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2009年03月12日

此処彼処-川上弘美

「此処彼処」 川上弘美

此処彼処こんばんは。このブログ、最近転職がうまくいかないことばっかり書いてありますね。なんだか転活日記って感じです。本の感想がメインのはずだったのに。。。(笑)。

経済成長率 世界、軒並み落ち込み
「各国GDP比2%の財政出動」 米、G20会議で呼びかけへ
エプソン、今期最終赤字1000億円 構造改革費用を計上
BMW、純利益9割減 前期、高級車不振が直撃

上の四つは日経のwebサイトからランダムに、といっても恣意的にですけど、選んだ見出しです。こんな厳しい世の中じゃあ次の仕事が見つからないのもしょうがないのでしょうけどね。

さて、久しぶりの川上弘美「此処彼処」です。川上弘美が恋しい!というわけでエッセイを買ってしまいました。この作品、日経新聞に連載されていたもののようです。川上弘美のホントか嘘かわからない、現実と虚構の狭間が描かれているような文章を現実の厳しさの書かれている日経の紙上でみたら違和感がすごいでしょうね。

エッセイということですが、この作品のテーマは場所。川上弘美自身もあとがきで書いているように、場所を描くと言うことはその場所を通過した自分を描くと言うことになるのでしょうね。だから難しいと川上弘美は言っています。

小さい頃に住んでいたアメリカの話。実家のあった高井戸の話。新婚旅行で行ったマダガスカル島の話。そんなお話がホントかよ、なんて思っちゃうような川上弘美らしい文体で書かれています。

自分が通ったことのある場所や近しい場所なんかが描かれていると親近感なんかも感じてしまって、川上弘美ファンの僕としてはおいしい本でした。

そして最後に書かれているのは「此処」。結局人間は今自分がいるその場所から逃げることはできないってことなのでしょうね。

冒頭で、日経新聞には厳しいことしか書いていないようなことを書きましたけど、今日の日経にはちゃんとこんな記事もあったんですよ。

人文字でミッキー 2500人が参加、TDL25周年記念でイベント


なかなかかわいらしい?ミッキーですね。ではまたあしたー。




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2008年05月27日

ハヅキさんのこと-川上弘美

「ハヅキさんのこと」 川上弘美

ハヅキさんのことこんばんは。今日のお昼は風が強かったですねぇ。ミニスカートをはいたOLがいつも行く喫茶店の前の定食屋さんで並んでいたんですけど、風が強いのにまったく裾を押さえようとしないので、じっと見てしまって本を読む時間が少なくなってしまいました。

さて強引に話を変えますけど、今日は川上弘美の「ハヅキさんのこと」ですよ。初めて川上弘美を読んだアンソロジー「発見」に入っていたのがこの表題作「ハヅキさんのこと」でした。それから「センセイの鞄」を読んで決定的に好きになって、それからははまり続けて、飲みながら本の話になれば川上弘美をおすすめしてさながら川上弘美教のようになっています。ところで、今「教」を変換して思ったんですけど、「教」と「狂」は同じ音なんですね。案外言葉の成り立ちも近いかもしれないですね。宗教も盲目的に信じてしまえば狂になっちゃうってことなんでしょうね。

そんな川上弘美狂いの僕でも満足できる、掌編がいっぱい収録されていました。この長さがうまいのかもしれないですね。もちろん長篇も大好きなんですけどね。ってか、「センセイの鞄」が大好きなんですけどね。積ん読が一段落したら手に取りたいと思っているんですけど、少しでもスペースができるとブックオフに行っちゃうからだめでしょうね。

そうそう、この本で一つ学びましたよ。

髪をアップにするときにわざとおくれ毛を残して自然な感じを演出する


そうだったんですか…。おもいっきりダマされていました。花火大会の帰りなんかに電車にのると汗でうなじにひっついたおくれ毛がとってもセクシーで女性の性を思いっきり感じていたんですけど、これは演出だったんですね。まぁ舞台でもなんでも演出は大切ですものね。騙すより騙されたいということで、これは知らなかったことにしましょう。

ということは(しつこいようですが)、髪を切りすぎて前髪を気にして何度も上目使いするあの子も、今日の昼時に見た風が強い日にミニスカートをはいているのに裾を押さえないOLも、胸の大きく開いた服から下着が見えている電車のあの子も演出なんですかね。そんなのを見て鼻の下を伸ばしている僕をみて、体をずらして見せないようにするのはなぜなんでしょうかね。見せたい人にしか見せたくないってことなんでしょうね、きっと。

なんだか、このブログは僕の変態日記になっていますね。そんなこと今更なんですけどね。気をつけようにもどうしようもないんです……。

というわけで、ステーキ弁当のような川上弘美の作品でした。ごそうさまでした。




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2008年05月23日

風花-川上弘美

「風花」 川上弘美

風花こんばんは。給料日で金曜日の今日、男女問わずいろんな人に連絡をとって予定を埋めようとしたのに、誰も一緒に飲みにいってくれなかった。今日は誰かと飲みたい気分だったのになぁ。会社からまっすぐ帰ってスーパーの半額になったお弁当を一人寂しく食べるよりも、誰も捕まえられなくて家に帰ってくる方がずいぶん寂しいものですね。
学生の時は誰かしら捕まえられたものだけれど、きっともっと楽しい世界を見つけたんでしょうね。みんな成長しているんですね。同じ場所に立ち止まっているのは僕だけかもしれません。ってみんなただ仕事が忙しいだけかもしれないですけどね。なんだか湿っぽくなってしまいましたね。すみません。

女の子はいくつになっても、どういう状況でも成長する、ということが川上弘美らしい文章で描かれている、川上弘美の最新刊「風花」です。最初タイトルを「ふうか」って読んでいて、どういう意味だろうと辞書で調べたのですけど、載っていなくて、なんだろうと思ったら「かざはな」と読むんですね。
広辞苑曰く

初冬の風が立って雪または雨のちらちらと降ること。
晴天にちらつく雪。風上の降雪地から風に送られてまばらに飛来する雪。

という意味だそうです。綺麗ですねぇ。物語のテーマともなんとなく合っていますしね。

三十代の女性、のゆりは卓哉と結婚して数年経つが、ある日、卓哉が同僚と不倫していることを知ってしまう。卓哉から離れられないのゆりはいつまでも待ち続けるが卓哉は帰ってこない。それがある日、転勤とともに・・・。

っていうお話です。のゆりがどう成長していくのか、これがなかなかおもしろかった。でも、川上弘美作品にしては卓哉って男がひどい男すぎる、って思っちゃいました。とびっきりいい男だとか、どうしようもない男だけどどこか憎めない、そんな男が多かったと思っていたんだけどなぁ。まぁだからこそ、のゆりの成長がしっかりと読みとれたのかもしれないですけどね。

久しぶりの川上弘美でしたけど、久しぶりだからこそか、とってもうれしく、楽しくなっちゃいました。こんなんだから川上弘美はやめられないんだよなぁ。実はもう一冊買っちゃったのです。これも楽しみです。今日は読み終わるまで寝られませんね(笑)




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2008年01月30日

ざらざら-川上弘美

「ざらざら」 川上弘美

ざらざらこんばんは。根気強く川上弘美布教活動をしてきたせいか、最近、まわりに川上弘美ファンが増えてきてうれしい限りです、「センセイの鞄」は名作だ!といってくれる友人や、すすめてもいないのに、「ハヅキさんのこと」「真鶴」を手に入れた友人など、川上弘美についての会話がお酒を飲みながらできるなんて幸せですね。

というわけで今日は川上弘美の「ざらざら」です。10ページに満たない短篇が23篇収録されています。

今まで川上弘美を読んだことのない人には「センセイの鞄」をすすめていました。でも、今日からは違います。これからはこの「ざらざら」をおすすめいたします。それぐらい川上弘美ワールドがつまっている一冊だと思いました。一編一編はたしかに短くて物足りなくなってしまうこともありますけど、人と人のお話があったり、人と人でないもののお話しがあったり、濃いものもあれば、薄いものもあり、伸びたり縮んだり、素敵な小料理屋がでてきたりといろんな川上弘美を堪能するのならこの一冊だ、と確信いたしました。

一番川上弘美らしい作品ってこのなかではどれになるんでしょうかね。川上弘美っていろんな種類の作品を書いているような気がするから一つを選ぶのって難しいですね。

自分が気に入ったのは"パステル"でしたね。作家であるおじさんとわたしのお話しなんですけど、これは福助という会社の広報誌に載った作品のようです。ずるいですね。こんな作品が読めるのなら福助に入社したい!って強く思っちゃいました。福助からの依頼なだけあって、靴下の登場がちょっと唐突かしらっておもったりもしたんですけど、それを許せてしまうのは川上弘美の文章がうまいからなんでしょうね。

素敵な小料理屋といえば"笹の葉さらさら"にでてくるスナック「リラ」ですね。スナックといっても人のよさそうなおばさんがやっている小料理屋なんですけど、こんな雰囲気のお店があれば仕事帰りに毎日でも通いたくなりますね。このお店で肉じゃがだの、鰺の南蛮漬けだのをたべながらぬる燗を二本ぐらいやって帰りたいですね。

今度富山出身の友達が田舎に帰ったときに"月世界"にもでてくる銘菓"月世界"をおみやげに買ってきてくれるのが楽しみです。というか、お酒のつまみにあうような白海老なんかのほうがうれしいのだけれど・・・。なんてこと言っちゃいけませんね(笑)

お茶用意して待ってるので月世界おねがいしますねー。




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2008年01月23日

真鶴-川上弘美

「真鶴」 川上弘美

真鶴 最初の記憶はおばあちゃんの家の窓際にあったロッキングチェアにすわっている三歳ぐらいの男の子の姿だ。青い半ズボンとTシャツをきてぽつねんとしている。自分の記憶であるはずなのに、天井から第三者のような自分をみている。すごくつまらなさそうな顔をして、窓の外をみている。誰かが迎えにくるのを待っているかのように。

母が一歳下の弟をうむときに僕を祖母の家に預けたことを中学生ぐらいのときに聞いた。二週間ぐらい預けて迎えに行ったときにはまったく笑わない子どもになっていたと。もし上の記憶がそのときのものだったとしたら、自分は一歳ちょっとだったはずで、三歳ぐらいの男の子だったはずがないのに、自分ではそのときのものじゃないかと確信している。

記憶なんて曖昧だ。自分でいくらでもつくれるし、すぐに忘れてしまうものもある。あとからあのときのものだ、なんて思いこんだらそこから逃れることはできない。でも、自分自身は記憶でしかつくられない。それを忘れているときと思い出されているときでは同じ自分ではないように感じられる。なんだか伸びたり縮んだりしているみたいだ。自分の何年もの人生が身体の中の何分の一しかない脳に支配されているなんて、なんだか悲しい。

久しぶりに川上弘美を読んだ。表紙を眺めてみる。すももが描かれた表紙は美術書でもみるような感じだ。カバーかと思って見返しを開いてみると、ただ折り込んであるだけなのに、ちょっとびっくりした。そのびっくりしたぶんだけうれしくもなったんだけど。読み始めてみて数ヶ月前まではあんなに慣れ親しんでいたのに、こんなにひらがなの多い文章だったっけと、初めて読むような感覚でなかなか読み進められなかった。

読み進めていくと、だんだん物語が見えてくる。人と人でないものの物語だった。数ヶ月離れていてもやっぱり川上弘美は川上弘美だ。

舞台は真鶴。神奈川県にある、小さな半島だ。東京からいくと熱海の手前にあって、西にむかう人には忘れられた半島のように橋やトンネルの通過点でしかなくなっている。新道を通るとそこに海につきでた陸地があるなんてわからないまま、箱根と熱海に別れる道まででてしまう。

熱海にドライブにいくときには新道をつかわないようにしていた。そこだけ陸地から離れるのがなんだか寂しかったからなのかもしれない。山が海につきでているような半島で、旧道を使うとくねくねと山を登らされる。カーブの多い道で、道の両隣には使えない土地にはさまれたところにつめこむように畑がある。民家は意識してみないと、見つけられないほど点々としている。

海側にはびっしりと木が見えて山だということが認識される。途中の橋から海を眺めるとそこだけ木がぽっかりとあいていてきれいに見える。その道沿いにはいくつも橋があるのに、その橋の上にあるバス停の名前は「橋の上」。その橋の名前なんて誰も気にとめていないようだ。

物語には五人の女がでてくる。どの人もみんな出てくるたびに伸び縮みしているかのように、定まらない。京(けい)はいなくなった夫をみつけようと真鶴に吸い寄せられていく。京の娘である百(もも)も父親を求める。

結局彼はどこにいってしまったのだろうか。最初から存在していなかったようにも感じ始めるが、百の存在がそれを否定する。

ほんとは最初からなんにも存在していないのかもしれないし、そんな考えすら存在してないかのように、すべてがそのまま進んでいくのかもしれない。記憶なんて形のないものだから。記憶にあわせて身体も伸び縮みしていく。上に書いた真鶴の光景も実際にはぜんぜんちがうものかもしれない。

確かめるために久しぶりに真鶴まで足を伸ばしてこよう。

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2006年04月08日

光ってみえるもの、あれは-川上弘美

「光ってみえるもの、あれは」 川上弘美

光って見えるもの、あれはおはようございます。さっきテレビ寺子屋という番組にアグネス・チャンがでていましました。彼女、テレビに出ていないなぁと思っていたら教育学博士までとっていたんですね。

その彼女が番組でおもしろいことを言っていました。教育とはcorrectを教えるのではなくて、rightを教えるのだと。日本語だと、両方とも「正しさ」「正しいこと」と訳せると思いますけど、英語だと、「correct」は社会的、歴史的に正しいこと、「right」は人として正しいこと、という風にちょっとニュアンスが違うんですね。そして、教育は「correct」に対して常に懐疑的になりながら、「right」をみつけていく過程だと。

僕が小説や本を読む理由って、このrightを探すために読んでいるのではないかと思いました。よりよく生きる、何かの答えを探すために読む。そこには決して活字中毒という言葉で説明できないなにか他の理由があって、小説を手にとってしまうのではないかと。考えさせられてしまいましたね。早起きは三文の得といいますけど、ふと目覚めただけでも、こんなに得できたのだからほんとのことなんですね。それにしても、アグネス・チャンはいつまでも日本語がうまくならないですね。助詞の使い方とかね。彼女の言葉を聞いているだけでもなかなか楽しめましたよ。

さて、はたまた、川上弘美に戻ってきましたよ。「光ってみえるもの、あれは」です。川上弘美初の家族小説というか、成長の物語というふれこみの作品です。

高校生の僕、翠と同級生の花田、恋人らしく平山水絵、川上弘美の作品によくでてきそうな女性であり、翠の母親である愛子さん、そして同居しているおばあちゃんの匡子(まさこ)さんが織りなす物語です。翠が平山水絵との関係や、花田との関係、はたまた母親や遺伝上の父であり、しかし尊敬できない大鳥さんなどを通して、「correct」に違和感を感じながら「right」を見つけていく過程が描かれています。

大鳥(おおとり)さんをどうしても「おおしま」さんと読み続けてしまって、頭の中で変換するのに、手間取ったりしていたのですけどとっても楽しめる作品でしたね。最後の最後でそうきたかぁとちょっと裏切られちゃったのにはちょっと不満が残りましたけどね。

愛子さんがまた素敵な女性で、「すぐ目の前にいる人と簡単に恋愛しちゃったり」する、なんだかとってもかわいいって抱きしめたくなるような人なのですよ。愛子さんはそういうの嫌がるだろうけどな。でもたまにぎゅっと抱き返してくれそうな気もしますけどね。「あるようなないような」だったと思うのですけど、川上弘美は小さい頃に女性性や男性性が描かれているような絵本を読ませてもらったことがなく、自分の子供にも与えないようにしらずしらずのうちにしていた。という記述があったのですけど、そういういわゆる男らしさ、女らしさを植え付けられることのなかった川上弘美の描く女性がとっても女らしいというか色っぽいのがとっても不思議ですね。むしろ社会的につくられている、女性らしさってのはとっても間違っているのかもしれませんね。

大鳥さんってのがまたぱっとしないおじさんなんですけど、なぜか女性にモテモテなんですよね。どうしてだろうって参考にしようと思ったのですけど、なかなかどうして、そのやりかたというのは自然と身につけられるようなもので真似のできるようなものではないみたいですね。その彼が言うのですよ。

「女の言葉を額面通り受け取る方がいけない」
「もちろん額面通りに受け通す、ってやり方も、あることは、ある」
「でも、それは、ものすごく険しい道だぞ」
「地球上の男は誰一人として、その道の果てまで行けたことは、ないかも、しれない」

なかなかプレイボーイな発言ですよね。僕はいつも女の子の言葉を額面通りに受け取って振り回されたあげくに振り落とされて疲れてすごすごと帰ってくるパターンが多いので彼のいいたいことが身にしみてよくわかりましたよ。まったく女って生き物は。ってこの最後の締めの言葉、もう何回言っているのでしょうかね。


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2006年03月30日

ニシノユキヒコの恋と冒険-川上弘美

「ニシノユキヒコの恋と冒険」 川上弘美

ニシノユキヒコの恋と冒険こんにちは。先日病院に行って待合室で名前を呼ばれるのをまっていました。その病院では個人情報保護の最近の流れに逆らってフルネームで患者さんの名前を呼びます。様々な名前の人がいて、それらにはそれぞれの誰かの思いが込められているんだなって思うとちょっと嬉しくなってしまいました。そのどれが欠けてもいけないなってね。だから番号で呼ぶような名前の欠けてしまう社会ってなんだかいやですね。

さて、その病院で二時間も辛抱強く待っていた間に読んでいた本、「ニシノユキヒコの恋と冒険」です。最近川上弘美ばっかり読んでいますね。なんだかついつい戻ってきてしまうんですよねぇ。ニシノユキヒコにまつわる女達がニシノユキヒコとの恋愛を語る連作短編集です。

ある人にとってはニシノさんであり、あるひとにとっては西野君であり、幸彦であったり、ユキヒコであったりニシノであったり。ニシノユキヒコは一人の人間ですけど、それぞれが見る顔、それぞれに見せる顔が少しずつ違うので十人それぞれが語るニシノユキヒコは少しずつ違う人間に見えてきます。別に意識的に見せる顔を変えなくてもそれぞれが見たい顔ってのはちょっとずつ違うのでこういうことってよくありますよね。

川上弘美はやっぱりうまいですよねぇ。十通りのニシノユキヒコのキャラクターがそれぞれちゃんといて、サイテーの男だって思うニシノもいれば、なんていい男なのかしらって思う西野君もいます。でも共通しているところもちゃんとあって、あぁ、同じ人なのねってちゃんとわかるようになっていますものね。

川上弘美はこの作品集でもいろいろなことを僕に教えてくれました。「あなたは他の人とは違うから」という言葉が女性にとって殺し文句であるとか、セックスとは親密な時間を作り、お互いの緊張を解いていく行為だとか、アンクレットはストッキングの上にするのではなくて、ストッキングの中にいれるものなのだとかね。

それぞれに、他の人と違うって言われると共感されていないようにも感じるから毎回毎回恋に発展するわけにはいかないんじゃないかしらとか、何回セックスしても緊張感のとれない相手もいるとおもうのだけれどとか、アンクレットをあんなぴっちりとしたストッキングの中にいれていたら肌に当たって痛くないのかしらとかって反論しちゃったのですけどね。

原田宗典の「優しくって少しばか」にアンクレットをつけた素敵な女性が出てきます。主人公と彼女が初めて結ばれた夜。彼がいざ彼女の足をひろげた時に彼女のつけているアンクレットが気になります。
「どうしてアンクレットをつけているの?」
「こうしておけばどっちが右足かすぐにわかるでしょ。」
この文章を読んでから、アンクレットをつけている女性に必ず同じ質問をしているのですけど、同じ答えをくれた人はいませんでしたね。ベッドの上のあの空気の中でしか言えない答えなのかもしれませんね。

もちろん西野君にもいろいろと教わりましたよ。自分は好きだけど、相手が自分のことをどう思っているかわからない。でもどうしても会いたい。そんなときはそれを素直に言えばいいんだってね。電話をかけて

ずっと会ってなかったからなんだかつまらなくて。会いたいんだ。もしかしたら、僕のこと、そんなに好きじゃないかもしれないけど。


この素直さが恋愛には一番大切なものなかもしれませんね。と、わかってもやっぱり言えませんよ、こんな言葉。「私のことどう思ってるの?」に匹敵する最後通告な気がしちゃってね。

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2006年03月26日

あるようなないような-川上弘美

「あるようなないような」 川上弘美

あるようなないような10年ぐらい前まで、ベランダからお墓の見えるところに住んでいた。生まれ育ったところがお寺ばっかりあるような寺町に住んでいて、今まで寺町の中を3回引っ越したのだからベランダからお墓の見えるところに住むなんて当たり前のことだった。そのマンションに行くには小学校の通学路通りに行くならば、人が二人やっと並んで歩けるような細い道を通る必要があった。片方はコンクリートの壁、片方は向こう側が透けて見えるようなフェンスだ。その両方とも向こう側はお墓だった。そんな風にお墓が身近にあるような子供時代だった。

けれども、もっとお墓を身近に感じていたのは、小さい時から毎年、年に3回母親に連れられて多磨霊園のお墓にお参りをしていたからだ。春と秋のお彼岸と命日のクリスマスイブ。しかも、それは僕の会ったこともない、お兄ちゃんのお墓だった。今考えればおかしいことだけど、そのお墓参りに父親が一緒に来ることは滅多になかった。記憶にあるだけで、一回か二回ぐらいしかなかっただろう。そう、父親違いの兄なのだ。写真でしか見たことないけれど、6歳でなくなったらしい。

そのお墓参りを遠足に行く時のように楽しみにしていた。出発前に車にほうき、ちりとり、園芸用のはさみと新聞紙を用意する。多磨霊園につく前に花屋さんによってお花を買う。そんな非日常の出来事が起こる予感をさせてくれる準備がちゃくちゃくとすすんでいく。お墓についてからまず最初に会ったこともないし、顔も覚えていないような兄になんて言えばいいのだろうか、お願い事でもすればいいのかしら、なんて思いながら手をあわせる。それからもくもくとお墓を掃除する。落ち葉を集めて、墓標を濡れたぞうきんでよく磨く。そこからがお墓参りのクライマックスだ。

集めた落ち葉を一カ所に集めて、ついでに、他の人のお墓からでて、お参りに来た人が掃いて所々に集めてある落ち葉も一緒にして、新聞紙に火をつけて落ち葉焚きをする。最初は湿っていたり、まだ青い葉っぱかなんかでなかなか火がつかないのだけれど、いつのまにかぱちぱちと落ち葉がはぜる音が聞こえてくる。そんな音を最初に聞きたいがために火をつけさせてもらったことも何回もあった。そんなわけでお墓には悪い印象はない。むしろお墓参りと聞くとわくわくとすらする。

そんな風にお墓に対してわくわくしていたことを川上弘美の「あるようなないような」にある文章を読みながら思い出していた。川上弘美もお墓を嬉々として見て回るらしい。

この作品集は様々な媒体に載せられたエッセイをまとめたものだ。またエッセイを読んでしまった。やっぱり恋をしているみたいですね。頭の廻りが悪くて、おまわりさんに不審人物扱いされて、あなたの歳だったら女性の一人暮らしでも大丈夫でしょうなんてセクハラまがいのことを言われたり、学生時代の作文の授業が嫌いで、ずっと弟の赤ん坊の時のことばっかり書いていたけど、高校の修学旅行の京都を題材に書かなければいけなくなりそのとき初めて創作を書いたことなんか書いてあって、彼女の魅力が十分に詰まった一冊でした。

僕も小学校の時の作文の授業ってやつがとっても苦手で、「家でのお手伝い」という題で書かなければいけなくなって、やったこともないお風呂掃除を題材に想像でお風呂掃除している自分を創作したのだけれど、それが校内紙に載ってしまって、こんなんでいいの?なんて思ったりしていました。

川上弘美の作品を読むとなんだか無性におなかがすくんですよね。それもお寿司じゃなくてちらし寿司だったり、天ぷらじゃなくて天丼だったり。自分でつくって自分で、おいしそう、なんて独り言をいいながら食べたい。豚のショウガ焼きだったり、焼き魚だったり、なすのおひたしだったり。だんだんこの文章を書きながらも思い出して、おなかがすいてきました。

それとともになんだか久しぶりに母親のお墓に行きたくなってきた。歩いて10分ぐらいのところにあるのに、最近は命日の日にしか行ってなかったからなぁ。今から散歩がてら行ってきますね。





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2006年03月21日

パレード-川上弘美

「パレード」 川上弘美

パレードこんにちは。先日、友人と飲みながら昔の恋人はキレイに、かっこよくなっていて欲しいかって話しをしていました。ミスチルの「over」の歌詞にこういうのがありますよね。

いつか街で偶然出会っても
今以上に綺麗になってないで


まぁつきあっているときは魔法がかかっているような状態だと思うので、その魔法が解けてしまったらつきあっていたとき以上にかわいく、キレイには見えないんじゃないかしらって思うのですけどね。

「昔の話しをしてください」とセンセイが言った。


ではじまる物語、パレードです。

「センセイの鞄」のツキコさんとセンセイがある休日にお話をしているという設定のお話です。センセイに促されてはじまるツキコさんのお話は彼女の小学生の時のお話です。天狗やら砂かけばばあやらと共に過ごした小学生の時。川上弘美の得意な、人と人以外のものとの関係がツキコさんとセンセイの語りですすめられていきます。

きっと「センセイの鞄」を読んだことのないひとはなんじゃこりゃって読み終わった後になってしまう作品なんでしょうね。川上弘美に恋をしてしまった僕としては、こんな作品でも触れていたいのですけどね。

ツキコさんとセンセイがそうめんを食べ終わった後に畳の上でお昼寝をする場面があります。起き抜けにセンセイがツキコさんの手をぽんぽんと叩きながら「ツキコさん、昔の話をしてください」といいます。そのときツキコさんは

誰かしらといつも手をつないでいたかった幼いころの心もちを思い出した。センセイに手をつないでほしくなった。


と、思うのです。誰かしらと手をつないでいたかったのは幼い時だけだったかしら。今でも、飲んだときなんかは、手をつなぎたくてつなぎたくてどうしようもなくなってしまう僕はいつまでも幼いってことなのかしらね。

友人と飲んでいるときに、昔の恋人の話をしているときがあります。そんな話をしていた、先日。友人に「結局どの子やりなおしたいわけ?」って言われちゃってちょっと考えてしまいました。別にどの子とやり直したいとかじゃなくて、その当時の元気だった、なにもかもがうまくいくと信じていた自分を思い出したいだけなんじゃないかしらって、最近なんだかうまくいかない僕は考えてしまいました。



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2006年03月19日

龍宮-川上弘美

「龍宮」 川上弘美

龍宮おはようございます。先日新宿でペンギンのいる居酒屋 というのに行ってきました。一緒に行った友人が、行ったことがあるというので連れて行ってもらったのですけど、そんなの信じられるはずもなく人形かなんかでお茶を濁されるのかと思っていたのですけど、東京のど真ん中にほんとにペンギンがいましたよ。びっくりしました。



セバスチャン
    ケープペンギンのセバスチャンちゃん(メス)

そんなペンギンは出てきませんけど川上弘美の「龍宮」を読みました。でも、川上弘美なら東京のど真ん中の居酒屋に閉じこめられているペンギンとのアイヨクにまみれたお話を書いてくれそうな気がしますね。

この本は、人間と人間じゃないものとのアイヨクにまみれたお話が8編収まっています。川上弘美は「センセイの鞄」のような人間同士のお話と、「くまにさそわれて散歩にでる。」ではじまる"神様"(神様収録)や「蛇を踏む」のような人間と人間以外の人のお話とに大きく分けられますね。僕はどちらかというと人間同士のお話の方が好きなんですけどね。こういうお話はうまく想像できないのですもの。

この本の中でも"蛇を踏む"や""消える"なんかのように、うまくまとまっているようなお話と"惜夜記"(あたらよき)のように「おいおい、どこまでいっちゃうんだよ」っていうようなお話が両方入っていました。

"島崎"では400歳を越えた男と150歳ぐらいの女の生活が描かれています。二人は好きあっていて一緒に生活しているのに、なかなか体の関係を持ちません。男は他の女とはそういう関係になっていて、それに焦れた女に男がいいます。

だってあなたはそんなにおれのこと、好きじゃないでしょ。
(中略)
だって、あなたは冷静すぎるもの。おれに近づいてきた女たちは、みんなもっと生だったよ。

「生」って表現がなかなか面白かったんですけど、男ってたいていこういうもんですよね。ずるいというか、単純というか。相手のそういった気持ちがちゃんとわからないと自分からはいかない、いけない。臆病者なんですね。

「人間とはじつに、泣きながら生きてゆく生物なのである。貴様も同様である。心するように。」

はい。

「覆水盆にかえらず。心するように。」

はい。

「貴様は貴様の道をゆくように。わかったか。」

はい。

なんて"北斎"の海からあがってきた蛸に説教されてしまいました。

今回の作品集にはいくつか、男性が主人公のお話があったのですけど、川上弘美で男がメインって珍しくないですか?読みはじめたとき、「わたし」が女だと思って途中で男だったんだって気付いてちょっとビックリしてしまいました。
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2006年03月04日

椰子・椰子-川上弘美

「椰子・椰子」 川上弘美

椰子・椰子こんにちは。最近地下のお店なのに携帯電話がつながるお店が増えていやになっちゃいますよね。わざわざ携帯が入りにくいように地下のお店を選んでデートしているのに、携帯電話に邪魔なんかされたくないですものね。まったく困ったもんですね。

さてさて、そんなことに構わずに楽しそうなデートをしている「私」の出てくるお話の「椰子・椰子」です。今はなんだか川上弘美の気分なので、いっぱいいっぱい読みたいのですけど、なかなか本屋さんに行くことも、行っても見つけられなかったりして寂しい思いをしています。

山口マオのイラストがいい感じのところに出てきて、お話とも合っていていい味をだしています。日記形式であったり散文形式であったりして、なんだか不思議なお話でした。今思ったのですけど、川上弘美の作品は物語でもなくてストーリーでもなくて、なんだかお話と言いたくなってしまいますね。

子供が二人いて、片思いの彼もいて、それでいてちゃんと彼氏もいる。ベランダに来る鳥、ジャン(ルイかもしれないけど)に不吉なんだかよくわからない予言をされたり、子供二人を丁寧にたたんで外出したりする「私」がとっても素敵な女の子に見えてしまいました。惚れやすいんでしょうかね、僕は。

ある日「私」は片思いの彼とそれがなかなか進展しないから神社にお祓いをしてもらいに行ったんですって。結局進展しなかったらしいのだけれど、そんな神社があれば教えて欲しいものですね。恋を裂いてくれる神社は知っているのですけどね。井の頭公園の弁財天様が有名ですよね。女の神様だから嫉妬して別れさせてしまうって。うちでは毎年初詣に行ってたのですけど両親とも仲良かったけどなぁ。

最後に山口マオとの解説代わりの対談ってのが載っていて、このお話はすべて川上弘美が見た夢なんですって。読みながらなんだか、現実と夢の境目がどこだかわからなくて、どこに自分の足をおいていいのかわからないような気分を感じていたのですけど、現実に足をおいていたらいけないお話だったんですね。最初にこれを読んでいたらもっとお話の中に入り込めたのになんて悔しい思いをしてしまいました。

夢と言えばこのあいだなかなか素敵な夢を見たんですよ。自分が明石家さんまになっていたんですけど、高松の高等裁判所の職員とつきあっているのが週刊誌に発覚しちゃって追いかけられる夢なですけどね。なんで、明石家さんまなのか、なんで高松がでてきたのかさっぱりって感じの夢でしたね。小野伸二がでてきたりして、不思議な夢だったなぁ。最近眠りが浅いからかどうなのか、夢をいっぱい見ていて、夢の中で興奮しているから朝起きても寝る前よりも疲れていることが多いんですよね。まったく困ったもんです。

posted by kbb at 14:52 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | 川上弘美

2006年03月02日

ゆっくりさよならをとなえる-川上弘美

「ゆっくりさよならをとなえる」 川上弘美

ゆっくりさよならをとなえるおはようございます。

僕はどうやら恋に落ちてしまったようです。

小説家のエッセイは読まないって決めていたのに、読んだところで絶対失望するって思っていたのに。川上弘美のエッセイ集「ゆっくりさよならをとなえる」を読みました。好きな女の子の一挙手一投足をのぞき見するかのように彼女の世界を堪能してしまいました。「センセイの鞄」のツキコさんや、「古道具 中野商店」のヒトミさん、"ハヅキさんのこと"(「発見」所収)のわたしなんかでなく、川上弘美自身が見たもの、彼女が聞いたこと、彼女のしたこと、彼女の考えたこと何もかもを知りたい、そんな気分になってしまいました。彼女の考えたことは小説を読めばわかるけど、彼女の見たり、聞いたりしたことはエッセイを読んだ方がはるかに効率よく知ることができるものね。

しょうがパンを作る彼女や(未だにしょうがパンがなんだかわからないけど)、蝶を怖がるけどそれを人に見せないように強がる彼女や、「檀流クッキング」という本を読んで「作りたい」ではなくて「作りたいっっっ」ってなってしまう彼女なんかを見て(読んでだけど)、かわいい!って思わず声がでてしまったりしてしまいました。

多摩川に行くときは動きやすいようにジーパンにスニーカーで行くんだろうな。でも、パーティーに行くときは周りから馬子にも衣装だねなんて言われながらも、見違えるようなワンピースを着て行くんだろうな。きっと清潔感あふれる格好が好きで、数は少ないだろうけど、それなりにどこに行っても恥ずかしくないぐらいはちゃんと揃ってるんだろうな、なんて。これは妄想ですね。

彼女がネット上でしたという「係占い」というのを探してやってみた。彼女は図書係であるらしい。こんなのを読むとすぐに自分はどうだろうなんて思うなんて、恋に違いないな。僕は、とりあえず見てます系の黒板係だったよ。結構当たってるね、これ。

自分から積極的にアタックするタイプではない。また失敗するとわかっている恋には手を出さない。


なんて、まさに今がそうじゃないかね。

彼女は本を読むたんびになんらかの教訓を得るらしい。ある時は「博物館に陳列するものはよく燻蒸すべし」であったり、「犬に名前をつけるのだったら呼びやすい名にしよう」であったり。でもね、「セックスは人を解放する」ってのだけはセックスの相手によって違うと思うよ、と反論したいな。解放してくれないものもあるよってね。

彼女はよく一人で、飲み屋のカウンターで飲んでいるらしい。ツキコさんのように。枝豆とビールと注文してカウンターに陣取る姿をもし見ることがあったら、僕はなんて思うのだろうか。かっこいいかな、なんで一人?って気持ちが先に来るかも。でも、絶対に声を掛けることはできないだろうなってことは確実に言えるかしら。さりげなく隣に座って観察しちゃうかも。

あれ、これじゃ恋をしているというよりも、ストーカーみたいだな。そんなの恋じゃないじゃん。恋には落ちていなかったようですね。それに大女(ご本人の言葉)は苦手なの。だって体が大きいと大味でしょ(想像だけど)。よけいなお世話でしたね。すみませんでした。



posted by kbb at 09:44 | 東京 🌁 | Comment(4) | TrackBack(1) | 川上弘美

2006年01月12日

溺レる-川上弘美

「溺レる」 川上弘美

溺レる.jpg最近このブログを読んだ友人からあの本おもしろそうだから貸してって言われたことが何回かあってとっても幸せな気分のkbbです。おはようございます。同じ本を手にとってくれる人が一人でも多くなって、さらにその人自身の感想を聞かせてもらえるとうれしいものですね。

さて今日は「M's BOOKcaSe」のMOWさんの溺レるの記事を読んで読み直したくなって手に取った川上弘美の「溺レる」。8人の女性が8様に溺レている短編集です。こうやって書くと水難事故についての本って思われちゃいますね。違うんですよ。8人の女性が溺れているのはなんと「アイヨク」なのです。漢字にすると「愛欲」。こんな言葉最近聞きませんよね。素敵な響きなのにね。

すべてのストーリーが女性の視点で書かれているので、うら若き乙女のMOWさんほど(とりあえずこれぐらいの枕詞を使えば大丈夫かしら)僕自身は溺レることはできなかったのですけど、いろいろと考えさせていただきましたよ。

まず思ったのが、このお話の舞台はいつなんだろうってことです。見事にすべての女性が昭和30年代かってほど男性に溺れていて、男性に従順で、男性にすべてをまかせっきりにしているのです。最近の女性でここまで男性に溺れている女性のお話ってきかないな。でもよくよく考えてみると、今の女の子達は素直になるのがうまくなくて、ほんとはここまで溺れてしまいたいのだけれど溺れることによって得られる物よりも失ってしまうことのほうが恐いから溺れることから意識的に逃げているのかしらって思ってしまいました。実は得るものの方が大きいときもあるのに。溺れることから逃げるために仕事に打ち込み、逃げるためにあえて仕事と恋を天秤にかける女性を演じているのかしらと。

でもこう書いたけど、この作品の男性達だって、彼女たちに溺レているのです。溺れている自分が恐くて彼女達を支配している錯覚を見たいだけじゃないかしらと思えてしまいました。

溺レるって言ってもいくつかの作品のカップルはちゃんとそれぞれの生活を維持しつつ、けれども二人でいるときにはアイヨクに溺レておらずにいられないって感じなので、溺レるってことがとってもポジティブに描かれています。どんなに体を重ねても満足できない二人。それでも満足できないから体をくっつけて寝る二人。そうやってそれぞれがそれぞれの何かから逃げて、溺レて、また現実に帰っていく。そんな物語だと感じました。

そういえばあれはアイヨクに溺レていたのかしらって人が一人だけいたような気がします。どんなに一緒にいても決して飽きない。毎日身体を重ねて、それでも飽きたらずいつもすぐそばで息を感じあわなければいられない相手。それが当たり前になった瞬間にそれが崩れるのも早かった。溺レているだけじゃなんにも解決しないんですよね。でもまた溺れてみたいですね。なかなか溺れさせてくれる人も溺れてくれる人も現れませんけどね。

"七面鳥が"の中で男性のハシバさんがいいことを言っています。

「(深い仲になるのは)自然に、なるようになっていくのが、いいもんなのに」

恋に悩んでる女の子にかっこよく言ってあげたいのですけど、僕自身はそうやっていくつの恋を逃してきたかしら。それは縁がなかったからなのか、それとも自然にはならないものなのか。悩みますね。

このブログのタイトル「あれやこれや」なんですけど、まぁありふれた言葉なですけどね、それが頭に浮かんだときにどっかでみた言葉だなと頭にひっかかっていたんですよ。どこでだか全然思い浮かばなかったんですけど、この作品の中でやっとみつけました。"無明"の中の一節

500年前の、あれやこれやが、ほんの少し思い出されたが、おぼろだった。


ってところなですけどね。溺れている二人が不死になってしまった原因である500年前の出来事の「あれやこれや」。なんだか大きすぎますでしょ。そんなにショッキングな出来事だったのにおぼろなんですよ。そこが気に入ってたのです。ブログのタイトルはここから来ているのでした。
posted by kbb at 06:41 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(1) | 川上弘美

2005年12月23日

蛇を踏む-川上弘美

「蛇を踏む」 川上弘美

ヨを踏む.jpg久しぶりに川上弘美の本を読む。やっぱり好きなんだなぁと確認確認再確認。"蛇を踏む"、"消える"、"惜夜記"(あたらよき)3編収録の作品集。

"蛇を踏む"は蛇というキーワードを用いて自我の放棄と他者への変身がテーマだろうか。"消える"は未来小説のようでいて現代の家族論といえる。”惜夜記”は輪廻がテーマか。

なんて硬いことをここで語りたいわけではないのだ!本なんて読者一人一人解釈が異なってよいと思うし、同じ読者でも読んでいる状況や年齢、時間とともに解釈・感想やそれによって得られる印象は異なる物だと思っている。(読みが浅いことのいいわけにしかならなかったりして(笑))

っていうか正直なところ何がいいたかったのかよくわからないってのが素直な気持ちです。無理して言えば上のようなことが言えるかなぁぐらい。”蛇を踏む”は芥川賞とっているらしいです。ジュンブンガクが対象の賞らしいですよ。ジュンブンガクなんてよくわからないもの。ジュンブンガクとそれ以外の境界すらしらないのにねぇ。

でもね、正直に言えば川上弘美の作品は僕に性的興奮を感じさせてくれるってことに気付いたんです。書いてある内容とか表現がそうだってわけではなく、彼女の紡ぎ出す言葉それ自体が性的興奮を感じさせるんです。彼女の作品は一種の官能小説のようなものじゃないかと。それもイタリア人やブラジル人のような濃厚なキスを伴う興奮でも、おいしいコーヒーシリーズのショーリとかれんのまだ幼い、それでいて不可欠なキスのようなわけでもなく、ただただ静かに興奮している自分がいるのです。それは体に変化を起こすさせるようなものでは決してなく、また自分がそういう状態になる過程にも気付くことはありませんし、鼻息が荒くなったりもしません。いつのまにかその状態にある自分に気付くだけです。彼女の作品を読んでいると内容が全然頭に入っていないのに、彼女の言葉のリズムのせいでどんどんページが先に進んでいることがあります。だから途中で読み差しておいておくとどこまで読んだかわからなくなります。しおりをはさんでおいてもどこだかわからなくなってしまうのです。彼女の言葉がいつのまにかぐるぐると自分の周りを取り囲んでいて、それによってもたらされる心地よい性的興奮。それが彼女の本を手にとってしまう原因なのではないかと思う。

"惜夜記”は19編の短編で構成されている作品なのですが、「ビッグクランチ」、「カオス」、「シュレジンガーの猫」、「クローニング」、「ブラックホール」、「フラクタル」、「アポトーシス」なんて言葉がそれぞれのタイトルについていてさすが理学部出身で理科教師をやっていただけあるなと思わされる一方で、それらの言葉が確実に作品のイメージ構成にしっかりと役立っているなと実感しました。書評とかで彼女の紡ぎ出す言葉が素晴らしいと書いてあるのを読んだことがあるのですが、それはこういったことだったんだなぁと再確認。

表紙の絵がどうしてもドコモダケに見えてしまって、ドコモショップの美人の小田さんのこととかいろいろと昔のことを思い出したのはナイショの方向で。


posted by kbb at 12:43 | Comment(4) | TrackBack(1) | 川上弘美

2005年11月28日

センセイの鞄-川上弘美

「センセイの鞄」 川上弘美

センセイの鞄.bmp友人二人の手から手へと渡り合うこと約半年、やっと手元に帰ってきた。といってもまたすぐに別の友人のところに旅だってしまうのだけれど。短い逢瀬を楽しむように、帰ってきた「センセイの鞄」のページを開いていく。友人が雨に濡れた鞄に入れてしまったようで本全体にしわができて波打っているようだけれど、大丈夫、文章は最初に出会ったときと同じだ。

と、久しぶりに手元に返ってきた「センセイの鞄」を読み返していました。

やっぱりこれは最高の恋愛小説だななんて再確認しながらね。30代後半のツキコさん(本文中にでてくるからそうなのだけれど、そう書いてあっても彼女は28から32の女性の一番素敵な時を生きている気がしてならない。)と定年を迎えて一人暮らしをしているツキコさんの高校時代の国語教師との出会いから物語がはじまる。二人の距離の近づけ方にはじれったさを感じるけれど、くっつきそうになったら離れてみたりといった関係が二人の年齢差やらなんやらを表していた。

この本のなにがここまで僕を魅了するのかと言えば、それは二人が駅前の赤提灯で飲んでいるシーンなのだけれど、二人の飲みながらのやりとり、二人が注文するつまみの数々。お酒は強い方なのに日本酒だけは飲めない僕が素敵な女性と出会うには日本酒が飲めなきゃだめだななんて思わされてしまった。こんな女性と一緒に杯を交わしたいなんて思わされてしまったのです。

読みながら、センセイはもう年も年だから人生も終わろうとしているのでけれど、この二人の、つまりこの本の終わらせ方はどうなるんだろうと心配しながらページを繰っていました。二人の恋愛の終わり方を読者に委ねるならさりげない終わらせ方になるし、作者自身の手で終わらせたいのならセンセイが死ぬことを示唆して終わるだろうし。でもこの本は僕が想像した中で一番して欲しくない終わり方をしてしまった。二人の恋愛にとってはあの終わらせ方しかないといわれたらそれまでなのだが。

人と人が出会って別れるのは必然だと思っています。それは究極的には人は必ず死に、その死によって人は誰かと別れなければいけないからです。でも「センセイの鞄」でセンセイを殺すことによってその別れにクローズアップしなくてもいいじゃないか。とそんな終わり方がちょっと残念だったけれど、それでもやっぱりこの作品は好きな作品の一つですね。



posted by kbb at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(5) | 川上弘美

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