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2009年02月01日

東京タワー-江國香織

「東京タワー」 江國香織

東京タワーこんばんは。
安心していた日々もいつか終わりが来て、新たなところへ旅立っていかなければならないんでしょうね。

さて、江國香織「東京タワー」です。
たまに読むたくなるんですよねぇ、江國香織。文章というか、世界に触れたくなるんでしょうね。
以前黒木瞳、岡田准一で映画化もされていましたけど、リリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」といつも間違えていました。すみません。

物語はといえば、二組の不倫のお話。一方は純愛。一方はまさに肉体関係というような関係。そしてどちらも壊れてしまう。
どちらかをたてれば、どちらかがたたない。何をとるかってことなのでしょうね。それと不倫はのめり込んではいけない。しょせん不倫なのだからってことなのでしょうかね。

肉体関係と呼べる関係の奥さんの方が若い恋人にいう言葉があります。家では旦那のいうことを全て聞く。ビールを出すのだって上着を脱ぐのだって自分ではやらせない。そうしていれば、私がいなければ何もできないって思うでしょ。

これって結構怖いですよね。こんな風な策略があってこういう風にしてくれてたのかぁ、って思い始めちゃいますものね。女っていうか、江國香織って怖いって思っちゃいました。

そしてもう一つわかったこと。それは「楽しい日々はいつかは終わる。」「終わらせないようにじたばたすると終わりが早くなる。」そんなことでしょうか。どちらの関係も結局終わってしまうのですが、終わらせないようにじたばたしてどちらも終わりを早めてしまったように思えました。なるようにしかならないってことなのでしょうかね。

でもやらないで後悔するより、やって後悔した方がいいっていうのも正しい気がします。まさに自分に向けた言葉でした。



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2008年11月03日

間宮兄弟-江國香織

「間宮兄弟」 江國香織

間宮兄弟こんばんは。

いい加減に酔っぱらってきましたよ。ってずいぶんはやいですよね。最近お酒に弱くなってきたんですよね。お酒が強いことだけが自慢だったのに。僕からお酒が強いことをとったら優しさしか残らないじゃないですかね。

なんだかいつも飲んでいるときと同じような白い目を感じるのは気のせいでしょうかね。

さて、江國香織の「間宮兄弟」です。冷たい目で見られても、そんなこと全然気にしない。それはなぜなのか。だってちゃんと二人の世界があるのですもの。そんな兄弟、明信と徹信が主役の物語です。

映画化もされていて、昔に見た記憶があるらしく、どうしても弟、徹信のセリフをドランクドラゴンの塚地が言っているように思えてしまうんですよね。兄貴の明信を演じた佐々木蔵之助の方の記憶が全然ないのが不思議ですね。

さて、毎日牛乳を飲む弟、毎日一本のビールを飲み月に数回会社の先輩に連れられて飲みに行く兄。日曜日にはビデオを見る。女の子に振られると新幹線を見に行く弟。「おもしろ地獄」と二人が呼ぶジグソーパズルを二人で張り切ってつくる。

そんな二人が恋をした。兄が恋をしたのはビデオ屋のアルバイトの女の子。弟が恋をしたのは兄の先輩の嫁さん。こんなにもいつも一緒にいるのに、二人の恋の仕方は全然違う。兄は相手に積極的に話しかけることもせず心の恋人にしてしまう。弟は積極的に誘いかけ玉砕してしまう。

そうやって新幹線をみにいく弟。それを心配する兄。

こんな兄弟はそうそういないんでしょうね。二人暮らしをしていたらいつしか話すことにも疲れてしまうのではないかと心配になってしまいます。
帯に
"そもそも範疇外、ありえない"男たちをめぐる、江國香織の最新恋愛小説


なんて書いてあるのですけど、これって救いようのない言葉ですね。自分のことをいわれているようで悲しくなってしまいます。

でもここに描かれている男たちがそこまで"ありえない"男たちのようには思えないんですよね。こいつらとつきあうときっとおもしろい毎日が待っていると思うのですけど、どうなのでしょうか。なんて自分をフォローするような言葉で終わらせておきましょうかね。




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2008年07月31日

こうばしい日々-江國香織

「こうばしい日々」 江國香織

こうばしい日々こんばんは。最近薄着の女の子や丈の短いスカートをはいた女の子が多くてウハウハなkbbですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。でも見慣れてくると不思議なことにすぐに見飽きてしまうんですよね。それってきっと彼女たちは僕の手の届かないところにいるからなのかもしれないですけどね。でも手の届くところにいたらそんな格好やめなさいと、きっと言ってしまうんだろうなぁ。

というわけで、「うはうは」といえば江國香織ということで、「こうばしい日々」です。こんな言い方しちゃうと江國香織に失礼かもしれませんね(笑)

女の子の物語と男の子の物語が収録されています。中編が二つと言った感じでしょうか。二歳の頃からアメリカに住む僕は、高校まで日本で暮らして、今は一緒に暮らしている姉としょっちゅう喧嘩をしている。お姉ちゃんが「嫌いじゃないわ」といえば「好きといえば」と言ってしまう。積極的にアタックしてくる僕の恋人、ジル。毎朝スクールバスの隣をあけて僕が座るのを待っている。そんな僕らを冷やかすクラスメートと僕らをオトナとして扱ってくれる、周りの人たち。彼らとのこうばしい日々。

お茶だってコーヒー豆だって、おいしくなるためには、香ばしくなるためには時間が必要だ。きっとこのお話の「僕」もおいしくなる瞬間があるのでしょう。物語を読みすすめながら僕と同じ名前をもった「僕」を応援していました。

もう一編のお話は女の子のお話です。でもこっちはもう少し大きくて、小学校高学年。お姉ちゃんは昨日お嫁に行った。長い間つきあっていた彼氏ではなくて、つい最近お見合いした人のところへ。私の恋の相手はお姉ちゃんが長くつきあっていた次郎君。次郎君と街で偶然出会い、喫茶店に入るだけでドキドキしてしまう。

彼女は母と父の恋愛を真実の愛ではないといいます。
でも、このお父さんいいんですよ。お姉ちゃんを生んだあと、難産でしばらく入院していた妻が「メロンが食べたい」というと「これから毎年メロンを買ってやるから元気になってくれ」という。それから毎年お姉ちゃんの誕生日にはメロンを買ってくる。お姉ちゃんがお嫁に行って家にいなくても。

こういうのってなかなかできないですよね。自分で決めたことなんて簡単に破っちゃうのが人間なのに。でも、こういう約束っていいものですね。守られているからこそそう思うのかもしれないですけど。こういう約束事を少しずつつくっていくことで自分を律するようになれるのかもしれないですね。その前に僕の子供を産んでくれる人を捜さないとね。




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2008年07月09日

号泣する準備はできていた-江國香織

「号泣する準備はできていた」 江國香織

号泣する準備はできていたこんばんは。

最近車に乗らずに電車で移動することが多いのですけど、昔は車かバイクでしか移動しないってほど、それらに頼っていました。デートの時もドライブってことが多かったのですけど、最近電車で行って駅前で降りると、あれこの景色見たことあるぞ、なんてことが多々あります。昔に車で行ったことがあるってことなのだろうけど、車で行くのと電車でいくのと、アプローチが違うってだけで全然違うところに見えるのが不思議ですよね。さらに、全然違う景色だと感じているのに、一度来たことがあるってわかるのもなんだか不思議なことですね。

僕はアンソロジー作品を読むことが多いのですけど、それがその作者の文庫本なんかに採録されるとなんだかうれしくなります。なにかで読んだことがあったはずだけど、なんだっけなぁなんて思いつつまた読み返したりして、温故知新の気分になれるからかもしれないですね。

今作、「号泣する準備はできていた」にもそんな短篇が収録されていました。"そこなう"です。

うはうはだな


という言葉から始まるこの作品ですが、どっかで読んだ気がすると一文目で思い始めて二ページぐらい読んでやっぱり読んだことあるって思って、家に帰って本棚をひっくり返してみたら「短篇ベストコレクション 現代の小説2004」に入っていました。こんな短い文章さっそく忘れてしまいそうなのに、きっと最初の「うはうはだな」って言葉が忘れられなかったのかもしれないですね。

江國香織の作品ってこういう風に強烈な印象を残すわけじゃないのだけれど、少しだけ心にさざ波をたてて、そのまま心に残る作品が多い気がします。っていうことはこういうブログで紹介するのが難しいってことでもあるんですけどね。でも強烈でなくてもいい、それがいつまでも残れば読者にとっては大きな財産ですものね。時が経って自分が「うはうはだな」って娘にいうぐらいの歳になったとき。自分にとってこの作品がどうなっているか楽しみですね。

そんな娘さんたちが夏ということで薄着になってスカートの裾も短くなって最近「うはうは」なkbbでした。ってこういうこと言うからきっとこのブログはだめなんでしょうねぇ(笑)




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2008年05月25日

すいかの匂い-江國香織

「すいかの匂い」 江國香織

すいかの匂いこんばんは。

昨日はフリーマーケットをやる予定だったのですけど、予報で朝は晴れていても、昼から雨ということで中止にしたのですけど、朝からいい天気で、昼ご飯のラーメン屋さんで流れていたラジオでも行楽日和なんていいやがって、まったく日本の天気予報もまだまだ当てにならない、なんておもっちゃいました。でも昼すぎにやっとポツポツと降ってきて、これでこそ中止にしたかいがあった、でもまだまだやれそうだから、もっともっと降るのだ!なんて祈っていました。雨が降れなんて祈ったのは中学の時に毎年開かれていたマラソン大会のとき以来ですね。でも、そのあと暇つぶしに行ったスポッチャでミニテニスでもやろうか、なんて言ってたら大粒の雨が降り出してきて、なんだか降って欲しいときに降らないで、降って欲しくないときに降ってきた、そんな雨が憎かった。

それでも雨の降り始めの匂いが好きだ。普段感じられない匂いを連れてくる。アスファルトの匂い。道ばたに生える雑草の匂い。八百屋の店先のレモンの匂い。隣の女の子の汗の匂い。

そんないろんなものが匂ってくるような小説「すいかの匂い」です。家出した女の子が嗅ぐすいかの匂い。やまだたろうの匂い。母親の買ってくるジャムパンの匂い。

11人の女の子が感じた日常の匂いが描かれている短編集です。

江國香織らしい女性観に思わずうんうんと頷いてしまうような文章を見つけました。

結局のところ、問題なのは美人かどうかということではなく、美人らしくふるまうかどうかなのだ


そうそう、そういうことをいいたかったんだけど、いつも伝わらなかったんだよなぁ。こういう言葉で伝えればいいのか、と自分の言葉の知らなさが悲しくなってしまいました。

何が一番驚いたって解説が川上弘美だってこと。こうやって読むのだなぁ、っていう風に思わせてくれる文章でした。言葉もまだまだ、読みもまだまだ。そんなことを教えられちゃいました。がんばらないとね。




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2008年04月15日

流しのしたの骨-江國香織

「流しのしたの骨」 江國香織

流しのしたの骨こんばんは。先日の花見は桜も散って一本の桜にだけ花がついているだけというのに、その三十倍ぐらいのグループがブルーシートを敷いて宴会をしていました。その仲間入りをしている自分はほっといてみんな物好きだなぁ、なんて、思ったのですけど、この時期は場所取りをする必要もないし、トイレに並ぶ必要もないということで、言うことないですね。来年からは葉桜の会を恒例にしようかと目論んでいる次第でございます。

さて、花見の時はひさしぶりに自分が夜つまむような簡単なつまみではなく、手の込んだものをつくってみました。前夜に鳥の唐揚げと筑前煮をつくって、当日の朝に少し早起きしてブリの照り焼きと卵焼きをつくりました。
お弁当 酒と桜
油の温度の調節に失敗して唐揚げを焦がしてしまったり、似すぎて筑前煮の鶏肉が小さくなりすぎてほとんど見えなくなってしまったりとちょっとした失敗はありましたがおおむね満足のいくような出来でした。みんなにおいしいおいしいといって食べてもらえたのがやっぱり一番うれしかったですね。でもどんなにおいしいって言われてもこんなのお母さんが子供のために毎朝つくるようにはやりたくないですけどね。母親ってやっぱりすごい。

で、久しぶりに料理をして、調味料を流しの下で探していると、賞味期限のきれたものがでてくるはでてくるは、でちょっといやになってしまいました。瓶のまわりがべとべとになったごま油や色の変わったワインなんてさわりたくもなかったですもの。ちゃんと定期的に料理をしないとだめですねぇ。

まぁそんな得体のしれないものがでてくる流しの下ですが、さすがに骨までは出てきませんでした。そんなのがタイトルの江國香織の作品「流しのしたの骨」です。本屋さんで見かけても、そのおどろおどろしい言葉に敬遠していたのですけど、先日の飲み会でこの本の話になり、彼氏と食事をしながら手をつなぐために左手で食事をする練習をする女の子の話であることがわかり、そんなかわいらしい子が出てくるのならば読まなければと、さっそく読んでみました。

お話はといえば、奇妙な、そして不思議な家族のお話です。父と母、そして三人姉妹と一番下のかわいい弟。

法的に正しいことはどんなにばかげたことでも善しとする父に、ハムスターにウィリアムという名前を付けて家の中で散歩をさせる母、女子高生フィギュアを丁寧に色つけまでして組み立てお礼にお小遣いをもらう弟。そして彼氏と食事中に手をつなぐために左手で食事をする練習をする私。

どんなにまわりがおかしいと思っていても、その家族では当たり前になっているそんな風景。正月に誕生日、クリスマスと毎月のように家族のイベントがあってそれには家族全員が集まる。そうやってこの家族がつくられていったんでしょうね。家族はできるものではなくて、つくられるもの。しかもその成員がみんなでつくりあげていくもの。そんな風に考えさせられるお話でした。

自分にもいつかこんな家族ができるのかしら。ってなんの実感もわきませんけどね。

あまり仲良くなれなかった男友達に左手で食事をする練習をしていたやつがいるんですけど、あいつは、右脳を刺激するために左手を使っている、なんて言っていましたが、彼女と食事中に手をつなぐため、なんて言ってくれればもっと仲良くなれたのに。



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2008年03月09日

ウエハースの椅子-江國香織

「ウエハースの椅子」 江國香織

ウエハースの椅子おはようございます。昨晩は風邪で39.8の熱がでて意識が朦朧としていました。どうして高熱がでているときって悪い夢をみるんでしょうかね。今回僕がみた夢は延々と細かい字を見ながら間違っているところを探すという夢でした。それで目が覚めて、また寝ると今度は違うものを探すようになっていて。
クスリのおかげか今は36度台まで落ちてくれたので大分楽になりました。3度違うとぜんぜん変わる物ですね。

小さい頃スーパーにつれていってもらうと必ずおねだりして買ってもらったお菓子がありました。そのスーパーのプライベートブランドのような包装に包まれたウエハース。手に取るとボロボロとはじから崩れていき、胸の辺りをさわるととげとげとしたものが手に触れる。学校帰りに家に帰り窓際で傾いた夕日を浴びながら、牛乳にひたして食べるウエハースが幸せだったなぁ。まぁそうやって畳の上におちたウエハースの破片を母親にみつかって怒られちゃうんですけどね。

江國香織の作品を読むと、お風呂にのんびり浸かりたくなりませんか?普段シャワーしか浴びませんが、お風呂に入りながらお酒でも飲みつつ、本を読む。少し温度を低くして、長居ができるようにしてゆっくりしたい。まぁお風呂を掃除したり湯船にお湯をはったり、濡れても捨てていいような本を探したりっていうめんどくささにそんなことしたことないんですけどね。

今回の「ウエハースの椅子」を読みながらやっぱりお風呂にゆっくり浸かりたくなり、ウエハースを食べながら浴びたあの夕日を思い出してくれるような、時が止まった物語でした。

「ストーリーは・・・ない・・・」

と解説でも書かれているのですが、女性の心の動きが細やかに描かれています。一人になると「絶望」に話しかけられる彼女。すっかり満ち足りた後にやってくるのは「死」であることを知っている彼女。死を待つぐらいなら、自分から満たされた状態を脱しようとする彼女。

とっても悲しくなるお話しでした。といっても涙がぽろぽろでてくるといったたぐいのものではなく、静かに自分の心の裏側から自分の心を眺めるような感じ。

この作品はハルキ文庫からでているのですが、ハルキ文庫と聞いて、村上春樹が出版界を憂えて自分で出版社でも興したのかしらなんておもっていたら角川春樹事務所とのこと。彼はめげずにここで再起をはかっていたわけですね。へこたれない人生、それはそれでおもしろいかもしれないですね。




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2008年02月02日

神様のボート-江國香織

「神様のボート」 江國香織

神様のボート先日杉並吹奏楽団の定期演奏会に行って参りました。アマチュアの吹奏楽団ですが、入場無料ですし、素敵な音楽につつまれながらゆったりとした休日を過ごすことができました。何回か聞きにいってるのですが、少しずつ少しずつよくなっているようでお客さんもだんだん増えているなぁって感想を持ちました。吹奏楽とかオーケストラってなんだかよくないですか?みんながいろんな楽器をもちよって、一つの曲を演奏するという大きな目標に向かってみんなで少しずつ力を出し合って、誰の足もひっぱらないし、誰か一人だけが目立ちすぎてもいけないし。こういうの聞きにいくとみんながんばってるなぁって思って突然涙がでてきて困っちゃうことがあるんです。四月にも演奏会はあるようなので、お近くの方は是非聞いてあげてくださいね。高円寺でやるみたいですよ。

今日の作品の主人公はピアノの先生をして一人娘を育てながら旅ガラスをしています。っていうとなんだかコメディになっちゃうけど、生き別れた最愛の男性を待つために、どこにいっても必ず見つけると言った彼の言葉を信じながら、東京には戻れず関東近辺の今市、川越、草加、高荻、佐倉、逗子を2〜3年のペースで引っ越しを続けながら彼のことを待ち続けます。

その間に全然かわらない母親・葉子と成長し続ける娘・草子の物語が交互に二人の視線を通して描かれています。例えば娘がいくつになっても、小さい頃喜んでいたチョコレートを草子は仕事帰りに持って帰ります。そういう食い違っていく様がたんたんと、本当にたんたんと描かれます。

そして、中学も卒業しようかとする娘の言葉

      ごめんなさい...ママの世界にずっとすんでいられなくて。

で、クライマックスを迎えます。決して離れてはいられない第三の宝の娘に言われたひと言。これで彼女たちの生活は一変してしまいます。決して草子は母親を捨てたわけでもキライになったわけでもないのだけれど。

本当に悲しい物語でした。いつかはこうやって離れていかなければならないのでしょうね。自分も親になったら多かれ少なかれ(葉子のように極端なことをしていなかったとしても)こういう気持ちを持たされるのだろうかと心配になっちゃいました。

草子はピアノ弾きなわけですけど、ピアノってなんだか孤独な気がして仕方がないです。先日聞きにいった吹奏楽にもピアノはいませんでした。どうしていないの?って聞いたらピアノは伴奏と主旋律を一つの楽器で出来てしまうから、吹奏楽にはそぐわないと答えが返ってきました。なんでも出来てしまうから、みんなの中にはいれないなんて悲しいお話しだな、なんて思ったんですけど、ピアノは草子自身を表していたのかもしれませんね。

とまぁ、音楽に関してまったくセンスも知識もないkbbでもここまで感じさせてくれたのは江國香織のうまさかもしれないなぁと思いつつ、サックスでイマジンを吹いてみたいと夢をもっているkbbでした。

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2006年03月29日

泳ぐのに、安全でも適切でもありません-江國香織

「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」 江國香織

泳ぐのに、安全でも適切でもありませんこんにちは。このあいだね。友人と話していたんですよ。デリカシーとデリケートはきっと元々同じ言葉の形容詞と名詞だからデリケートな人はデリカシーがあるんだよ。だから僕はデリケートだからデリカシーはちゃんとあるね、と。そしたらその子にあんたはデリケートじゃなくて、デリートだよって言われちゃいました。ショックです。

こんな世の中なので江國香織の「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」を読んでみました。江國香織がアメリカの海岸で、日本でなら「遊泳禁止」を書かれているであろう看板に書かれていた言葉を見つけました。

"It's not safe or suitable for swim"


こんな言葉からこの一冊の短編集ができあがっています。英語を見たときに「安全でも適切でも」よりも「安全でも快適でも」って訳した方がうまくいくんじゃないかしらなんて思ったのですけど、まぁそれは作家さんのイメージのふくらませ方ですからしょうがないですよね。でも、この看板すごい素敵じゃないですか。とってもアメリカ的だとも思うのですけどね。ちゃんと忠告もしたから、あとは勝手にやってくれ、責任はとらないぞ、って感じでね。でも、こうとも捉えられると思うんですよね。泳ぎたいなら泳げばいい。でもそれは誰にも止められないぞ。禁止することもすすめることもしない。だって泳ぐのは自分なんだもん。監視することはないけれど、遠くで見守っているから好きにしなさい。ってね。ちょっとこれはポジティブに捉えすぎですかね。

でもこんなイメージをもちたくなるような小説集なんですもの。
この本、なんだかタイトルを見て勝手にエッセイ集なんだろうなって思っていて、だったら手に取ることもないだろうなって決めてかかっていたのですけど、このあいだ本屋さんでたまたま見つけて手にとってみたら短編集だったんですね。ちょっとびっくりしたのと、うれしくなったのとないまぜの気持ちになって思わずレジに持っていってしまいました。

タイトルもいいのですけど、表紙がまたなんだか面白いんですよね。ただの歩道と車道と信号と並木。なにげない光景なんだけど、信号が黄色なんですよね。こういうときって赤とか青とかにするんじゃないのかしら、なんで黄色なんだろうってちょっと気になり始めるといろいろとイメージをふくらますことのできる表紙ですね。

もちろん十個すべての短編がなんだか心地よく感じられる小説だったのですけど、あとがきの江國香織の言葉がすごい好きでした。

人生は勿論泳ぐのに安全でも適切でもないわけですが...

瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。SAFEでもSUITABLEでもない人生で長期展望にどんな意味があるのでしょうか。

たしかに瞬間の集積が時間なんですよね。だからこそこの瞬間を大事にしなければならないはずなのに、下らない先のことばっかり考えてしまっていつまでもその瞬間を楽しめない。なかなか考えさせてくれる言葉ですね。

僕の個人的趣味なんだろうけど、うまいなぁ、また読みたいなぁって思う作家さんにしろ、また聞きたいなぁって歌の作詞家さんにしろ、とっても瞬間を切り取るのがうまい気がするんですよね。その瞬間を言葉にして表現して描写してそうやって文章が生まれる。そんな文章にいつまでも接していたいなぁって思うんですよね。その瞬間をを切り取るとなるとどうしても短編になってしまうのはどうしようもないですよね。

他にも"うんとお腹をすかせてきてね"の中の

女は、いい男にダイエットをだいなしにされるためにダイエットをするのだ。


とか面白い言葉がいっぱいある作品集でしたよ。



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2005年12月30日

冷静と情熱のあいだ Blu-辻仁成

「冷静と情熱のあいだ Blu」 辻仁成

冷静と情熱のあいだBlu.jpg前回の「冷静と情熱のあいだ Rosso」に続いて辻仁成の「Blu」を読む。一つのストーリーを「Rosso」は女性側の視点から、「Blu」は男性側の視点から描いている。遜正と別れた後のアオイにもストーリーがあったけれど、アオイと別れた遜正にもストーリーがある。友人から聞いたのだけれど、これって章ごとに交互に書かれている版もあるんだって。今更だけれどそれで読みたかったなんて後悔。

それにしても遜正って最低の男ですね。アオイのこともフッテいるのですけど、その後に出会った芽実もフッテいるのです。だいたい女の子をフル男なんて最低です。別れたくなったらフラせてあげないと。フルって行為はなんらかの理由付けがあってはじめてできるものだから、別れたあとに次の恋愛にいきやすいけど、フラレタ方はなんらかの兆候はあったにせよ、どうしたら修復できるかって考えるものだと思うから、「なんで、なんで?」ってなってしまって、次の恋愛に行きにくい気がします。そんな辛い思いを少しでも好きだった女の子にさせるなんてよくない!だからこそ男は常にふられないとね。といってフラレ続けてるいいわけをしているわけじゃないですよ(笑)

遜正は芽実と同棲をするのだけれど、僕は同棲ってのは二人をうまくいかせないための方策なんじゃないかと思う。お互いに帰る場所があってお互いの家に入り浸るのはいいこととまでは言わないけれど、決して悪いことではないと思う。でも同棲ってしてしまったらずっと一緒にいなければならないでしょ。だから顔を見たくないとか今日は一人で寝たいって時にも帰る場所がないなんて辛すぎる。芽実との場合は仕方なくだったけれど、その時の寂しさや楽しさといった感情にまかせて同棲を始める人がいるけれどもうちょっと考えてみようよ。アオイとはお互いに帰る場所があって半同棲みたいなことをしていた遜正だけれど、これが一番楽しいつきあいなんじゃないかなって思うな。

結局、アオイとの他愛のない約束は二人がフィレンツェのドゥオモの上で再会することで果たされるのですけれど、二人のその後について少し考えてみました。二人は元通りにうまくやっていけるのでしょうかね。それとも終わらせた方がいいのでしょうかね。僕はここで終わるべきだと思うな。人の人生は一本のまっすぐな道路のようなものだと思います。何本もの道路と交差して終点まで行くけれど、一度交わった道路とはもう二度と交わることはできない。その二本の道路は平行ならば決して交わることはない。直角ならば一瞬の出会いで終わってしまう。でも平行に近ければ近いほど、その二本は一緒にいる時間が長くなります。でもいつか別れてしまう。それが人と人との出会いかなって思っています。だから遜正とアオイの道路は一度離れてしまったのだから、もう二度と交わることはないのではないかな。たぶんやりなおしてもうまく行かない気がする。一度離れてしまった心は戻らないと思うから。二人が約束を思い続けたことで二人は離れていなかったんだよっていうかもしれないけど、それについては「そうかもしれない」としかいえない。神のみぞ知る。

辻仁成の作品は初めて読んだのだけれど、他のも読んでみようかなって今は思っています。他にどんな作品を書くんだろってちょっとだけ興味。とりあえずこの記事のカテゴリーは江國香織のところに。


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2005年12月29日

冷静と情熱のあいだ Rosso-江國香織

「冷静と情熱のあいだ Rosso」 江國香織

冷静と情熱のあいだRosso.jpg文庫本で読む。先に江國香織の方を読んでから辻仁成の方を読むといいってどっかで聞いてこっちから。アオイと順正の物語をアオイ側から見た物語。20歳のときのちょっとした約束-アオイの30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオモの上で会おう-を別れた二人が果たすストーリー。

最初はイタリア語とか地名とかでリズムを崩されてうまく読み進められなかった。出てくるイタリア人の名前も男だか、女だかわからなくなってどっちだ!?なんて考えながら読む。でも途中からリズム感もよくなっていく。

本を読みながらずっと、前に短い間だったけどつきあった彼女のことを考えていた。その子は僕に江國香織の本を紹介してくれた子だった。その子は僕とつきあう前、長くつきあった彼がいたらしい。そしてその彼とのけんかに消耗していたころに僕と出会った。江國香織の作品を紹介してくれたときに彼女は言った。「彼女の作品にでてくる女の子のように癒されたいんだ」と。

アオイは順正との楽しかった学生時代の恋愛をすれちがったまま終わってしまう。そこで消耗してしまい、イタリアに帰って東京を忘れようと努力しながら、彼女の過去にはけっして踏み込まない恋人マーヴと同棲する。彼女の趣味は夕方のお風呂と読書。消耗を癒すかのように彼女はその怠惰な生活を続ける。マーヴは決して彼女には踏み込まず、完璧な恋人を演じる。そんな二人にもすれちがいはやってくる。結局それを修復することはできず、同棲は解消される。アオイは順正との約束の日、何気ない日常から順正の元へ向かう。

僕はマーヴにはなれなかった。彼女はアオイだなんてそんな共通点をみつけて喜ぶような子供じみたことを言うつもりはない。でも彼女がマーヴなり他の江國香織作品にでてくる男性のように踏み込んでこない恋人を求めていたような気がする。でもいいわけさせてもらえるなら、マーヴとアオイだってうまくいかなかったじゃないか。過去の積み重ねで現在があるのに、その過去に触れずに二人がいることはできるのだろうか?そんな対処療法的な関係が長続きするとは思えないし、よりいっそう彼女を傷つけてしまうような気がする。結局マーヴもアオイの過去が見え隠れしてきて、それに触れようとして、二人のすれ違いがはじまる。マーヴはよくがんばったと思うよ。僕はマーヴにはなれなかった。彼女の傷を癒そうとして、性急すぎたのだと思う。もうちょっとゆっくりしていたらなんて思うけど、もう終わった事だしね。どうしようもできないや。

アオイと順正が再会する場面で、彼を見つけてアオイがなんて声をかけていいかわからず思わずでた言葉

「来ちゃった。」

ってのがいいね。思いがけずした行動だったけれど、お互いを思っている二人の間に言葉なんて必要ないんだと思う。ただただ「来ちゃった。」と言われた彼は彼女を抱き寄せてやればいい。突然会いに行ったら迷惑かな?なんて言ってるそこの女の子。彼は待ってるかもしれませんよ。ひとこと「来ちゃった。」と言って彼に抱き寄せられに行きましょう。そういえば前にまったく同じアドバイスをしたのに実行しなかった子がいたなぁ。

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2005年10月04日

きれいな話-江國香織

「つめたいよるに」 江國香織 を読んだ。

つめたいよるに.jpg初めて読む作家の作品を買うときはいつも短編集から買うことにしている。短い文章の中に彼ら、彼女らのいいたいことが詰まっている気がして、それが自分に合っていれば長編も自分にとって読みやすい本であることが多い。(このあいだ恩田陸の短編と長編を読んで短編がいまいちでも、長編がぴったりくるって人もいるんだなって思ったが)

この本は、昔つきあった彼女が好きな小説ってなに?の答えにあげた、江國香織の「きらきらひかる」と一緒に買った。先に「きらきらひかる」から読み彼女の感性や考え方を理解して、彼女に少しでも近づこうとしたけど、それからすぐに別れてしまった。うまくいかない予感をさせるはじまりかただったから、あっけなく彼女との関係は終わってしまった。もともとそんな恋だったのだ。

それからずっと、今までこの「つめたいよるに」は積ん読(つんどく)状態で机の上に放ってあった。「きらきらひかる」のあらすじや、それを読んで想ったことはもう忘れてしまっていて、江國香織の文体やらなんやらもすっかり忘れた状態で読み始めたのだが、こんなに素敵な瞬間や情景をこんなにきれいな言葉でつづる人だとは思わなかった。

ただひたすら文章をよみすすめるだけで、彼女の世界にはまれた。そんな作品に出会ったのは久しぶりだったので、少し興奮すらしている自分がいる。

21の短編が入っているのだが、どれを読んでも「飽きた」と思う作品がないのがびっくりだった。

また一人はまってしまう作家に出会ってうれしい反面、本棚のスペースを考えると気分が重くなる、でも買っちゃうんだろうなぁっていう作品でした。




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