本のタイトルは過去記事またはアマゾンへ飛びます。出版社等の確認にどうぞ。

2008年11月11日

間違いだらけのビール選び-清水義範

「間違いだらけのビール選び」 清水義範

間違いだらけのビール選びこんばんは。

最近、お昼に裏の喫茶店へ行くのをやめて、近くの移動販売のお弁当屋さんで買ったお弁当を持って公園でまったりとしています。オフィス街にでてくる弁当屋さんのお弁当があんなに安くておいしいのを初めて知ってびっくりしています。帰り道にも駅の近くで売っていてくれれば買って帰るのになぁ。にしても、寒い季節になってから外でお弁当を食べるのはどう考えても間違った判断ですよねぇ。周りのベンチでお弁当を食べている人がぜんぜんいないのが納得できますものね。

さて、外でお弁当を食べる季節は間違えてもビールの味は間違えない自信がある僕ですが、そんな人がテーマの作品が表題作の「間違いだらけのビール選び」です。

最近では発泡酒や第三のビールなどなど、ビールとは名ばかりのものが増えています。僕はアサヒスーパードライしか買わないので、他のは習慣的には飲まないのですけど、飲んでいる人に言わせると、味なんて大して変わらないそうですね。って、言われると、自分がなんだか損をしている気がするのですけど、でも、そこは譲れないんですよねぇ。

表題作の作品も、ビール会社によって普段飲んでいたビールの味を突然変えられてしまい、他のビールも飲んでみるかとなじみの酒屋にサンプルをもらうも何がなんだかわからなくなってしまうというお話でした。

この作品集は短編集ですけど、他にも清水義範風の風刺の効いた現代に対する見方がよくでています。

セクシー系の声優さんがストーカーに襲われる話。清水義範自身のNHKでの経験を元にしたお話。年末のデパートの仕事で家でゆっくりできなかった父親が正月に家族に見捨てられるお話。

どれもこれもありそうな話で、怖さが感じられるものばかりになっています。

昼休みってなぜか一人になりたいし、自分の机からも離れたいからどうしても公園とかになっちゃうんですよね。コーヒーが飲めてゆっくりタバコが吸えるお店を見つけられればいいのだけれど、最近はタバコに対して冷たい人が多いですからねぇ。困った物です。




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2008年08月30日

ゴミの定理-清水義範

「ゴミの定理」 清水義範

ゴミの定理こんばんは。

先日すごいニュースを見ました。三井化学が二酸化炭素からプラスチックを作るための実証実験プラントを作るという物でした。技術はもうほぼできあがっていて、あとは大規模にできるかどうかって段階まできているようです。
原油価格高騰で石油から作られるプラスチックの価格は現在高騰しているそうですけど、大気中にいくらでもあってしかもみんなからの嫌われ者の二酸化炭素から誰にとっても役に立つプラスチックがつくれるとなれば夢の技術なのかもしれないですね。

でももしこの技術が確立されたら、今よりももっと安価にプラスチックが作れるようになるのではないでしょうか。安いとなったら今よりももっとプラスチックの消費が増え、土に埋めても何百年もそのままの状態を保つプラスチックが増えて廃棄の問題が解決されないということにはならないのでしょうかね。それともプラスチックに似た全然違う物質で廃棄しても二酸化炭素に戻るものになるのでしょうかね。もしそうならば、本当に夢の技術なのかもしれないですね。原油の消費量も減るってことになるでしょうしね。

フジ産経ビジネスアイ8/26「CO2からプラ原料 化学各社 脱石油に向け加速 」

そんな風に二酸化炭素もプラスチックも、人間でさえも、人間にとって不要となれば「ゴミ」と扱われてしまいますけど、そこのところを鋭く考察しているのが清水義範の「ゴミの定理」です。

ある数学者が書いた論文という体裁となっておりますが、清水義範の鋭い見解がうまく描かれています。そこにはいくつかの数式がかかれていて、文章に説得力を持たせています。曰くすべての物質はゴミになりたがっている。物質がゴミではない状態であるためにはエネルギーが必要である。よってゴミとなるのに必要なエネルギーをA、ゴミでないものであるのに必要なエネルギーをBとすると
A<B
となる。
整理整頓されていればそれはゴミだとみなされない。よって
G×S=1 Gはゴミ、Sは整理整頓、定数1は地球上の全部物質を表す。

なんて、なんてアホなことを考えるのでしょうかね、この人は。たしかにその通りだけど、それをまじめにふまじめに一生懸命こんなことを考えている彼がおもしろい、なんて思いながら読んじゃいました。しかも極めつけの数式がこれ。

G=aD二乗-k
これはゴミの量を表しているのですけど、Gはゴミの量、Dは主婦のだらしなさ、aは定数、kは夫の几帳面さ。ちゃんと夫の几帳面さを数式にいれて、整理整頓がゴミを減らすという数式とも整合性をもたせているところが細かいでしょ。

こんな風に作家までもまじめにふまじめに考えちゃうほど環境問題は危機なんでしょうね。ここ最近は毎晩雷雨でなんだか熱帯のどこかの国のスコールのような雨が降っています。これも地球の環境が変動している証拠なのかもしれないですね。せめて雨に流されないように必死にどこかにしがみついておこうと思います。




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2006年03月08日

博士の異常な発明-清水義範

「博士の異常な発明」 清水義範

博士の異常な発明先日、7ヶ月の妊婦さんとデートする機会がありました。妊婦とデートってのもちょっとおかしな言い方だけど・・・。彼女におなかを触らせてもらったのですけど、そのときの彼女がおなかを突き出す感じで、生命の存在感を見せつけてくれました。そのときの彼女のはにかんだような、うれしいようなそういった感情がないまぜになった笑顔が素敵でしたね。きっと女性にとって子供ってそういう存在なんでしょうね。

さてさて、なんだか定期的に清水義範を読んでいる気がしますね。時間がぽっかりあいたときに気軽に手にとれる安心感があるんですよね。今日のは「博士の異常な発明」です。9編の短編が収録されています。一つ目の"史上最大の発明"が本全体の導入って感じで新聞記者が人類最高の発明について話し合っていて、そこからSF作家による発明品の話しになって、そのSF作家の発明品を清水義範がそれぞれの短編で描いているって感じですね。史上最高の発明は前に記事で書いたのですけど清水義範はこのネタが結構好きなんですね。

その発明は、プラスチックを食べるバクテリアであったり、キメラ生物であったり、透明人間になる薬であったり、不老不死であったりするわけですけどそれぞれが問題点があったり、社会のありかたと合わなかったりでうまく皮肉が効いていてなかなか楽しかったです。

"文明崩壊の日"という短編では、町の発明家がプラスチックを食べるバクテリアを発見するのですけど、それを企業が買い取って大繁殖させるのですけど、土壌でしか生息できないと思われていたそのバクテリアが空気中でも増殖できることがわかって大パニックってお話です。現代の生活で、プラスチック、ゴムがなくなったらどうなるかってことが想像させられてちょっとこわくなってしまいました。

"野良愛慕異聞"という短編は犬型ロボットが野良犬になって、進化したらどうなるみたいなお話で、自力で充電するようになって、って感じのお話でした。ロボットになっても、ペットを捨ててしまうっていう感じのお話で、途中で石を投げつけられるロボットのところとかちょっと悲しくなってしまいましたね。

"鼎談(ていだん) 日本遺跡考古学の世界"では一万年後の考古学者が現代の日本の遺跡を発見していろいろと推測していくっていうお話なんですけど、都庁舎の巨大さやコンビニの存在などをおもいっきり皮肉っていて、声をだして笑ってしまいましたよ。

まぁそうやっていろいろと発明品やら発見なんかが描かれているのですけど、人間が生み出すもので一番最高のものはやっぱり子供なんだろうなって妊婦さんの笑顔を見ながら思ってしまいました。一番可能性を秘めているものですしね。なんだかお後がよろしいようで。


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2006年02月24日

新築物語-または、泥江龍彦はいかにして借地に家を建て替えたか-清水義範

「新築物語-または、泥江龍彦はいかにして借地に家を建て替えたか」 清水義範

新築物語オリンピックでフィギュアスケートの荒川静香選手が金メダルをとりましたね。ほんとうにおめでとうございます。表彰台に向かう彼女が素敵な笑顔をしていたのがすごく印象的でした。それにしても彼女、とっても東洋的な美人の顔立ちしていますね。最近の日本人にはみられないような美人さんですね。

昨日は清水義範の「新築物語」を読みましたよ。この本は作家泥江(ひじえ)龍彦が義母の死から、彼の奥さんに相続された借地にいかにして、家を建てたかってテーマで書かれています。泥江龍彦は誰がどうみても清水義範本人なのですけど、いわば自伝的小説ってやつですかね。

家を建てる時のあれやこれやの苦労、銀行からお金を借りたり、地主との交渉であったり、家の設計や家具の購入なんかが時間をおって描いてあって、帯にあるようにこれから家を買う人には絶好の参考書になるはずです。家を実際に建てたことのある人には自分のことのように思えるのじゃないかしら。

僕も男ですから、いつかは自分の家を建ててやるぞなんて思っているのですけど、そのときにこんな風にうまくできるかしらなんて思いながら読んでいました。泥江と奥さんが設計の時に外壁のタイルやフローリングの色なんかを決めるときの会話があるのですけど、泥江はすべてをまかっせきりにせず、かといって自分の意見を主張しすぎることのないように話しをすすめていきます。なかなかこうやってうまく奥さんと意見を合わせていくなんてこと自分にできるかしら、なんて考えてしまいました。

この奥さんって人がまたかわいらしい人で、丸っこい奥さんなんて表現されているのですけど、自分自身をちゃんともっていて素敵な人だなぁなんてうらやましくなってしまいました。

今、僕が住んでいるこの家も父と母が建てたものなんですけど、僕はそのとき中学生ぐらいだったかしら。あのころの記憶っておぼろげでしかないのだけれど、地鎮祭や上棟式なんかのことや、自分の部屋の壁紙がどんどん決まっていった頃のことを思い出していました。なんでも自分で決めないと気が済まない母だったので、誰も口出しできなかったことを思い出しました。

なんだか今日は本の感想なんてどうでもいい気分ですね。荒川静香の笑顔だけで十分です。






posted by kbb at 07:25 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 清水義範

2006年02月04日

12皿の特別料理-清水義範

「12皿の特別料理」 清水義範

12皿の特別料理久しぶりに試写会に当たってうれしいkbbです。おはようございます。当たった試写会は「県庁の星」って映画なんですけど、予告を見たときからおもしろそうって思ってたんですけどね。一緒に行く人が見つからなくて、探すのをくじけそうになっています。映画は異性と見に行くなんて決まり事つくらなきゃよかった。

さて気を取り直して、今日の作品は清水義範の短編集です。12の料理について小説を通して描いています。12皿といってもおにぎり、カレーなどポピュラーなのからはじまって鱈のプロバンス風、チキンの魔女風なんて見たことも聞いたこともないような料理まででてきます。それぞれの作品中に詳しいレシピがでてくるので参考にしてつくることもできそうです。この本にはほとんどイラストがでてこないんですけど、清水義範は文章だけで料理の作り方を描ききっています。これは彼に文章力があるからなんでしょうね。文章を読んでいるのに、頭の中でくっきりと材料とともに手順が映像化されちゃうのですもの。

料理は僕の趣味といえるぐら料理をつくるのが、もちろん食べるのもだけれど、大好きなんです。だからこういう本を読むと自分でつくりたくてうずうずとしてしまう。"鱈のプロバンス風"という作品は別れた夫婦のお話で、奥さんがよく作っていた料理をどうしてもつくりたくなった旦那が電話で作り方を訊くところから物語は進んでいきます。奥さんも久しぶりに作ってみようと思い立ちタイトルの料理をつくるのだけれど、何か足りない。そこではたと気付くのが

結局料理というのは、ひとに食べさせたいと思うから、やる気もわくものなのだ。作ってうまいと言って食べてくれる人がいれば、喜びが味わえる。


うんうん。ほんとそうだよね。自分一人の分をつくるのだったらなんだか気が滅入ってくるけど、誰かのためにつくるのだったら喜んで作っちゃうもの。それが自分の愛する人ならなおさら楽しいだろうな。鼻歌まで歌っちゃったりしてね。

"おにぎり"を読んでいて思い出したのが母がよく作ってくれたものだった。それは厳密に言えばおにぎりじゃなくて太巻きのようなものだったのだけれど、運動会とかサッカーの試合なんかのときによくつくってくれてそれは自分の小さかった頃を思い出させてくれる。それは、長めのソーセージをフライパンで焼いて簀巻きにのり、ご飯、大葉をしいて巻くという簡単なのものなのだけれど、これがめちゃくちゃうまい。ちょっと長めに作ってアルミホイルで巻いて斜めに切るとなんだかおしゃれだし、手も汚れないしね。しかも温かいときももちろんおしいけど、冷たくなった後も味がしみこんでこれがまた違った味わいがでる。飲んだ後なんかに食べてもうまいんじゃないかと思う。一度ご賞味あれ。


posted by kbb at 10:18 | 東京 ☀ | Comment(4) | TrackBack(0) | 清水義範

2006年01月30日

ムイミダス-清水義範

「ムイミダス」 清水義範

画像はないけどアマゾンに飛ぶよ久しぶりに寝過ごして友人との約束の時間に間に合わないということをしてしまったkbbです。おはようございます。一時間だけ昼寝をしようとしたのが大きな間違いでした。反省しております。久しぶりの銀ブラを楽しみにしていたのに。銀ブラって言ったって銀座のブラジャーじゃないのよ。もうこれも死語なのかしらね。

さて、清水義範の「ムイミダス」を読みました。アマゾンで検索してみるとなぜか文庫は絶版なのにハードカバーの方はまだ売っている。不思議だなぁ。

作品の内容はタイトルからわかるように「イミダス」のような時代用語辞典のパスティーシュになっていて、新語、人名、古道具、幻想地名などの解説というか清水義範の感想というかそういうものが描かれています。まぁなにしろ1989〜1991年まで毎日新聞に連載されていたものなので内容がどうしても古くならざるをえずそこまでおもしろいとは思わなかったのですけどいくつか興味深いことを言っています。

"本当の豊かさ"の項では、本当の豊かさなんてものは存在しないんだって言っています。だって本当のなんて絶対的な形容詞をつけてその下に抽象名詞を持ってくればそれは絶対に手に入れることのできない、規定しえない何かでしかなくて、永遠に手に入れることができない。それはプラトンのイデアと一緒だ。おもしろいこと言うね。

人名辞典のところでシャー・ジャハーンについて書いてある。インドのタージ・マハルは知っている人も多いと思うけど、ムガル帝国の第五代皇帝シャー・ジャハーンという人が作った物だ。彼の妻は死ぬときに二つのお願いをする。新しい妃をもらわないでと、私のためにいつまでも名前を残すお墓を造ってというものだった。で、この皇帝はその後新しい正妻をもつことはなく、そして22年の歳月をかけてタージ・マハルをつくりあげる。そこまで彼女や奥さんのために人生かけられますかね。その後彼は息子との政権争いに敗れて城に幽閉されてしまうのだけれど、幽閉されている部屋の窓から見えるタージ・マハルを一日中眺めていたんだってさ。彼女も幸せだったろうな。

"むかしありけり事典"というむかしのものやことを扱ったものも収録されている。これが一番興味深くみれたな。マッチやら靴音やら駅弁のお茶やらもういまではあまり見かけなくなった物についての清水義範の感想が書いてある。革靴だってマッチだって今でももちろんあるけれど、マッチは最近見ないし、昔の革靴は錨が打ってあったので今の靴音とは違うなんてことが書いてある。布団の洗い張りなんて知らなかったし綿の打ち直しなんて布団屋さんの前の張り紙でしか見たこと無かったけど実際にこうやってお母さん達は働いていたのねなんて思っちゃいましたよ。

で、そこに昔の写真、特に夏に撮った写真は白かったなんて項があるのだけれど、昔のはみんな手動で露出を調整したので夏のカンカン照りの日に白い服を着た人をとると絞りがたりなかったって話しなんだけど、それが色あせていくと白っぽくセピア色になったななんて書いてあります。これを読んでいるときにふと母親の若い頃、まだ10代前半ぐらいの写真を見たことがあったなって思い出しました。僕がいうのもなんですが、それはもう美人さんで、思わずこれ誰?って聞いちゃったんですけど、当時の人にしてはすらっとしていて背が高く、白いワンピースに麦藁帽子なんてかぶっていて少しはにかみながらカメラを見ていました。ワンピース好きがここから来たものではないことを祈っておりますよ。ワンピースが好きになったのはこの写真を見るよりずっと前だった(はず)しね。

旬のトマトの話しなんかもあって、今とは全然感覚の違う中で生活していたことがよくわかる作品でしたね。こうやって生活感覚の違う世代が続いているのだから、世代間で理解しあうのは難しいんだろうな。わかりっこないって。







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2006年01月23日

サイエンス言誤学-清水義範

「サイエンス言誤学」 清水義範

サイエンス言誤学.jpg昨日の記事で酒を浴びてきますなんて書いたけど、久しぶりに休肝日にしちゃいました。酒がなかっただけなんですけどね。kbbです。おはようございます。酒を飲まないと朝起きるとすがすがしくなることを実感しております。

今日は清水義範の作品です。西原理恵子さんの毒々しいイラストつきで楽しめますよ。タイトルに「サイエンス言誤学」なんてついてるからまた清水義範流に言葉について鋭い観察をみせてもらえるのかと思ったら、全然違っていました。「サイアス」という科学雑誌に連載していたもので、科学に関する言葉を毎回一つあげて、それについて3ページぐらいの文章が書いてあります。それも多岐に渡っていて、「月」やら「電話」やらはたまた「ロマン」やらなんでもありって感じなですけど、生物学や宇宙論、流体力学なんていろいろと書いてあって楽しめました。

"発明"のところで人類史上最高の発見とはなにか?って話題がでているのですけど、清水さんは「文字」が最大の発明だっていっています。僕は、これは"発明"というより"発見"かもしれないけど、「マイナス」が人類史上もっとも最高で最悪の発明・発見だったんじゃないかって思います。だって「マイナス」の発明・発見によって、もちろんそれによってもたらされる利益はあるけれども、僕らは借金をすることも今できないことを未来に残すこともできるようになってしまったんですもの。もし「マイナス」がなければ借金地獄も借金で一家離散もなかっただろうし、地道な商売をして、今できることを今するような生活しかできなかったんじゃないかと思うんですよね。いかがでしょうかね?

"栄養"のところでは、清水義範がおもしろいことを言っています。

"栄養に翻弄されてきた人生のような気がする。"

戦後すぐ生まれでその日食べる食料もなかった時代から、タンパク質が足りないと肉を摂ることを推奨され、その後ビタミンが足りないとサラダを食べることを促され、次にはバランス良く食べなければと30品目の摂取が薦められたことを皮肉ってこう言ってるんですけどね。今じゃその30品目の摂取ですら、厚生労働省によって逆に食べ過ぎてしまって肥満の原因になるからと言われなくなったようですね。そして今では、カロリーメイトからかしら、ウイダーインゼリーのようなもので時間をかけずに、必要な栄養量だけを計算された宇宙食のような食事をしている人が増えていますよね。食事というものを栄養という観点からだけ見ればそれでいいのかもしれないけれど、食事から得られる副次的なものこそ人を健康にするんじゃないかと思うんですよね。例えば食事の時の適量のお酒と楽しい会話。そういったものを考えずに食事といえるのかどうか不安になってしまいますね。

ということで友人諸君は、素敵な食事をとるためにもっと僕を食事に誘ってくれるといいと思うよ。よろしくね。


posted by kbb at 06:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 清水義範

2006年01月04日

主な登場人物-清水義範

「主な登場人物」 清水義範

主な登場人物パスティーシュ・・・[(フランス) pastiche] 音楽・美術・文学で、先行作品の主題やスタイルを模倣・剽窃・混成などの手法によって改変してできた作品。パスティシュ。(goo辞書より


清水義範はパスティーシュの名手だとよくいわれる。様々な人々により様々なシチュエーションで発せられる言葉を彼はアンテナを張り巡らせてキャッチして、それをじっくり愛情豊かなまなざしで観察する。彼の著作数は多いと思うけど、彼にはきっとネタ切れなんてことがないのだろう。ネタを探すのなら渋谷の雑踏にでも立てばいいのだから。彼の作品をみていると、文体なんてのはそれこそ人の数ぐらいあるのではないかと思わせられる。でもそれをしっかりと一般化して誰もが「うんうん」とうなずけるスタイルにしてそれでおもしろい世界を見せてくれる。

今回の作品集にもニュースショー、留守番電話の録音された声、批評家の文章、注釈文など様々な文体をつかって作品をつくりあげている。

例えば作品集の一編"私は船戸川事件をこう見る”では、様々な批評家連中がある事件について分析もしくは言及するという形をとっているのだけれど、これだって今回の耐震偽造問題で様々な人たちが、それこそニュースからワイドショー、はたまた居酒屋の片隅で発されてきた言葉とほぼ同じく犯人探しからはじまって何が悪い、いやこれが悪いっていう会話とまったく同じ事が行われる。

"問題はなんですか"という短編は新聞の一般読者からの悩み相談とそれに答える識者の文章が載っている。識者は読者からの相談にうまく答えていくのだけれど、僕はじつは相談を受けるのが苦手だ。相談をするときってのは相談する人にはもう心の中に答えがある程度用意されていてそれを後押ししてくれる言葉が欲しくてすることが多いと思う。もしくはただ話しを聞いて欲しいだけのときもあるかもしれない。でも、それがわかっていながら僕は僕なりに相談について真剣に考えてしまって、彼ら彼女らがこう言って欲しいだろうなってことがある程度想像できながら、それとはまったく逆のことを言ってしまい失望させてしまうことがある。そういうときは言って欲しい言葉をいってあげなければとわかっているのだけれど、それができない。でも相談を受けること自体は好きなのよね。頼られてるのかしらって思えるし、うまく答えを見つけられたときの彼女たちのうれしそうな笑顔ったらありゃしないもの。それになによりこういってしまっては語弊があるかもしれないけれど、いい酒の肴になるからね。

"近頃の若者は"の中におもしろい言葉があったので引用してしめくくり。

今の若者は顔が美しいわな。そういう点では、情けないことだ。木ではなく、草花になったようなもんだわな。


うまい!今度飲み屋でかっこよく決めてやろうかしら。あれ、これって自分がおやじだってことをさらけ出しているだけだな・・・。




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2005年12月26日

日本語の乱れ-清水義範

「日本語の乱れ」 清水義範

日本語の乱れ.jpg言葉、特に日本語をテーマに書かれた短編集。タイトルを見るとみごとに昨今の日本語ブームに乗っているようだが、単行本としての発売が2000年だからブームよりも前に書いたものみたいです。こんなタイトルついてるけど、清水義範は今の日本語ブーム特に「正しい日本語」ってやつに批判的な立場からこの小説集を書いている。

社会学的考察によると(社会学なんてよくわからないけど)日本語ブームは周期的におこって、それは不況時に行き詰まりを感じたマスコミ・国民が今のままじゃだめだってんで、自己を見つめ直すときに起こるらしいです。自己のアイデンティティを一番確認しやすいのが自分が今話している言葉ってことで、日本語を見つめ直そう、今話している日本語は正しいのか?世代間で使っている言語が異なるのはおかしいなんて議論になって「正しい日本語」を使いましょう、「正しい日本語」とはこんなんですよ、なんて風潮になって日本語ブームは起こるらしいです。

でも、果たして「正しい日本語」なんてのは存在するのでしょうかね?話し手(発信者)が発話して、それを聞き手(受信者)が理解・解釈できた時点でその言葉は意味を伝えるという機能は果たしているのだから、言葉としては十分なはずです。もちろん、理解・解釈するのにかかる労力が高いもの、例えば最近よくみかける著しく読みにくい字、いわゆるギャル文字と呼ばれるもの(キリル文字などをひらがなや漢字に見立てるやつやなんでかしらんけど小さくできる文字は小さく書くってやつ)を使って書いてあるものや、よくわからない略語などは意味が通じないという点で「正しくない」と言えるのかもしれませんが、「ほとんど」は否定の意味にしか使えないとか「ら抜き言葉」がおかしいとかってのはどうなんでしょうね。だってちゃんとコミュニケーションとれているでしょ。

最近テレビで正しい日本語をクイズの題材としているものが多く、先日見たのだけれど、そのクイズの問題に漢字の書き順の問題が出ていたのです。確かに文字を美しく書くために先人たちは漢字の書き順を考え出しました。別に芸術としての書道は否定しません。でもそれを「正しい」、だからこの通りにしなさいというスタンスで作られた番組に違和感を感じてしまうのです。山茶花(サザンカ)という花の名前、漢字と音が合っていませんよね。これって元々はサンザカって名前の花だったらしいですよ。それが自然な音変化を起こしてサザンカになったそうです。でも現代の人で元々サンザカなんだからサザンカはおかしいって言う人はいないですよね。

言葉は常に変化しているものだし、それを大多数が受け入れた時点でそれは正しい言葉になるのに、歴史をひもといてそんな意味で使ってこなかったなんて議論が果たして有用なんでしょうかね?昔どっかで読んだのですが、元々日本には文字がなく、話し言葉だけだったそうです。中国から漢字を輸入してそこからひらがなとカタカナが生まれました。平安時代に女性によって生み出されたそうです。今のギャル文字も将来同じ経過を辿る可能性はあるのではないか?とその人は言っていたと思います。確かに、自分が読めない文字が流通するのはとても怖ろしいことだと思うけれど、それが流通するのなんて何百年単位の話しだと思うし、言語文化は緩やかにしか変化しないのだからそこまで目くじらをたてることもないと思うのだけれどねぇ。

とここまで書いてきたけれど、僕自身は略語ってものをなるべく使わないようにしています。使ってしまうこともあるけれどね・・・。もちろん誰かが使ったのが理解できれば、それに対して文句を言うようなことはしないけれど自分自身が使う気にはなれないのです。もうすぐ日本中でメールの文面で飛び交うであろう「あけおめ」や「ことよろ」なんか自分では使わないでしょうね。でも「ことば」に興味がある僕としては結構注意して観察しています。最近日本語で、特にそんなの略す必要ないのに略されている言葉が多いとおもいませんか?「よろしく」を「よろ」とかね。それってメール、特に携帯電話のメールを打つのがめんどくさい人が労力を減らすために意味が通じるところでやめた結果意味が通ればいいやなんてので増えてきてるんじゃないかなって携帯電話のメールを打つのに疲れを感じながらこのあいだ思ってみました。

以前聞いておもしろいなぁって感心した略語が

「まじょたく」→「魔女の宅急便」

ってのでした。みなさん意味わかりますか?文脈があれば理解できるかもしれませんね。そうそうジブリ作品のあのタイトルですね。略語ってよく使うから短縮されていくようなイメージがありますけれど、「魔女の宅急便」を含む発話なんて年に何回するのでしょうかね?もしくは何年かに一回、新しいジブリ作品が公開される直前に過去の作品をテレビで一挙放映なんてときにしか使わないと思います。でも、使ってしまうし、意味も理解できるってところが言葉を研究するおもしろさの一つかななんて思っています。

まぁここまでだらだら書いてきて何が言いたかったかっていうとこんな本が「6割正解したら安心」なんて、人の不安を煽るような宣伝をしているのが許せないってことです。


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2005年11月22日

青春小説-清水義範

「青春小説」 清水義範

青春小説.jpg古本屋で並んでる棚を何気なく見ていたら、目について、つい手に取ってしまった一冊。読み始めたら止まらなくて、すぐに読み終えてしまいました。

3編の小説からなる作品集です。一つ目の「三億の郷愁」はあの時効が成立した三億円事件を題材にしたまったく新しい解釈が描かれています。たしかにこの方法なら完全犯罪は成立するなって感じで、フムフムとうなずいてしまうところもあり楽しめました。

残りの2編は「灰色のノートからI・U」で彼の学生時代の雑記帳を題材とした、小説なんだか回顧ノートなんだかって感じの作品なのですが、作家の作家になる前の作品やら考えやらが雑記帳に書かれていることを通して、現在の作者自身の感想を交えながら(もちろん脚色もしつつ)描いてあるので興味深かったです。

これら三つに共通してあるのは、それが清水義範自身の青春時代のできごとであり、そのときの流行や風俗などがかいま見えることです。村上龍の「69 sixty nine」を読んだときにも想ったことですが、当時の新聞やニュース、日本現代史事典をみれば当時の出来事や風俗、流行などは知識としては吸収できます。でも実際にその時代を生きた人が当時の感想や心の動きなどを描いている作品などを見たり聞いたりしたときにはじめて、その当時の人々、特に若者の生活がイメージできるようになると思います。今、どう生きていくかを悩んでいる若者である自分と、当時若者であり世の中をわかったような顔をして説教をしている父親世代の人たちが結局は同じことを感じ、同じように恋をし、同じように悩み、同じような過ちをおこしていることに驚いてしまいました。

最近父親のいってることが理解できなくて、なんだよあいつ〜って思っていた中学生高校生時代に読んでおきたかった本だなって思いました。



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2005年10月03日

袖すりあうも他生の縁-清水義範

「袖すりあうも他生の縁」
 清水義範

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眠れなくてついつい読んでしまいました。清水義範の本は止まらなくなるから、寝る前に読んじゃいけないのに・・・

この本では、いろいろな人間関係に焦点をあてて、日常のささいなできごとがストーリーになっています。こういう観察眼をもっている人の話って飽きないなぁって再確認させられた作品でした。

日常の何気ない瞬間を描いた作品は本に限らず、映画、ドラマなど好きなものが多いです。


昔、繁華街からちょっと外れた細い通りでカップルが初めて手をつなぐ瞬間(勝手にそう思いこんでるだけかもしれないけど)を見たことがあります。夕方、これから飲みに行こうと思って歩いていたら前から初々しい高校生ぐらいのカップルが歩いてきて、彼のほうが
「手をつなぎたい!つないでも大丈夫かなぁ」
って顔をしていて、彼女は
「そろそろ手をつないで歩きたいわ」
というような顔をしていました。

そしたら、彼がおもむろに彼女の方に手を伸ばして空中をなでるような仕草をしていました。男ならわかると思うけど、初めて手をつなぐときって緊張して

(つなぎたかったわけじゃないけど、手が触れちゃったからしょうがないから手をつないだだけだよ)

ってことを演出してしまう気がします。

見事彼女の手を捕まえた彼は誇らしげな顔をして、捕まえられた彼女は恥ずかしいやらうれしいやらって顔をしていて、見ていたこっちは幸せな気分を味わえました。人の幸せをみるとついつい幸せになってしまうことってありませんか?

そんな日常の瞬間って素敵ですね。




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単位物語-清水義範

「単位物語」 清水義範

4061858211.09._PE0_SCMZZZZZZZ_.jpgこの人の本は今まで何冊も読んできて、すごい勉強して書いてることにいつも驚かされます。
読んでて笑ってしまうことも多々あり、好きな作家の一人です。

この本も重さ、長さ、温度などの単位を切り口に物語をつくってあり、またその単位についても細かく勉強されて書いてあるので、フムフムといいながらおもわず笑ってしまう作品でした。読み始めたら止まらなくなる本の典型ですね。



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