が描かれています。中学生のくせにウイスキーを隠し持って二人で飲んだり、友達の家に泊まるといって彼女の家に泊まったりしたなんてことが書いてありますね。それでいて彼女はピアノがうまかったり、音楽大学にいくなんて子で、この頃の人たちはみんなこんな風に恋を楽しんでいたのでしょうかね。今なら彼女の家に泊まるなんてことになったらヤルことしか考えられなくて、ヒニンのことをにわかに勉強したりしちゃうだろうに、沢野少年は布団が敷かれるまで帰りたかったなんて思っていたみたいですよ。純情なんでしょうね。

とまぁこういったことが書かれているわけですけど、モラトリアム世代というか酒と音楽に溺れて将来に不安を感じつつそれを忘れるために小説や映画で時間をつぶすなんてどっかの誰かさんのことを見ているようでいやになってしまったってのが本音かしら。

さて、今日は「県庁の星」の試写会行ってきます。結局仕事が休みだっていう弟の彼女と行ってきますよ。明日あたり感想書けるかしら。







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2006年01月28日

マホガニーの林檎-清水志穂

「マホガニーの林檎」 清水志穂

マホガニーの林檎新宿東口の地上へと続く階段でなにも書いていない離婚届を拾ってしまったkbbです。おはようございます。まだ婚姻届もだしていないのになんで離婚届!?不吉だ・・・。それにしても離婚届って細々と書くことが多いんですね。はじめて見たので新宿の人混みの中でじっくり読んでしまいました。

今日の本は古本屋さんで、以前読んだ「LOVERS」の中の気に入った谷村志穂と間違えて、確かなんたら志穂だったよなぁと思って手に取った清水志穂の「マホガニーの林檎」です。だからあんまり期待せずに読み始めました。

不倫関係を続けてうまくいかない恋愛をしている実生(ミオ)と、ある日ミオの住むマンションの屋上で出会ったテオの物語。テオはその屋上で結婚を約束した恋人を待ち続けている。ミオはテオの恋人を探しはじめる、って感じで物語が進んでいくんだけれど、あんまりわからなかったってのが正直な読後感。

結局テオって存在はなんだったんだろう。ミオの恋はどうなったの?疲れちゃったからもうやめようって思っていたはずなのに、また続けようって思ったのかしら。

文章自体は透明感のある、奥行きのある文章で読みやすいのだけれど。。。テオの子供っぽいところばかり目に付いちゃって。

ミオと彼女の恋人、聡の会話で

「好きになるのに理由なんてないのかもしれない。」

ってのが出てくるんですけど、なんで、どこが好きなんだろうって相談ともグチともつかない言葉をよく聞いてきた気がする。恋愛なんてしょせん誤解と思いこみと錯覚だ、なんて思っている僕はそれをどんな気持ちで聞いていたんだっけかな。どこがとか、なんでとかを考えはじめちゃうとその錯覚がとけちゃうからやめたほうがいいのに。でも、それが不安になるのが好きってことなのかもしれないですね。

posted by kbb at 06:30 | 東京 ☀ | Comment(4) | TrackBack(0) | 小説・エッセイ サ行

2005年12月28日

生協の白石さん-白石昌則

「生協の白石さん」 白石昌則 東京農工大学の学生の皆さん

生協の白石さん.jpg友人に借りて読んで見ました。今売れに売れているネット発の本です。(もう遅いですか・・・。そうですか。)農工大学の生協に勤める白石さんの利用者からの質問や要望に答えるひとことカードの答えがおもしろいってんで広まったのが最初ですね。僕は「pya!」で出たときから知っていたのですが、おもしろいなぁなんておもっているうちにブログ「がんばれ、生協の白石さん!」なんてできて、あれよあれよの間に本になって売れていましたねぇ。

で、友人に借りて読んでみたんだけれど、やっぱり白石さんの人柄というか彼の返答は素敵ですね。結構時間かけて書いているのかしらと思っていたのだけれどそんなこともないらしく、きっと頭の回転が速いというか物事を多角的にみる目を持っているのでしょうね。例えば

「愛は売っていないのですか・・・?」

という質問に

「どうやら愛は非売品のようです。もしどこかで販売していたとしたら、それは誰かの罠かと思われます。くれぐれもご注意ください。」


なんて答えがあったりして、どこかで販売してたらそれは罠、なんて答えなかなか思いつけないなぁってびっくりしてしまいました。きっとこんな人と飲みながら話したら時間があっという間に過ぎるんだろうななんて思いつつ読み進めました。

でも、この本の紹介をどっかで読んだのですけど、そこにビジネス本として最適!なんて書いてあって、確かに人と人が接するって点で教えられるところはあるかもしれないけど、ビジネス本として読んでも面白くないだろうになんて思っていたんですけど、そういえばもう何年も前の話しですけど自分も働いているときにお店でお客様との距離を縮めるためにひとことカードのようなものをやろうとしたことがあったなぁなんて思い出しました。

お店の従業員でいろいろ話し合って、ひとことカードをおいて、それに回答をかいてコルクボードに貼り付けてコミュニケーションをとれたら距離が縮まるかなぁなんて思って実際やってみたのですけれど、挫折したんですよ。なんでかというとね、3ヶ月ぐらいやったのですけど、お客様が誰一人としてカードを書いて箱にいれてくれなかったんです。別にお客様がほとんど来ないお店だったわけでもなく、そこで20年近く営業しているお店だったにもかかわらずですよ。そのときは本当に難しいなぁって感じました。そんなことを思い出しながら読んでいたら白石さんや生協の人たちすごいなぁなんて感じました。今ならこれを参考にもう一回やってみたいし、お客様もおもしろがってカード書いてくれたかななんて思うんですけどねぇ。

それにしても白石さんがこの本の印税でいくら入ってくるんだろうなんて考えちゃう不純な僕には白石さんのような答えはできませんね。


2005年12月17日

『Shall we ダンス』アメリカを行く-周防正行

「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」 周防正行

shall we dance.jpg映画監督周防正行が「Shall we ダンス」を全米公開に向けてキャンペーンを行ったときの旅行記。北米18都市を3週間という強行軍でまわった様子が書いてある。

特におもしろかったのは、日本映画の権利関係の話し。監督、原作者、脚本家には一切の商業的権利は認められず、よって全米公開しようがお金は一切入ってこないのにキャンペーンに駆り出される様子がおもしろい。それでも行っちゃうんだから周防さんはよっぽどのお祭り好きなのかも。全米公開に先立ちミラマックスという配給会社により再編集されるのだけれど、まったく映画を理解しているとは思えない編集者によってずたずたにされていく映画に対して切られたところとそれに対するミラマックスのコメント、周防監督の反論といったところが容赦のない周防さんの言葉によって本当に怒り心頭って感じで見ているこちらとしては笑ってしまった。

「Shall we ダンス」は僕も好きな映画なので、その顛末は興味深かったし、公開時で監督は最高にうまくいった編集をしているって自負しているはずだから、その作品をなにも知らない人にずたずたにされるのは我慢ならないだろうなぁって思う。

アメリカと日本の契約の違いなんかも書いてあって興味深かった。アメリカってなんでも契約するんだなぁと。

旅行記だけあって、行ったところの情景なんかも書いてあるのだけれど、僕がグレイハウンドで2ヶ月かけてアメリカを一周したときにまわったところなんかもでてきて懐かしくなってしまったよ。オレゴン州ポートランドなんてほとんど行く人がいない小さななんにも見るところもない場所だけど、バスの乗り換えで行ったときの情景が浮かんできて嬉しかったです。なんであんなところまでキャンペーンしてるんだろ。

それにしても、映画の「Shall we ダンス」のヒロイン舞を演じた草刈民代と結婚しているなんて、なんてズルイんだ(なにがズルイんだろ?)っておもわず憤慨してしまった。監督ってなんてうらやましい職業なんでしょ。










2005年12月15日

変なおじさん完全版-志村けん

「変なおじさん完全版」 志村けん

変なおじさん完全版.jpg以前読んだ「変なおじさん」とその続きの「変なおじさんリタ〜ンズ」を合本して文庫になった本。最近「二人称の死」についてばっかり考えさせてくれる本ばっかりだったのでもういや!!!って思い、軽く読めるこれを手に取った。案の定すごく楽に文章を追うことができた。「変なおじさん」に書かれていたところは飛ばして「〜リタ〜ンズ」の所だけ読む。

「変なおじさん」の方は今までの志村けんについて書いてあったが、「〜りた〜んず」の方は今の交友関係とかこれからについて書いてあるところが多く、この年でここまで成功しているのにまだまだ悩むことが多いんだなとびっくり。

その中の一つに、彼の仕事に対する厳しさを表す一つのエピソードがあった。CM撮影の時に監督に「おもしろおかしく歌って踊ってください」と言われるのだが、どの曲でどんな風に踊るのか指示されず、それを聞くと「お任せします」と言われ、「それが演出家の仕事か!?」と怒鳴ってそのまま帰ってきてしまったそうだ。お金をもらってやっているのに、自分の与えられた仕事をしないその人に無性に腹が立ってしまったらしい。ホントに自分の仕事ってものにまじめな人なんだなと思う。マンションの耐震性能を偽装したあの人達に読んでもらいたいね。ホントに。あ!でも彼らは構造計画書もまともに読む読解力がないのだから、この本も読めないかも・・・。

表紙の志村さんの笑顔と途中で紹介されているくりすあきらさんが素敵でした。


2005年12月08日

変なおじさん-志村けん

「変なおじさん」 志村けん

変なおじさん.jpgこの本は志村けんが自分の人生やら笑いなんかに関して自分自身(そうだと信じておきましょう)の言葉で語りかけるような口調でかいてあります。ダウンタウンや爆笑問題、ネプチューンの笑いについても触れていて面白かったですけど、やっぱり彼の笑いに対する考え方がよく書いてあってそこが一番読んでいて止まらなくなりましたね。笑いってのは同じ目の高さで驚きや安心とかって感情を抱くことにより、起こるものであって(一段高いところから見ると冷笑にしかならないでしょ)、笑いに関して文章を書くってのはそこから一段高いところに立たなければならないので、この本は決して笑えるといったものではありません。でも彼の笑いに対する真摯な態度というか、真剣な眼差しが感じられて興味深かったですね。

土曜日8時といえば「全員集合」でしたね。関西ではどうかわからないですけど、関東でしたらこれでした。PTAで問題になっていたとかってのは当時は全然知らずに、うちではなんにも言われなかったので見ていましたです。その中でも志村けんはいつもおもしろかったと思います。彼単独でやってた番組なんかは途中で飽きちゃって見なくなりましたけど、どうして「全員集合」はおもしろくて、「だいじょうぶだぁ〜」がつまらなくなったのか、この本を読めば納得できるような気がしました。

全員集合の稽古量のハンパなさは有名な話しですけど、そこらへんのところも書いてあって、それでもそれぞれのメンバーが自分の役割を熟知した上でそれぞれを引き立てていたってのがよくわかりました。だからドリフは5人いてはじめてドリフなんであって、あの内の誰が抜けてもそれはもう別の集団になってしまうようですね。決して一人ではできないんだってことがよくわかりました。

ドリフってのは志村けんにとっていい意味でも悪い意味でも大きすぎる遺産であって、その呪縛から逃れるためにいろいろ試行錯誤して苦しんできたってことも作品からは読みとれる気がします。だからこそ、彼は今でも自分がまだ新人のような気でいると「謙虚」(彼にとって謙虚ですらなく当たり前なんだろうけど)な姿勢を持ち続けていられるのだと思う。

前に友人にあのブログは誰に向かって書いているの?相手がいないのではどんな形、文体、気持ちで書いていいのかわからなくない?ってのを言われてずっと考えているのだけど。未だに答えはでていないのだけれどね。なんでこんな話しをしたかというと、志村けんの本名は泰徳(やすのり)といって、彼の父親の名前が憲司(けんじ)。彼の芸名の「けん」は彼の父親からとった名前で、彼の父親は交通事故にあって、その後遺症で呆けてしまって、そのまま志村が誰だかわからない状態で死んでしまったそうだ。彼は父親の存命中はただただ厳しいだけの人って感情しかもっていなかったのに、彼の頭の中には常に、自分の笑いをみて父親はどう思うかってことがあるらしい。つまり彼の発信先は常に父親だってこと。それを知ってから彼のコントをみると少しは違った見方ができるのかなぁなんて思っています。




2005年10月13日

ジーキル博士とハイド氏-スティーブンスン

「ジーキル博士とハイド氏」
 スティーブンスン

ジーキル博士とハイド氏.jpg今回は古典作品を一つ。

酒を飲んで次の朝起きて、何も思い出せないとき、昨晩の会話を思い出して自己嫌悪に陥るときありませんか?僕はここ最近は毎回そんな気がします。記憶をなくしたのは生涯で一度しかないのですが、自己嫌悪の方は毎回感じてしまいます。自分だけ話しすぎた、あそこまで言わなければよかった、あんな話題出すんじゃなかったなど、材料をあげればキリがありません。そういうことを感じない人も多いようなのですが、これからは僕は生涯逃れられないのかもしれないと思うと、悲しくなり、酒をもうやめようかと気持ちにさせられます。しかし、酒が好きなんでしょうね。誘われれば無理にスケジュールをあわせてでも行ってしまうし、むしろ、自分から誘ってしまいます。


ジーキル博士とハイド氏は「二重人格の」代名詞として古くから言われてきた。確かに善と悪の二項対立が一人の人間の中でせめぎあい、結局ハイド氏が勝ってしまうのだが、それでも最後までジーキル博士も抵抗をやめない。浅く読もうと思えばいくらでも読めるが、深く深く読もうと思えばいくらでも読める、なんど読み返しても毎回違ったことを考えさせてくれる作品なのだろうと思った。

この作品は結構昔に買って、机の上に置いてずーっと放っておいた本であった。なんとなく読み始めたら、止まらなくなり結局最後まで一度も止まることなく読み終わってしまった。こんなことならもっとはやくに手にとっておけばよかったと読み終わって後悔した。

この作品を読みながら、冒頭に書いたようなことをずっと考えていた。ジーキル博士もハイドになるのを恥だと思いつつ、それでも止められなかった。悪の誘惑のなんとすさまじいことだろうか。幸運にも酒からは覚めることができる。しかし、ジーキル博士は元に戻れなくなってしまう。自分が必要としているのが酒でよかったと思った。


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