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2007年12月08日

私は好奇心の強いゴッドファーザー-原田宗典

「私は好奇心の強いゴッドファーザー」 原田宗典 

私は好奇心の強いゴッドファーザーおはようございます。ちょっと前の話しになりますが、映画「レミーのおいしいレストラン」を観てきました。観ている最中にあの映画ではラタトゥーユが重要な役割を演じていることをしり、そんなフランスの田舎料理なんて食べたこともなければ、見たこともない私は映画にうまく入り込めずに困ってしまいました。原題は「ラタトゥーユ」なので、ラタトゥーユという言葉が少しでもタイトルに入っていれば少しは事前に勉強していったのになぁって思ってしまいました。そういえば、あの映画の原題「Ratatouille」ですが、最初の三文字を見るとネズミが主役ってことがわかるようになっているらしいですよ。

というわけで、映画館に一人でいかないとか、異性としか観ない、とかっていったルールを自分に課しているkbbさんとは違って一人で観に行くことが多い原田宗典の映画評やそれにまつわるお話しなどが満載の作品を読みました。

16の作品について書いてあるのですが、あらためて昔の映画の邦題のつけかたは素敵だなぁって思いますね。余談ですが、以前「トゥルーライズ」という映画がありましたが、あれのライズの意味がわからず、昇る(rise)って思っていたのですが、嘘の方のliseだって知って騙された!って気持ちになったことがありました。

いろんな映画について紹介されていますが、原田宗典が息子と娘をつれて映画館に行ったときのエピソードが紹介されています。上映時間の合間に着いてしまい時間が余り、子どもたちと久しぶりに会話をしたときの話しなのですが、中三の娘の描き方がなんだかかわいらしくて、それでいて、父親の気持ちがしっかりと出ていて、なんだかほほえましくなっちゃいました。

原田宗典の描く人物は魅力的で好きな小説が多いのですが、それまでの作品の人物たちとは明らかに一線を画しているように感じました。家族、特に子どもを描くのがうまくなったなぁって思っちゃいましたね。確かに以前の「しょうがない人」などで家族を描いている作品が多いのですが、息子の目から通した父親の姿や母親の姿であり、この作品では父親の目を通した息子や娘の姿が描かれていて新鮮でしたね。

いくつになっても人は経験によって成長していくってことなんでしょうね。

この作品を読んでいたらなんだか映画を無性に観たくなっちゃいました。ケーブルテレビやビデオで観るのとは違うあの映画館でのわくわくを感じたくなっちゃいました。最近おもしろい映画ってありましたかねぇ。週末にでも行ってこようかしら。
posted by kbb at 10:29 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 原田宗典

2007年11月23日

私を変えた一言-原田宗典

「私を変えた一言」 原田宗典 

私を変えた一言おはようございます。昨日はいい夫婦の日でしたがみなさまいかがお過ごしでしょうか?以前美輪明宏が夫婦の秘訣を語っていました。曰く旦那はマンガや週刊誌ではなく、文芸書を読むべきだ。それによって、知的で文化的な会話が夫婦の間に成り立ち、それでコミュニケーションが生まれ長続きすると。つまらない会話をしている夫婦は長続きはしないと。そのようなことを言っていたと思います。

ここで事実から反論。本をいっぱい読んでいるのにもてないkbbさんはどうなるのでしょうか?

という結論が途中から読めちゃいましたね。毎回ワンパターンだからもてないのでしょう。

というわけで、自分を変えるためにも本を読んでみよう、ということで原田宗典「私を変えた一言」を読みました。

ざっくばらんにいうと、原田宗典による、原田宗典のための武者小路実篤賞賛本って感じでした。それ以外の人の一言もいっぱい載っていたのですけど、武者小路実篤にまつわるお話の比重が多かったのでそうおもっちゃったんでしょうね。かといって不愉快になるわけではなく、「友情」なんかを読み返したくなりました。「真理先生」も紹介されていて、未読なので是非これは読んでみたいぞ、なんて思っちゃいました。本屋さんにいかなければ。また本が増えて置き場には困りますけどね(笑)

で、武者小路実篤のエピソードで、父としての武者小路実篤の話が載っていました。何事にも頓着せず、大らかな彼は教育に関しても構うこともなく、娘さんに対してお小言の一つもいわなかったそうです。で、顔を合わせると

「どうだ、元気か?」

と、同じ家に住む父親らしくない言葉をかけたそうです。原田宗典はこの言葉を、一番重要なことをストレートになんの飾りもなく聞いていることだと言っていますが、その通りですね。元気にやっている、それだけを確認するのが必要なはずの親子の会話が、変にまわりくどい話題や言葉を使いそれによっておかしなことになっている、そんな気がします。あんまり深く考えると逆に言葉がだせなくなり、会話のない親子になっちゃいますしね。「元気か?」。その一言を素直に言えるそんな父親に自分はなりたい、そう思いましたね。

他に隠れキリシタンの"Love"の翻訳が"御大切"であったところから、愛と友情について語りだしたりと原田宗典ワールドがぎっしりの読み応えのある一冊でした。

まぁこの本を読んで自分を変えられるかといったらなんとも言えませんが、"私”なんてものは毎日の経験から少しずつ変わっているわけですよね。人間の細胞は日夜新陳代謝を繰り返しているそうですが、人間のすべての細胞が入れ替わるのに三日しかかからないそうです。

男子三日会わざれば刮目して見よ

なんて言葉もありますが、最近三日おきのこのブログですが、前回とまったく変わっていない、むしろ文章力はどんどん落ちているんじゃないかしらと心配になっちゃうkbbさんでした。

posted by kbb at 12:41 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 原田宗典

2006年01月26日

スメル男-原田宗典

「スメル男」 原田宗典

スメル男.jpg人生で2度目の酒による記憶喪失があったことが判明して嫌になってしまったkbbです。こんにちは。特におかしなコトを言ったわけではないという言葉にひとまず安心していますけど、記憶がないだけにそれもこわいです。一回目の時もそうでしたけど、記憶がなくなったことを記憶から消したいです。

最近なんだかどの本を読んでも心躍るような体験ができないので、いっそ絶対楽しめる昔読んだ本を手に取ろうと思って、手を伸ばした先にあったのがこの本。「スメル男」。いや〜やっぱりおもしろい。400ページくらいあるのに、一回も本をおかずに読み終えました。もう何回も読んでいるのであらすじも展開も全部わかっているのにおもしろいなんてなかなかないですね。精神的ショックから無嗅覚症になってしまった主人公の武井君があるとき突然すごい臭い体臭をもってしまい、そこからアメリカ軍までが絡む細菌兵器の研究へとたどりつき、天才少年などの力を借りて解決していく冒険物語です。

原田宗典の文章のうまさが随所にあらわれていてどんどんページを繰っていってしまいます。今までの短編にでてきたシーンとかもうまく取り入れられていて懐かしくもなってしまいました。彼にとっての集大成でもあるんでしょうね。

さてその天才少年ですけど、IQ350以上。今まで見たり聴いたり感じたりしたことはすべてその当時の状況そのままに思いだしてしまうという少年が登場します。ここで原田宗典は記憶は時間の流れと正比例して薄れていくから人間をやっていられる、なんて言っていますけどほんとにそうなんでしょうかね。むしろ僕には忘れちゃいけないことばっかり忘れられて、忘れたいことほど忘れられないと思えて仕方がないです。忘れたいことを思い出してしまって幾度身悶えたことか。でもえてして、新しい思い出ができている充実しているときにはそういうことも思い出さないのだから案外はやく次のことにいくように身体が教えてくれているのかもしれませんね。

もう一つおもしろいなと思ったのが、主人公の武井君が天才少年に気まずい空気のなかで話しかけるシーンがあるのですけど、そんなときの話題が「天気の話題」。しかし、原田宗典は主人公にこういわせます。少年達は特別なことがない限り、決して天気について話したりしない。するどい観察眼ですね。ほんとそうかも。そんなつまらない言葉で一生懸命関係を作ろう、続けようとするのは大人だけかもしれませんね。子供の内はつまらない関係だと思ったら残酷なまでに容赦なく切り捨ててしまいますものね。

この物語では人間の体臭、悪臭は忌避すべきものとして扱われます。確かに僕も嫌いな人の臭いを嫌いな臭いと思って、匂いだけで判断してしまうこともありますけれど、すべての匂いがそうとは思えないんですよね。僕自身がそうではないので彼ら彼女らの気持ちはわかることはありませんけど、ワキガもこの物語では忌み嫌われる存在として描かれています。確かに汗くさそうな男のワキガは僕も嫌いですけど、好きな女の子の匂いならそれは愛すべき匂いとして感じられるような気がします。実際僕もワキガを持っている女の子とつきあったことがありましたけど、彼女のその匂いをかいだときにはなんともいえない安心感を感じていましたもの。彼女はかがれることを嫌がって恥ずかしそうな顔をしていましたけど、見つからないように何度かその愛くるしい匂いを確認したのを思い出してしまいました。

まあなんにしろ、原田宗典はどの本を読んでも安心して読める数少ない作家さんですね。


posted by kbb at 12:41 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 原田宗典

2005年11月21日

笑ってる場合-原田宗典

「笑ってる場合」 原田宗典


笑ってる場合.jpg基本的に小説作家のエッセイやノンフィクションは読まないことにしている。彼らが考え出した世界が彼らの著作に生み出され、それをつくりだすきっかけとなった現実世界での彼らの体験を垣間見てしまうとなんだかがっくりしてしまうからだ。とまぁこんなことをいいつつもたまーに読みたくなってしまうこともある。原田宗典の場合、小説が出版されるペースよりもエッセイがでるほうがはやかったりするのも原因かもしれない。

彼のエッセイは笑いが多く、電車の中でカバーをつけているとおかしな人に思われるおそれがあるので裸でいつも持ち歩くことにしている。

笑いあり、じーんとしてしまったところありとこれは彼の他のエッセイ集よりも得した気になってしまった。

だいたいが父と子や母と子といった関係の話しに弱いのだが、このエッセイの中の「巨人・大鵬・卵焼き」は父と子の関係について、「短編を書きたくなる時」は母と子の関係にぐっときてしまい、電車の中で短時間に笑いと涙を繰り返すおかしな人に見えてしまったことだろう。

このエッセイを読んでいて一番考えさせられたのが、「おおモーレツ」というタイトルのものだった。冒頭で長田弘さんの「深呼吸の必要」という詩集におさめられている「あのときかもしれない」という詩に触れている。その詩では気がついたら大人になっているけれど子供から大人に変わった瞬間はいつだったんだろうというのがテーマで「あのときかもしれない」という詩が続くらしい(読んだことないから今度読んでみようっと)
で、エッセイの中で原田宗典が子供から大人に変わった「あのとき」について書いているんだけれども、自分にとって「あのとき」はいつだったかなぁなんて思ってしばらく考えていました。

一つだけハタと思い付いたのが、高校を中退したときに当時の担任に「辞めます」と伝えた時だったんじゃないか、でした。それまでは、社会的なつながりのすべてにおいて自分で判断して決断して、その決断に伴って自分で責任をとらなければいけないようなことは無かったのだけれど、この時の「辞めます」というのは誰に相談するわけでもなく、自分の意志、判断、決断によって行われたことだった。あのときから、社会のなかでやっと自分の判断によって色々決めてきたんだなぁって。

とまぁ、こんなことを考えるきっかけになる本でした。なんだかんだいっても自由にやらせてくれていた親に感謝しないといけないね。

最後に本の中からおもしろいなと思った言葉を一つ

「幸福そのものを追求してはならない。追求すべきは幸福の可能性である。そしてその可能性を模索する過程こそが、幸福でなくてはならない。」




posted by kbb at 11:30 | Comment(0) | TrackBack(1) | 原田宗典

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