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2008年09月03日

博士と狂人 世界最高峰の辞書OEDの誕生秘話-ウィンチェスター

「博士と狂人 世界最高峰の辞書OEDの誕生秘話」 ウィンチェスター

博士と狂人 世界最高峰の辞書OEDの誕生秘話こんばんは。

最近辞書づいています。

-づく・・・他の語に付いて五段動詞をつくり、そういう状態または趣になる意を表す。(広辞苑)

辞書の状態ってなんなんでしょうか?辞書の趣ってなんなんでしょうかね。ってことは辞書付いている、なんて言葉はないのでしょうかね。用例では「秋づけば〜」なんてのが書いてありますけど、これは秋の趣になるってことなんでしょうね。まぁ辞書の趣を感じる人なんてなかなかいないのかもしれませんね。

前回の記事も辞書についてでしたけど、今度のも辞書についてです。しかも世界最高峰の辞書と言われているOxford English Dictionary。一応大学で英語学を学んでいたので、この辞書についても勉強しましたよ。歴史言語学とかの最初の授業とかでこの辞書が取り上げられるぐらい今では歴史言語学や英語学でははずせない存在になっている辞書ですね。この辞書の特徴はその単語がどの時代に最初にどういう意味で使われたかをしっかりと収集して載せること。英語なんて結構若い言葉だから、最初の用例が書物となって残っているからこんなことができるのでしょうね。

こんなのを特徴としているだけあって、この辞書を作るには時間がかかります。だって英語で書かれた書物を本が存在しているものは全て読み、その上でその用例を探してこなければならないのだから。そんなことをやって最初の構想から70年の歳月を費やして作られたのがこの辞書なのです。

そんな辞書を作り上げた二人の男を描いたのが今回のノンフィクションです。主役の一人はマレー博士。貧しい家庭に生まれながら博学な彼は独学で数カ国語を操れるようになります。

もう一人の主役はアメリカ生まれの富豪、マイナー博士。博士といっても、彼はどっかの学校で教授をしていたりするわけではありません。イギリスで殺人事件を起こしてある地方の精神病院に死ぬまで強制入院させられている患者だったのです。

そんな二人の出会い(といっても手紙だけですけど)から辞書が編まれていく過程。そして二人が実際に会う様子などが描かれていきます。

二人の男の困難な仕事に挑む物語とも読めるし、もちろん辞書の完成までの道のりを描く良質のノンフィクションとも読めます。精神を患った男の悲しい生涯とも読めます。「事実は小説より奇なり」なんて言いますけど、こんな物語があるからそんなこといわれるのでしょうね。さすがの小説家もこんなことなかなか思いつけないですものね。

「辞書づく」なんて間違った言葉を平気で使ってしまう僕です。日本語を知らないのだから仕方がないとあきらめてもいいものなのでしょうかね。それともこの二人のように良質の日本語を読むために本の海に漕ぎ出した方がいいのかもしれないですね。




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2008年08月22日

男のための自分探し-伊藤健太郎

「男のための自分探し」 伊藤健太郎

男のための自分探しこんばんは。

昨日は日本のソフトボールが金メダルをとりましたね。表彰式の中継まで見ていましたけど、悔し涙あり、すがすがしい笑顔あり、やりきった笑顔あり、胸をはってメダルを受け取る選手あり。涙が出てきてしまって困ってしまいました。それに引き替え、野球はどうしちゃったんでしょうかね。最後の野球競技だから絶対金メダルをとると周りも盛り上げてきたせいか、日本は余裕で金メダルをとるんじゃないかって思って見ているからかもしれないですけど、点が取れないという不甲斐なさが目についてしまいますね。もちろん選手たちはがんばっているのでしょうけどね。

それにしても、今回のオリンピックは女性選手の方が活躍、注目されている気がしてしょうがないですね。バレーも女子の方が強いですし、ソフトボールも金メダルとりましたしね。男はもっとがんばらないといけないですね。ただでさえ男性よりも女性の方が生物として強いんですからね。

さて、そんな男たちに捧げる、男の生き方が書かれた作品「男のための自分探し」です。著者は東大で哲学を専攻した人。タイトルから想像していたのはくだらない生き方指南本かなって思ったのですけど、哲学的見地から男の生き方を描いた、むしろ男に限らず女性にも読んで欲しい、そんな本になっています。

内容はといえば、すっごい勉強している人が書いているなぁって感じです。まぁ哲学といわずどの学問もそうですけど、特に哲学は哲学学者がいっぱいいるほど、過去の難解な思考や思想の軌跡を追わないとスタートラインにも立てないような学問ですから、これだけ知っているのはまぁ当然なんでしょうね。でも、筆者の興味はいかに幸せに生きるかに絞られています。そしてそれを哲学的に、問いを問うところから始めます。そして幸せになるための、自分探しの目的とは、生きる目的を探すことだという結論に至ります。しかしこれだけでは、問題の解決にはなりません。生きる目的とは何か。それはやっぱり自分で常に問い続けていかなければならないものなのでしょうね。

ニーチェもウィトゲンシュタインもパスカルも誰もが探し求めた自分、幸福。それがもちろんこんな簡単に書かれた本をよんだぐらいで見つかるわけではありませんけど、それを探し求めることについてもういちど考えさせてくれる良書となっているのじゃないでしょうか?

一つおもしろいと思ったのは、国際的な調査で、「あなたは幸福ですか?」と聞いた質問。いろいろな属性にいろいろな質問をしたけれど、どれくらい幸せですか?という答えを変えた要素は一つだけだったようです。それは、その人が結婚しているかどうか。結婚している人は未婚の人の二倍ほども「とても幸せだ」と答える人がいたそうです。決して新婚夫婦にだけ聞いた訳じゃないことを考えるとなかなかおもしろい結果になっていますね。結局人間は一人では生きられないってことなのかもしれないですね。自分も早く見つけないと、って結局自分探しっていうよりかは相手探しって結論になっちゃってませんかね?(笑)





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2008年08月18日

非公認 Googleの入社試験-竹内薫編

「非公認 Googleの入社試験」 竹内薫編

非公認 Googleの入社試験こんばんは。本日五回目の更新です。確変に突入した感じですね。おっと、いけないいけない。もうパチンコは卒業したんです。だから、二度と僕を誘わないでくださいね。わかりましたか、そこの君。

さて、確変で五回大当たりが連チャンする確率はどれくらいですか?なんて問題は簡単すぎてでないであろう、Googleの入社試験が集められた作品です。タイトルにもあるとおりGoogleからは問題を提供してもらえなかたようですが、ネット上で試験を受けた人たちが公開している問題を集めた本のようです。ネット上で公開されているだけあって、その解答はトンチンカンなものも多く、深夜番組「たけしのコマ大数学科」にも出演している編者の竹内薫が模範解答をつけています。

解答者もIT技術者や数学科出身塾講師、物理系大学院生、肉体系スポーツインストラクターなど多種多彩で例えば答えが一つにきまらない問題「8歳の甥に『データベース』の意味を説明しなさい」なんて問題に興味深い解答が集まっています。

でも、有名なフェルミ推定の問題の応用編「世界にピアノの調律師は何人いる?」なんて問題に編者の竹内薫はアメリカ人に出した問題だとしたらイジワルだなんて言っているのを読んで大丈夫かしらって心配になってしまったのも事実なんですけどね。

そういうのがあったとしても、もちろんおもしろい問題はいっぱいあります。

「偉い順に5人の海賊がいます。海賊の親分は100枚の金貨をどうやって分配するかを決める権利があります。でも、残りの海賊たちが(分配が行われる毎に)投票をして、賛成が半分より少ない場合、親分は殺されます。親分が、自分の分け前をできるだけ多くしながら、生き延びるためには、どういう分け方をすればいいでしょう?(ヒント:誰か一人が金貨の98%をもらうことになります)

結構頭を悩ます問題ですが、答えを聞けばそういう風に考えればいいのね、って誰もが納得してしまいます。この解答明日か明後日にこのブログで発表しますのね楽しみにしていてくださいね。

さて、パチンコに行かないことは、行くよりも確実に得をしますって理論的な説明をしてもらえれば二度と行く気なんて起こさないんですけど、意志の弱い僕はついつい足が向かってしまいます。Googleさんどうかお願いだからそんな問題の答えを検索出来るようにしてくださいな。




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2008年08月07日

36倍売れた!仕組み思考術-田中正博

「36倍売れた! 仕組み思考術」 田中正博

仕組み思考術こんばんは。

会社にいると毎日のように、営業の電話がありますね。そんな電話があるたびに、もう少しうまくやればいいのに、なんて思いつつ、今忙しいからと電話を切ってしまいます。

そんな営業電話をかけてくる人に思わず、いいものがあると紹介してあげたい本があります。本が好き!経由でいただいた本です。営業マンもいない会社を立ち上げて、電話をかけるだけのパートを雇ってはじめた著者が利益を1億上げる方法を惜しげもなく紹介しています。

彼はタウンページで手に入れた電話番号にダイレクトメールを送っていいですか?という質問だけをします。もちろんその質問の方法も細かい技があってyes・noクエスチョンをすれば答えざるを得なくなるとかですね。

そしてyesの人にだけダイレクトメールを送る。送った相手はそれに少しでも興味のある人だから、その資料を見て購買をする人が多くなる。売れる人に商品を売るっていうのが安いコストで売り上げをあげるコツだってことですね。

この本のテクニックですが、女の子に自分を売り込むのに使えそうですね。まずは飲みに誘ってみる。okをもらった人に、質問形式の会話を続けながら自分のよさを売り込んでいく。最後にメールかラブレターで自分を売り込む。もちろんいつでも連絡をとれる状態にしておく。

回答率は結構高くなりそうですね。この問題はただ一つ。売れる商品が自分ただ一人だけってことですかね。自分が何人もいれば女の子がいくらいても売り続けられるのに、たった一人しかいないから、売り先も一人に決めないといけないですものね。

ってそれが、現代の一夫一婦制ってことなんでしょうけどね。そうやって甘いことばっかり考えているから一人に絞れないんでしょうね。




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書評/ビジネス


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2008年07月06日

本は10冊同時に読め!-成毛眞

「本は10冊同時に読め!」 成毛眞

本は10冊同時に読め!こんにちは。たまに駅のそばの立ち食いソバ屋さん(ダジャレでしたすみません)に入ると、すっごく甘ったるい汁の時がありますよね。そんなときは七味をバーっていれて掻き込んでしまえばなんとかなるってものですね。ってこれって味覚障害の原因になるらしいからやっちゃいけないらしいですけどね。

そんなわけで、甘ったるいこのブログででも久しぶりに辛口な文章を書いてみようかなんて思います。成毛眞の「本は10冊同時に読め!」です。マイクロソフト日本法人の元社長が書いた本のようです。彼は子供時代からテレビなんて見ないで本ばっかり読んでいたようです。そんな彼の読書人生を振り返って書き上げた一冊のように思えます。といってもつっこみどころ満載なんで、つまらないと思いつつも、最後まで読んじゃったのですけどね。まぁ活字も大きく行間も結構とってあるので時間はあまりかからなかったのですけど。

最初からいきなりつっこみどころがあって笑ってしまいました。最近の格差社会について述べた文章があり、上流と下流が存在するのだから、上流にいなければだめだ、という論調から始まります。そして彼のいう上流と下流は高所得階級と低所得階級という言葉に置き換えられます。そんな拝金主義の彼が言うには、その境目が

本を読んでいるか、読んでいないかの違いである。


と断言していています。ってことは本を読んでいる人はみんな高所得になれるってことなんでしょうね。だったら書評ブログを書いている人はみんな高所得なのかしら。だったら僕はきっとまだまだ本を読んでいないってことなんでしょうね。作者によれば「本を読まない人はサルである」って副題で言い切ちゃってますからね。(この文章って矛盾を孕んだおもしろい文だと思いません?主語で「人」って言ってるのに、述部でサルである。って断言しているんですよ。)きっと僕はサルなんでしょう。

そして、"地頭がいい人、悪い人"なんて項目がでてくるのですけど、その冒頭で

あえてビジネス書が好きな読者のために、ビジネス書的な見出しをつけてみた。この見出しに惹かれてこのページを開いた人は、間違いなく地頭が悪い人である。


なんて言っています。この人、相当性格悪いですよね。わざわざそんなことしなくてもいいのに。
で、どんな本を読めばいいかって話になっていくのですけど、

また本のつくり自体も質が落ちている。...文字を大きくし、文章をつめこまないようにし、内容も簡単にしてあるのだ。


なんて書いてあって、それはこの本のことなんじゃないの?って聞きたくなってしまいました。もしかしたら作者の意図にそぐわないことをしたこの本の編集者に対するイヤミだったのかもしれないですね。

この本の一番のトピックなんですけど、それは彼がすすめる、超並列読書術。同時に10冊の本を読めば様々なトピックを考えられるようになり、アイデアも生まれやすい。脳も刺激されていいだろうってことです。で、「そんなにいっぱい同時に読んで大丈夫?」とか「内容がこんがらがってしまいませんか?」とかって質問に、慣れれば簡単にできる、って書いてあります。
そして最後に彼がすすめる本っていう項目があり、彼の本棚にある本がいくつか紹介されています。その中でリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を経済ものとして紹介しているんですよね。これって生物学の分野ですよね。たしかにうがった見方をすれば経済ものとして読めるのかもしれないですけど、経済ものって紹介できるような本だとは思えなかったのですけど、どうなんでしょうか。もしかして超並列読書術のおかげでこんがらがっちゃってるんだよ、って教えてくれているのかもしれないですね。

読書を好きでない人は、親が読書をする習慣がなかったのだろう


とも言っているのですけど、僕の親は読書をする習慣がありませんでしたよ。母親の本棚には吉川英治の全集がいくつかあったぐらいで、僕は吉川英治を読んだことがありませんし、父に至っては50を過ぎてからはじめて一冊の本を通して読んだそうです。しかもその作品がゲーテの詩集。こんな親に育てられた僕ですが、人よりかは本を読んでいるのではないかと思っているのですけど、どうなんでしょうかね。

まぁ彼も言っていますが、ビジネス書やノウハウ本は結局人のまねなのだから読む必要なんてないっていっています。きっとこの本もそれを教えるために資源を無駄にして書かれた本なのかもしれないですね。

最初に格差社会があるって言っていましたけど、どうしてこういう人たちって格差があるから、人に負けちゃだめだ、上にいなきゃだめだって発想しちゃうんでしょうかね。格差があるなら、それを均そうとは思わないんでしょうかね。上にいるってことはそれだけ社会的な力があるってことなのだから、そういう発想を持ってくれれば少しは社会がいい方向に変わっていくような気がするんですけどね。




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2008年07月01日

生物と無生物のあいだ-福岡伸一

「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一

生物と無生物のあいだこんばんは。ここに自分が存在しているのはなぜか。そんなことはお酒を毎晩補給してなくなったら、また入れる。そんな風に思っているわけで。まぁ普段はそんな哲学的なことはまったく考えていないんですけど、たまには考えてみるのもいいかもしれませんね。

久しぶりにおもしろい科学読み物を読みました。「生物と無生物のあいだ」です。文学的な表現がそこかしこに散りばめられた読みやすい文章です。読みやすいと言っても、何にも書かかれていないっていうわけではなくいて、難しいことを易しく書いている。それって才能ですよね。

彼曰く、今までの生物的知見によると、生物の定義とは「自己複製能力」があるってことだったらしいんです。石は自分とまったく同じものを自分で作り出すことはできない。でも、単細胞生物の大腸菌は自分とまったく同じものを(突然変異は別として)作り出せる。これが生物の定義だったといいます。

しかし、最近の知見では生物は流れの中にいる。これは結構難しい説明が必要なんですけど、簡単に言えば、生物は不可逆的な時間の中にいて、その流れに沿って二度と元にもどれない。もし、その流れに逆らってしまえば生物としては発生することすらできない。そういうことがわかってきたといいます。

おもしろかったのは、生物には相補性っていうものがあって、自分と隣り合ったものがジグソーパズルのように決まっているといいます。たとえば、人間の爪。爪はいくら切ってもいくらでものびてきますよね。それは爪に相補性があって、先端を切ったとしても、その手前にあるところにこれから生えてくる爪に対する相補性が備わっているから。でも爪の根本にある白い半月形のものを爪母といいますが、これがなくなると爪が生えてくることはないそうです。これは爪の相補性がなくなってしまったからって言えるかもしれないですね。

マウスにそれとわかる標識をつけたタンパク質を食べさせたら、体重が変わっていないのにそのタンパク質が脂肪に蓄えられていたそうです。摂取した必要なエネルギー以上のものが脂肪として蓄えられていると一般的に考えられているかもしれないですけど、常に脂肪は入れ替わっていて、必要以上だろうが、以下だろうがそれは脂肪として一度体内に蓄えられるそうです。

相補性のおもしろいところは、人間の皮膚だろうが髪の毛だろうが、爪だろうがその人間といえる存在の中身をいれている入れ物それ自体が物質の流れであるといえること。蓄えられる脂肪と同じように皮膚も爪も新しく摂取された物質によって常に作られるづけられているってことなんですね。

長くなりましたけど、ここではたと思いました。これを読んでいると、人間ってダイエットできないんじゃないかしらっておもっちゃいました。だって、入れ物それ自体が常に作られ続けるわけだし、人間の大きさは細胞の相補性によって常に同じ大きさになってしまう。どんなに材料が少なくて新しく作れなくなったとしても、材料が少しでも余ればどんどん同じ大きさに戻ってしまうってことじゃないですか?ってことは、人間の大きさって成長してしまえばほとんどかわらなくなるってことなんじゃないかしらね?

そんないいわけをしていつまでもダイエットもせずにお酒を飲み続けるのが生物というよりかは人間らしくていいでしょ?って感じで今日は終わりたいと思います。




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2008年06月15日

大人の心に効く童話セラピー-アラン・B・チネン

「大人の心に効く童話セラピー お姫さまと王子さまが中年になっても幸せでいるために」 アラン・B・チネン

大人の心に効く童話セラピーこんにちは。もうすぐ、30歳。毎日お酒を飲んで、毎日タバコを吸って、なんにも変わらない自堕落な生活をしている気がします。歳でなにかが変わるとは思えないけど、これをきっかけにして気持ちを変えないといけないんでしょうね。

30までは青年。そこから先は中年。そんなことが書いてあって上のようなことを思ってしまいました。「大人の心に効く童話セラピー」です。本が好き!経由でいただきました。うん、よかった。

作者は精神分析を専門とする医者。童話を青年童話、中年童話、老年童話という視点から分析しています。

簡単に言えば、青年童話はヒーロー、ヒロインがでてきて、悪を倒すお話。中年童話は主人公が試練に出会うもそれを乗り越えていきます。でも青年童話ほど悪にも厳しくなく人生にいかに対処するかを教えてくれる。死や運命などがテーマになりやすい。老年童話では死は中心的なテーマにはならない。もうそれがすぐ目の前にあるから。

そんな中年童話を詳細に分析しているのが本書です。

世界中のいろんな童話を集めてきて、それを死や運命、再生、命などのテーマにそって解説していきます。

青年期は自分の信念を持ち、やりたいことを見つけ、夢に向かって進み続ける。しかし、30を過ぎ、中年期には自分の現実を受け入れ自分が何者でもないことに気付くべきだ。それを受け入れ、自分の仕事をしっかりとこなして、次世代へ何かを残すことを第一に考える。

これが中年童話が本当に伝えたいことだろうと、書いてあります。たしかに、自分が何者でもないことをうけいれてはじめて、青年を脱却できるんでしょうね。それができないといつまでも大人になれない子供になってしまう。

でも今の世の中、「夢のないやつはだめだ。夢を持ち続ければいつかそれがかなう。」っていう考え方がもてはやされている気がします。それよりも、それが不本意なものであったとしても現在の仕事でしっかりと自分を固めるべきだ、なんてことをいう人がいなくなっていますね。

現在の価値観が下の世代の若者への評価でつくられているからなのかもしれませんね。一昔の話を読んでいると、上の人に認められたい、そういう動機をもって生きていた人が多い気がします。これも"父親"が弱くなったことが原因なんでしょうかね。

日本のお話も結構でてくるんですけど、カッパのお話のところで、日本ではカッパは悪魔のような存在である、とか武士で医者という男を分析するのに、武士という人を殺す職業と医者という人を治す職業を両方やっているこの男は象徴的だ、なんて書いてあってもう少し背景を知って分析して欲しかったなぁって思っちゃいました。

でも、30を前にしてこの本を手に取れてよかった気がします。人生や生き方について、もう一度心から考えさせてくれました。

さて、自分は何者なのでしょうかね。何者にもなれなくても、みんなが無機的になんの特徴もないまま集団に埋もれていることはできないはずですものね。なんだか最近こんなことを考えてしまって、気付くと電車にも乗らずに街を徘徊しています。おかげで毎日筋肉痛と闘っています。まぁダイエットにはちょうどいいんですけどね。




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書評/心理・カウンセリング


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2008年01月28日

大人たばこ養成講座

「大人たばこ養成講座」

大人たばこ養成講座えっと、以前このブログにも書いたかもしれないのですけど、禁煙して、それに失敗しました。みんなに最後の一本は絶対に吸わないとして、煙草のパッケージにいれたまま、写真まで撮ったのに、3ヶ月ぐらいして、もう吸っても常用はしないかしらって試してみたらまたまた常習者になっちゃいました。

というぐらい煙草からはなれられないんですけど、SPA!とか東京ウォーカーとかって雑誌に載っている大人たばこ養成講座という広告をご存じですか?マナーの向上を訴えているのだろうけど、そんなこと全然頭に入らずにただただ笑わせてもらっています。

例えば、出張でのお作法やプールでのお作法、フリマーケットでのお作法など、いろんな場面でのお作法が紹介されています。まぁJTの広告だけあって、そこでのお作法に必ずタバコを一服するシーンが含まれるんですけどね。

遊園地でのお作法では、

1. 切ない思いをするので、奇数ではなく偶数人数で行くこと。

なんて書いてあって、もっと早くにこれを知っていれば、初恋の子を含めた男2人女3人で言ったあのディズニーランドも寂しい思いをしなかったのになぁ、なんて心に少し甘酸っぱいものが広がってきます。

広告の対象が20歳以上ということがあってか、少しシモネタに走りすぎてるキライもあるんですけどね。

鍋処でのお作法で

10. ドサクサにまぎれて、美女のモモ肉に手をつけないこと。

とか、電車通勤でのお作法で

11. 階段は上り下りの列を守ること。ミニスカ女性の後ろでは挙動不審にならないこと。

なんて大変勉強になりますね。少なくとも僕には(笑)


広告を集めても、という方には本購入特典としてアダルトたばこ養成講座なんてのもあって、芸者遊びのお作法とかラブホテルでのお作法なんてのもあって、ファンとしてはうれしい限りですね。でもやっぱり下に走るんだ。って突っ込んじゃいましたけどね。

もうしばらくタバコとのおつき合いが続きそうですけど、最近マナーの問題で肩身がとってもせまいです。喫煙者の方は自分のクビをしめないように、歩きタバコやポイ捨て、非喫煙者のことを考えない喫煙はやめましょうね。続編もでているみたいなので、見つけたら買いたいな。探してまで買いたいとは思わないけど・・・。


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2007年11月18日

渋滞学-西成活裕

「渋滞学」 西成活裕 

渋滞学おはようございます。以前電車でこの本の広告をみました。

「渋滞を避けたい人も、渋滞を作りたい人も」

というキャッチコピーを見つけ、どういうことだろうって思わず足を止めてしまった経験があります。
渋滞というとネガティブなイメージしかない言葉ですけど、行列のできるレストランや、周りにいっぱいお金が留まっている人など、世の中ではいろんなものが渋滞するみたいです。そんなことを考えてみたこともなかったので、なるほどってびっくりしちゃいました。

これを読めばお金を渋滞させられるのか!と鼻息も荒く思わず買ってしまったこの本ですが、その後しばらく手にとることもなく、家の中の本の渋滞に巻き込まれていたのですが、先日NHKに著者の西成教授がでて、渋滞学の現在と未来のようなテーマで語っているのをみて、そうだったそうだった、と渋滞から助け出してあげました。

結論から先に言うと、本の内容に、NHKで放映された内容を越えるようなものはなかったですね。お金を渋滞させるようなことはもちろん、まわりに女性を渋滞させる方法すら書いて無くて、がっくりでしたね。というか、車の渋滞や、アリの渋滞の過程を記述する方法論はだんだんわかってきて、それによって原因もおぼろげながらだんだんわかってきた、というのが、渋滞学の現在の状況のようです。つくりたい渋滞のほうは、こんなことも、あんなことも将来的には渋滞学のテーマになりうるということしか書いてなく、渋滞学はまだまだこれからの分野なんです、ってことが一冊の本を使って書いてあるという感じでした。

ただ、一つだけこの本でわかったことがありました。神様のいたずらだと思っていた、地下鉄の出口でかわいい女性のスカートを揺らす、あの強風の原因です。ホースから水を勢いよくだすときはホースの先を絞りますよね。水と同じように絞ってある通路を通過するときの空気は速度が速くなるそうです。そんな風に科学は人間が不思議に思うことを解明してきたわけですね。はやくお金や女性が渋滞する秘密も解き明かしてもらいたいものです。

今後は神様のいたずらを眺めたいときには出口が狭くなっている地下鉄のところでぼーっとしているフリをするのが一番いいってことがわかっただけでも、収穫がありましたね。
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2007年10月15日

神は妄想である-リチャード・ドーキンス

「神は妄想である 宗教との決別」 リチャード・ドーキンス
こんばんはー。

こんばんは。昨日は久しぶりに友人達と飲んできました。白ワインを飲み過ぎて二軒目の記憶がまったくありません。急な階段を降りたところにあるお店だったはずなんですが、よくあの階段を転びもせず上り下りしたなぁ、と冷や汗をかいています。相変わらず飲むと声が大きくなるようで、いやになっちゃいます。今日は朝の五時ぐらいには目が覚めてしまい、その後頭痛と吐き気と記憶のないことに関する自己嫌悪で一日が終わってしまいました。こんなときは迎え酒に缶ビールを空けてしまえばいいのだとわかってはいるのですが、ビールの匂いをかぐのもいやになっていました。数年ぶりに会った友人もいたのですが、彼女との会話を覚えていないのは大きな損失だなぁ。彼女が連れてきた彼氏になにか失礼なことをいわなかったかと思い戦々恐々としています。男は嫌いという、深層心理が酒の力を借りて表にでてこなかったかしらねぇ。伝え聞くところによると、カナダ帰りの二人にフランス語を教えていただいていたそうです。100回ぐらい同じフレーズを言わせていたらしいのですが、まったく思い出せません。何やってるんだか(笑)

とまぁ、酒でさびのつきまくった頭を磨こうと、ちょっと小難しいことの書いてある本を開いてみようと思い立って約三週間。やっと読み終わったのがリチャード・ドーキンスの「神は妄想である」です。

「利己的な遺伝子」(読み始めたけど途中でギブアップしました><)などを著しているドーキンスは進化論の研究者です。進化論は聖書原理主義の創造論(神が世界をつくったという考え方)とは矛盾してしまいます。で、この本で無神論者のドーキンスは(キリスト教に限らない)宗教を批判というか、もっと積極的に攻撃しています。宗教は害悪でしかないとまで言っています。


原理主義的な宗教は”それが科学的な営為を積極的に堕落させるからである"という言葉が繰り返されます。

そして宗教は親の宗教が子どもに押しつけられ、信仰そのものが美徳であると教えられていく。それは子どもに対する精神的な虐待であるとまで言い切っています。

この作品を読んでいると彼の博識さがどんどんみえてきます。生物学の知識にはじまり、宗教、哲学、道徳論、言語学から心理学までどこにそんなに詰め込んでいるのだろうかってくらいその知識が、しかも最新の科学的な知見も含めてどんどん披露されていきます。頭いいひとなんだろうな、きっとって感じの作品ですね。

この本では彼の教育論といえるようなものも書かれています。子どもは自らの信念を通して疑問を発し考えるように教えられるべきだ、と。

そうなんですよね。子どもにだって目もあれば耳もある。字を読めるようになれば本もあれば、雑誌もある。いまやインターネットを通じて世界中の知識を自分で探せます。確かに害になるような情報も身近になってはいますが、それを親が選択して子どもに提示してやることにどれだけの価値があるのでしょうか。だって、その気になれば隠れてでもそんな情報を手に入れられますもんね。親に隠れてエロ本を読むようなものでしょう。そんな情報の中から正しい情報を手に入れる方法、選び出す方法を教えてやるべきであって、情報までは選択してやる必要なんできっとまったくないんでしょうね。子どもが選択した立場、考え方が自分の考えと対立するものとなったとき、上に述べたような態度を自分がどれだけとれるかどうか、子どものいない自分には想像もできません。どうなることやらね。

そんなことを考えながら三週間かけて読み終わりました。妄想なんて言葉がタイトルにあり、それだけでわくわくしていたのですが、無神論者の自分としては、結構おもしろおかしく読めました。宗教と政治と野球の話はしてはいけないとも言うしなぁと思いつつ、ここに残すかどうか、悩んでいたのですが、まぁ率直な感想ということで残しておくことにしました。

ではではー。

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2006年01月11日

政・官・財(おえらがた)の日本語塾-イアン・アーシー

「政・官・財(おえらがた)の日本語塾」 イアン・アーシー

政・官・財の日本語塾.jpgナショナルのキャンパス巻き髪選手権というキャンペーンを見つけました。この中から気に入った巻き髪3つを選んで投票するらしいのだけれど、この娘たちなら目の前に現れて一緒にお酒を飲んでくれれば誰でもいいなんてことを考えてしまったkbbです。おはようございます。それにしても名古屋の子たちが一番あか抜けていないというか田舎っぽいのはしょうがないことですかね。

今日の本はこういった広告コピーや官僚、政治家の言葉を風刺したイアン・アーシーの作品です。政・官・財に「おえらがた」なんてふりがながふってあるところがうまいなぁなんて思って買いました。以前読んだ「怪しい日本語研究室」がおもしろかったので期待していたのですけれどあっちのほうがおもしろかったですね。

ジャーゴン [jargon] ・・・専門語。職業用語。訳のわからない言葉。(goo辞書より)

この作品ではジャーゴン、ここでは官僚や政治家の職業用語やキャッチコピーで使われる言葉を風刺しているのですけど、日本人ならみんな官僚や政治家の言葉がおかしいのはわかりきっている。それを細かくあげつらうことは賞賛に値するし、多分多くの日本人よりもイアン・アーシーの方が毎年省庁がだす白書や日本の政治史に精通しているのだと思う。でも、そればっかりだから飽きてしまうのよね。「怪しい日本語研究室」はもっと身近な日本語を観察していて、おもしろいなって思ったのに、今回は残念でならない。それに、官僚言葉や政治家の言葉の例文が多くでてくるから、それでこの本自体の文章も面白みがなくなってしまっているのが残念。逆に官僚言葉や政治家の言葉ってのがいかにつまらないかってのがよくわかるのだけれどね。

中にギリシアのエピソードがでていてそれはおもしろかったからここで紹介。哲学者・従軍歴史家のカリステネスという人が頼まれてマケドニア人を称賛する演説を行うのだけれど、アレキサンダー大王によい主題なら誰でもこなせるものだから、今度はマケドニア人を酷評してみよと命じられて、それもうまくこなして、その結果憎まれてしまったらしい。これは善し悪しを自分で判断せずにクライアントの望み通りに広告をつくるコピーライターを皮肉ってでてくるエピソードなんですけどね。

なんだか自分のことを言われているようで身につまされました。僕は相手の真意を引き出すためによく相手の意見に対してとりあえず反論してみて、どういう経過でその意見をもったかを知ろうとしているのだけれど、もちろん相手が変われば相手の意見も変わるわけで自分はどっちの立場でもとりあえず反論しているなんてしているのだけれど、その場に前に別の立場で話した人がいると、おまえは結局どっちの立場なんだ?って言われてしまう。自分でもたまにどっちの立場だかわからなくなってしまう。だってどっちの言い分もよくよく考えてみればまったくの的はずれってことの方が少ないし。そうするとだんだん自分がなんなのだかわからなくなってしまって困るのよね。

とりあえず一番驚いたのがこの本が文庫なのに800円もすること。ブックオフの100円コーナーで買えてよかった。この本を売るためにコピーライターはがんばったんだろうなって思う。イアン・アーシーは風刺する前に彼らに感謝しないとね。


posted by kbb at 05:53 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他ノンフィクション

2005年12月11日

解剖学個人授業-養老孟司

「解剖学個人授業」 養老孟司 南伸坊

解剖学個人授業.jpg前に読んだ生物学個人授業と同じシリーズの第三弾。生徒役の南伸坊さんが養老孟司の講義を聞いてその講義ノートと養老先生のコメントでまとまっている。養老孟司の本は、彼のやっている解剖学っていうのはいったいぜんたいなんなのだって思って「異見あり」に挑戦したことがあるのだけれど、そのときは途中で挫折した。彼の言葉の難しさが原因なのだと思っている。そこで、今回南伸坊さんの言葉ならわかりやすいだろうと思って読んでみたのだけれど、南さんも養老先生に最初に同じ質問をしていた。つまり「解剖学」ってのはいったい何を研究しているのですか?」っていう質問。養老先生もそれに答えようとして、解剖学の歴史であるとかまつわる話しとかはするのだけれど、現在解剖学が何をしているかっていうことについてはまったく要領を得ない。解剖学が何をしているかって質問に「例えばね」からはじまる話しばっかり続くのだ。この時点で少し飽きてきて、あぁメンドクサイと思いながら読んでいった。でも途中から、あれもしかして、って思いながら読んで最後の最後で養老さんも同じようなことを言っていてそうだったんだってやっと納得できた。

つまり、解剖学は最初、切り刻んでものに名前をつけることを目的にはじめられた。それは純粋に好奇心からくるもので、最初はそれでうまくいっていた。しかし、もうこれ以上分けることができなくなり、すべてに名前を付け終わった段階で、解剖学としてはやることがなくなってしまったのだ。そこからそれぞれの機能や働きを調べるのは生理学とかって違う学問領域になっていってしまう。もう現在(病理解剖学とかを除いて)解剖学が対象とするものはもうないと言ってもいいのだ。じゃあ今養老先生がやっていることってのは何かっていうと、その解剖学が行ってきた方法論をもって、今まで解剖学が対象としてこなかったものを眺めやることだったのだ。つまり死体以外のものに目をむけて、今までと違った切り口でそれらを眺めやると他に違ったことが見えるでしょってことを著作とかを通して実践的に行っているのだろう。

ここまできて、彼が新聞や雑誌に社会問題について寄稿している理由がわかった。彼は多分本当に頭のいい人なのだろうから、今までの常識的な見方を捨てて、新しい足場から眺めやることができるのだろうけど、同じように違った見方をするのって彼の著作を読んだだけの人にはできないんじゃないかなってちょっと心配になってしまった。唯一できるのは、異なった側面から見ている人もいるだろうなって知ることぐらいなんだろうな。





2005年12月09日

生物学個人授業-岡田節人

「生物学個人授業」 岡田節人 南伸坊

生物学個人授業.jpg生物学をやっている権威中の権威、だけど全然「学者らしくない」岡田節人さんを先生として、「才能がないことが才能」の南伸坊さんが生徒役って設定で南さんの授業ノートに岡田先生の一言や補講がセットになっている本。生物学の根本的な考え方や歴史、進化論、DNAなどテーマは様々でおもしろいだけでなく骨を折ることで「わかる快感」が大きくなるなんて言ってるくせに全然骨なんかおらずに読み終えちゃう本でした。南伸坊さんもこんなおもしろい文章が書けるなんて才能豊かとしかいいようがない・・・。志村けんもそうだけれど本当に才能のある人は謙虚する才能があるのかも。

生命の最初は1種類で現在は8000万種以上いるとか、今まで生命体が絶えたことがないとか、言われてみれば当たり前のことなんだけど、言われてみないと考えてもみなかったことをもう一度見せてくれました。最初の1種類から現在の数に至るなんて、なんて壮大な実験だと思いませんか?

遺伝子組み替えについてGMO(上巻)(下巻)を読んで得た知識を考えながら読んでいたのだけれど、それについても生物学の立場から反論している。生物学的に遺伝子組み替えを行うのは体細胞に行うものであって生殖細胞には行わないらしい。体細胞の遺伝子を変えるということは獲得形質は遺伝しないという考え方からもわかるようにその個体にしか影響しない。だから、生殖細胞の遺伝子を変えない限り、それが遺伝して新たな種を生み出したとは言えないらしい。だからって、遺伝子組み替えをした作物を摂取したことが健康上どんな問題を引き起こすかって方には言及していないのだけれど、大きな問題のうちの一つの答えが得られた気がする。

人間はもちろん細胞からできているのだけれど、その細胞それぞれがDNAをもっている。それぞれの細胞はDNAのあるすごい小さい特定の部分の遺伝的命令によってつくられる。しかし、その細胞に関係のないDNAの部分もそれぞれの細胞にあるDNAは記憶したまんま保持している。これはなんのためかっていうと、イモリなんかが尻尾や足を切られても再生するのは、普段は働かないそれぞれのDNAがそのときにはちゃんとはたらいて足なら足の細胞を作り出すそうだ。つまり危急時のためにとってあるって考え方。これを読んでいて思い描いたのが人間の脳の話し。人間は普段脳全体の5%だか10%しか使っていないと聞いたことがある。しかも交通事故なんかである部分に損傷がおこると、他の部分が代替的に働く(もちろん機能的にであって細胞が再生するってわけではない)こともあるらしい。これってイモリの再生のためにDNAの無駄な部分もとっておいてあるってのに話しが似ているとおもいませんか?なんて考えながら自分を慰めてみたりして(笑)

こんな先生が小学校の理科を教えてくれたらきっと生物学を志していたかもなんて思ってしまいました。なんていったって僕の先生はネズミの解剖をしていて尻尾の先にまで筋肉があるのをみつけて喜び勇んで報告したら当たり前でしょって言うような先生だったからなぁ

2005年12月05日

怪しい日本語研究室-イアン・アーシー

「怪しい日本語研究室」 イアン・アーシー



怪しい日本語研究室カナダ在住の日本語マニアの著者による日本語論。日本で日本史を研究するために留学していたこともあり、現在は翻訳家。日本語について、日本人だからこそ気付かないことを様々な観点から面白く描いている。

お役所言葉の口語対訳表が載っていたりしてなるほどと思ったり、線文字B(ミケーア文明の文字)とヒエログリフ、マヤ文明の文字と日本語の共通点など、歴史言語学的考察もやってて、大学の授業でやった歴史言語学の授業で知りたかったこともこの本を読んでいれば解決していたじゃん!なんて思ったり。

その中でも各所に語用論(言葉の意味とそれを使用する人間の研究)的考察が多くて(実はこれが僕の専門だったりする)、「僕」や「私」っといった人称(外国の日本語学習者からみると、それぞれの意味というか伝えるものの違いが大きく、日本人が考え込まずに使う言葉でもいちいち考えてしまう。)、「外人」という言葉の意味(英語のforeignerと日本語の外人てのは意味が違って、英語の場合は話者が現在いる場所が基準だけど、日本語の場合は日本人以外はみんな外人。つまり「フランスどうだった?」と聞かれて「外人ばっかりだったよ」って言えるのは外人って言葉の特色)とか最後の挨拶で「さようなら」って言葉を使うのは子供か外国人しかいないなんてそう言われればそうだなってのが結構たくさんありました。


2005年11月26日

みんな山が大好きだった-山際淳司

「みんな山が大好きだった」 山際淳司


みんな山が大好きだった.jpg沢木耕太朗の凍もそうだけれど、この本も山に生きる男を描いているノンフィクションです。沢木耕太朗の凍のほうは山野井夫妻と同じ高さで文章を書いているのですが、山際淳司のこの本はもう一つ上の高さから何人かの山男のついて書いています。しかし両者に共通するのは、彼らアルピニストにたいする大きな尊敬と強い愛情を持っていることです。


「みんな山が大好きだった」に描かれているのは加藤保男、森田勝、長谷川恒夫、ヘルマン・ブール、ゲオルク・ウィンクラー、松濤(まつなみ)明、加藤文太郎などでそのほとんどが山で死んでいる。山際は彼らの死に方を「幸福な死」ととらえ、死と格闘することを前提にして山に赴いた男として描いている。そして登山を退屈な日常から脱するための究極の楽しみとして自分の生命をチップにするギャンブルだと言っている。またそれだからこそ、彼らは山に行くことから逃れられなかったのだと。

彼らの生き方はうらやましいほどわがままだ。彼らを否定するつもりも批判するつもりもないが、さっきあげた中で唯一山で死ななかった(訂正があります。詳しくはコメント欄参照)長谷川恒夫は次の言葉を残している。「生き抜くことが冒険だよ」と。残された人たち、彼らの生き方を彼らの身近にいながら共有できなかった人たちはやはり、わがままを通すのだからこそ生きて帰ってきて欲しいのだと思っているのだと思う。しかし、生きて帰ってくる保証のある山になんか彼らは行きたくはないのだろう。そこで行われる賭けには彼らの生命はチップとしてテーブルに載ることすらないのだから。

と、ちょっと彼らよりかは残された人たちの視点でこの本を読んでいた。彼らを愛しく思いながら彼らをつなぎ止めておけなかった人たちの無念さは想像以上のものだろうけど、その一端ぐらいには触れられた気がした。





2005年11月20日

妻を帽子とまちがえた男-オリバー・サックス

「妻を帽子とまちがえた男」 オリバー・サックス


妻を帽子とまちがえた男.jpg脳神経医が自己が診断した様々な症状をもつ患者について書いた、ノンフィクション。先日読んだ「素数の音楽」で紹介されていた本で、この中の10桁の素数を言い合ってコミュニケーションをとっているかに見える双子の話に興味をもって読み始めた。脳神経医は精神科の医師と違い、脳の器質的なところ(その実際の表面にでてくる働きではなく、構造やその動きかた)からしか診ることができず、しかしそこから驚くほどたくさんの異なった症状が現れる。科学とは抽象化、一般化を通して行われるものだが、個々の具体性こそ大切なのだと描かれている。

様々な患者がでてくる。例えば顔貌失認の患者は手袋を見せられて「これは何ですか?」と質問されても、「表面は切れめなく、一様につづいていて、全体がすっぽりと袋のようになっていますね。先が五つにわかれていて、そのひとつひとつがまた小さな袋ですね、袋と言っていいか自信はないけれど。」「なにかを入れるものですね。」としか答えることができない。個々の具体性について認識することができないが、それを越えた一般化、範疇は理解できるのである。人の顔を見ても形や大きさについては認識できるが、人の顔が持つ、それぞれの違いやらなんやらは理解することができない。

ここに描かれている、人たちはそれぞれに様々な豊かな内的世界をもっている気がした。側頭葉の発作のために子供のときに聞き慣れた音楽が聞こえてしまう症状をもつ人などは、発作を抑える薬を飲むことを拒否して年齢的に残り少ない人生をその音楽とそれによって思い出される楽しかった少女時代の思い出とともに生きることを選択した。

彼らは多数の正常な人からみれば、異常と診断されてしまうが、はたして、異常なのだろうか?大多数の人が同じ物を持っているからといってそれを持っていない人や異なった物をもっている人は異常なのだろうか?とこんなことを考えながら時間をかけて読んでいました。


2005年11月10日

調理以前の料理の常識-渡邊香春子

「調理以前の料理の常識」 渡邊香春子

料理の常ッ.jpg料理の本などを見ながら料理をつくるときにこれってなんだろ?みたいなことありませんか?
ないひとはいいんです。多分そういう人には必要のない本です。

でももし心当たりのある人には必須の本なのではないでしょうか?

湯がくとゆでるの違いは?魚と肉の下ごしらえで塩をふるタイミングは?鍋などの手入れの仕方は?などがトピックごとにかかれていて、今までわからずになんとなくやっていたことをわかりやすく説明してくれています。

材料ごとのおいしい下ごしらえや料理の仕方がいくつも書いてあるのがいいですね。
わかりやすいです。ここまで手をかけてから料理をはじめたらきっとおいしいものができますね。

暇つぶしに手にとって読むのにちょうどよい分量なので家事の合間に読むことができるのもいいと思います。



2005年11月09日

地図の遊び方-今尾恵介

「地図の遊び方」 今尾恵介

地図の遊び方.gif本棚から思いがけない本がでてきた。何年か前の文庫新書創刊ラッシュのおりにできた新潮OH!文庫の創刊50点のうちの一つがこの本だ。出版不況だなんだと言われ新創刊のシリーズが多いが、こういう本のおかげで雑学好きの僕らのような人間が暇をつぶすのに手頃な本がふえたのも確かだ。このおかげで古くからある素晴らしい作品が廃刊になることがあると聞いて心苦しいこともあるが、あちらを立たせればこちらが立たずという感じか。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。

この本は作者の地図好きが高じて一冊の本ができたと言っても過言ではないほど、作者の地図に対する愛情が感じられる。よくぞここまで横から上から正面から逆さにして(もちろん比喩表現です。)地図を眺めたものである。

様々な地名表記の変遷やら世界一短い地名や長い地名、街道の道筋の変化などを古い地図や外国の地図を引っ張り出して解き明かしている。ここまで、地図をひっくりかえすなんてよっぽどの暇人(ご本人がそう言っています)である。その人にとって一番楽しいことをするのが暇つぶしなのだとしたら、この人は本当に暇のつぶし方を知っている人だと思います。

先日テレビの特集で地図検定試験のことについてやっていたのですが、そこで取材されていた小学5年生ぐらいの男の子が熱く地図について語っていました。部屋一面地図で埋まっていて地図に関することならどんなことでも知りたいというような地図マニアともいえる男の子でした。その時に思ったのですが、この子の学問的な将来を考えると、この地図マニアぶりは彼にとって決してマイナスにはならない、むしろ大きくプラスになるのではないかと思いました。地図一つとっても様々な学問への扉となりうるからです。アフリカの国境線の引かれ方を見て歴史に興味をもつかもしれない。緯度経度から数学や測量の仕方に興味をもつかもしれない。地図という記号そのものから記号学や意味論、もしくは哲学まで広がるかもしれない。地図のデザインそのものに興味を持って芸術に進むかもしれません。


これだけの可能性のある地図にあの年で興味をもつことができたのは彼にとって最大の財産なることでしょう。

みなさんも休みの日にでも地図を広げていろいろと想像や思考の世界へと飛び立ってみませんか?



2005年11月05日

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由-スティーブン・ウェッブ

「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」 スティーブン・ウェッブ

広い宇宙に.jpgこの本は物理学者のフェルミという人が研究者仲間とのランチの時に言った、「みんな、どこにいるんだろうね」に対する50の反論が書いてある。フェルミは優秀な物理学者で原子力発電の原理など多くのことに関わっていた。彼の有名なエピソードにフェルミ推定の話しがある。例えば「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか?」などの答えの大きさを世界や日常の経験などをもとにおおざっぱな近似を求めるような推定である。

シカゴの人口はだいたい300万人→ピアノは世帯にある→一世帯はだいたい5人ぐらいだとしてシカゴには60万世帯ある→20世帯に一つピアノがあるとしてシカゴには3万台のピアノがある→ピアノは一年に一度調律が必要→調律師は一日に二台分仕事する。年に200日働いたとして一人年間400台調律できる→シカゴに必要な調律師は3万/400で75人。概数を求めているのでだいたい100人と推定できる。

といった具合に推定していく。この方法の利点は細かい数字が間違っていたとしても、計算をやり直せばいいだけである。要はどうやったら答えが考えられるかということのほうが大切であって、細かい数字はあとからいくらでも調節がきくのである。

この推定を利用してフェルミは地球にはとっくに誰かが来訪してもおかしくないと考えていた。銀河系に産まれる星の数、そのなかで惑星を持つような恒星の割合、生命を維持できる環境のある惑星の割合、生命が実際に育つ惑星の割合、生命が知的能力を発達させる割合、恒星間通信ができる文明が育つ割合、最後にそのような文化が通信を行う期間を考えると、もうすでにいくつかの知的生命が来訪するなり、連絡してくるなりしてないとおかしいという結論になるのである。もちろん個々の数字はわからないことの方が多い。しかし少なくともこういう風に計算はできる。

とまぁ、このような結論に対する反論が50個書いてあるのが本書である。
それらの反論は様々な分野から提出されている。進化論、社会学、物理学、宇宙論、確率論、はては言語学まで様々な理由が考えられている。それら一つ一つのわかりやすい説明がされており。宇宙人に興味がなくても、個々の研究がに興味がもてるようになっている。

どんな分野に関しても(地球外生命体に興味があるならば)最良の入門書になっていると思う。訳も難しくないので、一度本屋さんでパラパラとめくってみるとおもしろいと思います。


2005年11月02日

素数の音楽-マーカス・デュ・ソートイ

おくればせながらぼちぼちさぼってる間に読んだ本の感想をば

「素数の音楽」 マーカス・デュ・ソートイ

素数の音楽.bmp小学生の時は得意科目だったのに、中学・高校に入ると一気に不得意科目になってしまった数学。数学的な考え方や概念は興味があるのに、それを駆使して問題を解いたり、公式を暗記したりといったことが苦手な上に、字が汚くてさらに見直すということをしなかったために、問題を間違える→苦手意識という見事なダブルアタックをくらって成績は毎回赤点かぎりぎりセーフかってところでした。

本屋さんに行って自発的に本を選ぶ段階になって、数学の概念やらが書いてある本を手に取ることが多かった気がします。フェルマーの最終定理についての本や、素数の話し、数学が好きになる本なんてキャッチコピーがついてるともうレジに持っていっていました。

この「素数の音楽」はずばり素数について数学者が考えてきたことを2000年前のギリシャの時代からさかのぼって現代の最新理論まで網羅しています。といっても難しい理論やら数式やら方程式なんてのはあまりでてこなく、数学の素人の僕でも簡単に読めました。というより本を途中で置くことができず、暇があるとこの本を手にとっていて、眠くて眠くて本が手からずり落ちて朝起きると開いたまんまの本が布団の脇に毎朝転がっていました。結局500ページを越える本を3日で読んでしまいました。

素数の概念は小学生に説明しても理解できる単純なものです。それ自身か1でしか割れない数。この数は長い間人間、とりわけ数学者を魅了してきました。具体的には2.3.5.7.11...。これがどんな法則ででてくるのか未だにだれにもわかりません。この作品の中ではユークリッドの素数が無限にあることの証明から話しは始まり、ガウス、リーマンの素数に関する新しい視点による研究からカオス理論、量子力学、果ては言語学まで(ちらっとですけど)でてくる始末でした。ここまで色々な分野にまたがる「素数」って一体なんなんでしょうってことを一生懸命数学者は解き明かそうとしているんですね。リーマン予想と言われるリーマンの研究はこれを正しいという仮定のもとに様々な現代数学の理論ができているそうです。つまりリーマン予想が間違っていたと証明されたら現代の数学は壊滅的なダメージを受けるということです。そんな危険をはらんでいる素数が実は楽器のドラムのビートのようなふるまいをするということまではわかったらしいのですが、果たしてそのふるまいをさせているのがなんなのかがわからないようです。

著者の文章も読みやすく、訳者も専門家だと思うのですが(訳者プロフィールがなかった)読みやすい翻訳でところどころに訳注もはいっていてひさびさに最後までわくわくと読めた作品でした。

一人一人はばらばらに活動しているように見えるけど、みんなが一つの目標に向かって少しづつだけど前進していくのを見るのが結構すきなんだなと再発見させてくれました。



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